アコルダちゃんねる第1章第2回「ローマ帝国を滅ぼしたゲルマン魂」 | アコルダちゃんねる

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日本代表勝ちました!ドイツ代表に逆転勝ちです。

この試合、イエローカード0ですね。両チーム、素晴らしい試合で会った証拠ではないでしょうか。このワールドカップという大舞台でイエローカードが出ない戦い方が出来た日本代表の試合は素晴らしいと思います。これでグループリーグを自力で突破する為にコスタリカ戦でいかに点を取るのかがカギになると思います。

そして、今回の日本代表チームの勝利には宿泊場所も大きく原因があるのではないかと思います。

ほかのチームは1泊何百万もするような宿泊場所に止まっていますからね。まるでオフシーズンのバカンスですね。

 

今回の試合会場であるドーハは「ドーハの悲劇」の場所ですね。ドーハの悲劇と言いますが、悲劇悲劇と言われ続ける方々の心境を考えたら切なくなります。ただ、今回、当事の代表メンバーであった森保監督率いる日本代表の勝利により、ドーハの軌跡となったのではないかと思います。まずは勝利おめでとうございます。

 

今回、日本代表が対戦したドイツのマインドを示す言葉として「ゲルマン魂」を使うことが多いのですが、とはどのような人たちのことでしょうか。

今回のテーマである「ローマ帝国を滅ぼしたゲルマン魂」

よく、ローマ帝国を滅ぼしたのが、ゲルマン人の侵攻と言われていますが、有史上、最も巨大な帝国を滅ぼすほどゲルマン人は強かったのでしょうか?

私は、そこに疑問を持ったのです。

 

ローマ帝国は、イタリア半島を中心とした地中海領域にまたがる大帝国です。ローマ都市国家から始まり、紀元前1世紀末ごろには地中海全域を支配し、多くの領土を手中に治めました。最盛期には地中海周辺だけでなく、メソポタミア方面まで支配していたとされています。

 

 

ですが、あまりに広大な領地のため、皇帝テオドシウス1世は息子たちにローマを西と東の2つに分けて統治するように話しました。

 

テオドシウス1世

 

古代ローマ帝国は西暦395年に東西に分裂した後、西ローマ帝国は476年にゲルマン人傭兵隊長オドアケルによる最後の西ローマ皇帝の廃位により滅亡、多くの歴史家は「西ローマ帝国は滅亡しておらず、政治的に変容しただけである」という見解を示しています。

東ローマ帝国は1453年にオスマン帝国によって滅ぼされました。

ローマ帝国の滅亡時期が明確でないと主張する研究者や西ローマ帝国は外敵によってではなく自ら崩壊したと分析する研究者もいますが、私はいずれにせよ皇帝がいなくなった時を滅亡時期と言って問題ないと思います。

それではゲルマン人の侵攻はいつあったのでしょう。

大規模なゲルマン民族の移動は376年と405年に起こりました。そのいずれもがフン族の西進によってゲルマン民族をローマ帝国に押し出したとあります。ウキペディアには、フン族の人口は、ローマ側の史料では女子供を含めた60万から70万人とありますが、現代の研究者は実際の人口はかなり少なく、兵力は数千騎程度だったと考えているとあります。

そのようなフン族に押された軍事的に力のないゲルマン民族が、強大なローマ帝国を侵攻することが可能だったのでしょうか?

私は、多民族を取り込む寛容とかいう見せかけの優しさの精神により、西ローマ帝国が内部崩壊していったと考えます。

ローマ帝国は、4世紀末から、冷害により南下してきたゲルマン人たちに寛容な精神を示し、ローマ市民権を与えるばかりか軍隊に登用してあげるなどの余裕を示していました。しかし、前回紹介しました「中世小氷河期」の影響により経済が低迷するなどして多くの不満をローマ市民は持ちました。その不満は他民族に向けられました。そして外国人排斥運動が起きるのです。

 

 

 

しかし、ローマ帝国の安全を担う軍隊は、外部部族出身者が多数を占めていたので本来ローマを守るべき軍隊が機能するはずがなく、ローマは当然に混乱を招きました。その証拠として476年ゲルマン人傭兵隊長オドアケルによる最後の西ローマ皇帝の廃位が起きたのではないでしょうか。

