ほっこり中国茶しませんか? -10ページ目

ほっこり中国茶しませんか?

英語と中国語を駆使しつつ美味しいお茶に巡り合う方法を模索しています。中国茶と、お茶にまつわる歴史が大好物です。

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先日、父方の大叔母の退院祝いに行って来ました。私の父方、母方双方の祖父母は既に鬼籍に入っています。今回訪ねた大叔母は、父方の祖母の妹にあたり、家族の中では戦争を経験した世代の最後の一人になります。

80代後半の大叔母は、からっと裏表のない性格で、家族で営んでいた町工場を女だてらに切り回す、チャキチャキとした行動力のある格好よい女性です。その素質は曽祖母→大叔母→私に世代を越えて受け継がれているらしく、大叔母は小さいころから私の事を可愛がってくれました。

大叔母の退院祝いのプレゼントには花束を選びました。新しい街に引っ越すと、お店の選択って迷いますよね。ここ一年ほど、冠婚葬祭に関わるお花を用意する機会が多く、遊牧民のようにいろんなお店を放浪していましたが、ようやくよいお店にたどり着きました。

『大阪』、『花束』の言葉でGoogle先生にお伺いをたてると、出てくるキーワードは『北新地』。

つまり、東京だと銀座、名古屋だと栄、福岡だと中洲にあたる大阪の歓楽街です。夜の蝶(もう死語?)の居るところには胡蝶蘭を始めとして、女性を引き立てる花が必要で、自ずと花屋の激戦区になると言う事でしょうか。

私が通っているのは北新地にほど近い、梅田の第3ビル地下の花屋さん『ベビーブレス』。お店自体は青山フラワーマーケット的な洗練された雰囲気ではなく、どんな街にも一軒はある町のお花屋さんといった庶民的な店構えです。

しかし、ここのお店は本当にコスパが素晴らしく、3000円でどーんと重みのある花束を用意してくれます。お客さんも、仕事帰りの会社員から、北新地の黒服のお兄さん、同伴前?のソワソワした雰囲気のオジサマまで、なんともバラエティ豊かで人物ウォッチングするにも興味が尽きません。

三十代後半を過ぎた頃からでしょうか、何かを購入する時にお店の方に気楽に相談が出来るようになりました。二十代の頃は全て自分が決めないと気が済まなかったんですが、誰かに判断を委ねるというオプションを手に入れると、生きるのが少し楽になります^_^

さて、花束を購入する際には、もちろん店員さんと意見のすり合わせをします。サービス業の女性って、お店に入ると最初はにこやかによそ行きの笑顔で迎えてくれますが、何かを相談し始めると顔つきがキュッとプロに変わる瞬間があって、私はその深く考えこんだ顔つきがたまらなく好きです。

この日対応してくださったのは、六十代とおぼしき女性店員さん。退院祝いのお花をお願いしたいというと、色味は地味な方が良いのか?病状は重かったのか?と立て続けに質問を受けます。まるでお医者さんの問診を受けているような雰囲気でした。

確かに病状によっては、華やか過ぎると気遣いがないと悪く取られることもあるんだろうなぁと、粛々と問診?にお答えしていたのですが、店員さんが答えを出したのはこの質問でした。

『大叔母さんはおいくつですか?』

私が八十代後半だと答えると、名言がでました。

『じゃあ、ピンクの花束で決定ね』

『女性はね、幾つになってもピンク色の花束は嬉しいもんなのよ』

派手すぎないかしらと少し躊躇しつつ花束を持って行ったところ、大叔母は『春ね〜』と目を細めて喜んでくれて、早速寝室に飾ってくれました。私は大叔母が元気に家の中を歩き、楽しげに昔話をしてくれる様子を見てほっとしました。

八十代になってもピンク色の花束は女心に響くんですね。プロの見立ては正しかった。また一つ勉強になった春の一日でした。

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長い冬を越え、久しぶりに春めいた1日に京都に散歩に行ってきました。関西に引っ越して幸せだなあと思うのは、歴史のある建造物や長い文化に裏打ちされた物に、日常的に接することが出来ることです。