 

ゲルマン人傭兵隊長オドアケル

 

西ローマ帝国で起きた、不満のはけ口を外国人に向けるナショナリズムは、現在においても、ヨーロッパ、アメリカで起きている、移民を排斥する動きによく似ていませんか?失業率が高くなり、若者の失業者の増加、人口減少、高齢化により、経済成長が低下していく日本を含む先進国は、古代ローマの歴史を再認識する必要があるのではないかと思います。

この2000年もの間、同様のことが、時代や場所、国を超えて繰り返されています。古代ローマ帝国のように、安易に外国人を受け入れることは、国の伝統と文化を守るうえで適切であるかどうか、ローマ帝国の歴史が示してくれているように思います。

それでは、通説でいわれているゲルマン人の侵攻はあまり関係ない感じがしませんか。私はそう感じます。

 

誰かがゲルマン人に責任を擦り付けていないか。

ローマに恨みを持っていないか?

アコルダちゃんねる記念すべき第1回をご視聴してくれた方は、少しお気づきかもしれません。ローマ市民を楽しませるために見世物になっていたのは誰でしたでしょうか?若い女性がほぼ裸に近い状態で見世物にされて無残にも殺されていました。彼女はなぜ殺されたのでしょう。彼女は何を信仰していたためにローマ市民の見世物にされたのでしょうか。

イエスキリストを磔の刑にしたのは、古代ローマ人です。

日本の神様は、多くいらっしゃいます。トイレにも神様がいるくらいですからね。しかし、キリスト教では、キリスト様が絶対で唯一の神です。多神教は、あまりにも多くの神様がいてお金儲けになりません。しかし、キリスト教は、キリストだけに教えを乞うので、キリストだけに頼めば何とかなるのです。多くの人は自分が死んだ後に天国に行くためにキリストに頼みます。お金を払えば天国に連れて行ってくれます。また、キリスト様の為に死んだら天国に行くことができます。

日本などの多神教の国ではどうでしょう。神社には賽銭箱があります。しかし、2000年以上の長きにわたる悠久の歴史と文化が残る125社から成り立つ伊勢神宮ではどうでしょうか。伊勢神宮で賽銭箱があるのは理由がある1箇所だけです。そして日本の古くからある神社に行き、死んだ後の世界でよいところに行きたいので、そのための切符を売ってください。と言って売ってくれている神社を私は知りません。

話をローマに戻します。

 

ローマ帝国の東西分裂によって、教皇も西ローマ教皇、東ローマ教皇と分かれることとなりました。西ローマ教皇として任命されたレオ1世は皇帝の仕事や役職を監督する立場になりました。

 

レオ1世

 

そして西暦445年西ローマ帝国皇帝ウァレンティニアヌス3世は「教皇が承認したこと、あるいは承認するであろうことは全て、万民にとっての法となる」と発表して教皇の絶対性を主張したのです。そしてゲルマン人傭兵隊長オドアケルによる最後の西ローマ皇帝の廃位がされ西ローマ帝国は476年に滅亡。所詮、オドアケルは傭兵隊長あがり。後の世界はローマ教皇が力を持つことになります。

ヨーロッパの人びとはキリスト教を信仰しています。ラテン系の国やベルギー・オースト リア・東欧の一部ではカトリックが広く信仰され,ゲルマン系の国ではプロテスタント, ギリシャや東欧諸国などスラブ系の国では東方正教会が主に信仰されています。今でいうヨーロッパ全体にキリスト教が広がっていった時期はいつでしょうか?私はローマ帝国の滅亡からだと思っています。

ゲルマンは、インド=ヨーロッパ語族に属し、現在のイギリス(英語)、ドイツ語、オランダ語、デンマーク語、スウェーデン語などの共通の祖先です。

ユダヤ教をユダヤ人だけの宗教ではなく、みんなも教えを乞うことができるんだよと説いたイエスキリスト。キリスト教がゲルマン人たちと組んでローマ人への復讐を果たし、その後のヨーロッパ、そして世界を支配していったのではないかと考えたのですが、いかがでしょうか?