今日は京都御所に足を向けます。ご存知の通り、明治維新以前の天皇陛下のお住まいだった場所です。昨年より一般公開を始めており、予約なしで誰でも無料で拝観することが出来ます。敷地が大きいので、空がどんと広くてゆったりした気持ちになります。

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御所の敷地内は、ちょうど梅が見頃でした。ポカポカの日差しの中、各国の観光客が梅の花をパシャパシャ撮影する様子は、何とも平和で和みました。

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さて今日の本当の目的は京都御所にほど近い『本田味噌店』。御所の西側、虎屋茶寮からほど近いところにあります。

お店の外観もレトロでいいですね〜。深い茶色の暖簾に染め抜かれた『丹』の文字は、初代の丹波屋茂助の名前から取られているそうです。創業200年を超え、宮中にも献上された老舗のお味噌、お味が気になります。

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お店の内観はさすがに撮れなかったので、購入した商品をご紹介します。まずは『紅麹みそ』と『赤だし』の2点です。

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紅麹みそは、見た目は唐辛子を練りこんでいるような外観ですが、この赤く見えるのは麹なのだそう。試食させて頂くと、普通のお味噌より発酵臭と旨味を強く感じました。こちらが一番人気だそうですよ、若干お値段も張りましたが^_^

そして赤だし。東海地方出身の主人が喜ぶ一品です。合わせ味噌で育った私は、結婚当初には赤だしに慣れなかったのですが、義母に美味しい使い方を教わって以来すっかりファンになってしまいました。

義母曰く、「赤だしは海産物と相性が抜群なのよね〜」。おすすめされたのは、『アサリのお味噌汁』や『マグロと分葱のぬた』でしたが、これが絶品。海産物の臭みを、赤だしの深い香りが中和してくれて生姜などの香味野菜いらず。

今では赤だしは我が家の鉄板メニューです。こうして、家族の味が繋がっていくのは幸せなことですね。

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最後は金山寺みそ。いわゆるおかず味噌ってやつです。これは私も始めて購入するので、恥ずかしながら『モロキュウ』ぐらいしかメニューが思い浮かびません。

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キュウリやナス、オクラなどの夏野菜をザクザク刻んだ信州の郷土料理の『やたら』に古漬けの代わりに入れるのもありかな〜。

香りが強いので、案外アイスクリームやチーズなどの乳製品とも相性がよさそうな気がします。う〜ん、余らせないようにしなきゃ。どなたか美味しい食べ方を教えて下さると嬉しいです。

先日、中国からのお客様をおもてなしする機会がありました。いつものように、にわか勉強をしていたところ、私の長年の疑問を解決してくれる文章と出会い、目からうろこが落ちました。

どんな本を読んだ?

中国語の勉強を始めて以来、中国人の先生による授業を受けています。雑談の中で先生は、『中国人は場所によって気質が全く異なる』とよくおっしゃいます。

そして、今回のお客様は中国北東部の吉林省出身のご家族でした。吉林省といえば、清朝を統治した満州族の出身地にあたります。ということは、清朝の歴史について学べば、満州族の価値観を知ることができるはずだと思いあたりました。

ついでにどうして清はアヘン戦争に突入したのかとか、台湾の故宮博物院に行くと『乾隆帝』と書かれた文物が多いのはなぜなのかとか、漠然と抱えていた疑問も併せて解決したいと思い手にしたのは『中国文明の歴史9 清帝国の繁栄』でした。

責任編集は京大名誉教授の宮崎市定先生。1901年(明治34年)生まれで1995年(平成7年)にお亡くなりになっている宮崎先生は、東洋史、特に中国史の第一人者です。中国だけではなく欧米や日本の歴史の流れも踏まえながら、地球儀を俯瞰するように清の栄枯盛衰を語ってくださいます。

この本自体は1966年出版なのですが、全く文章が古びていないのに驚きます。宮崎先生の著書は『科挙』に続いて2冊目なのですが、適度なユーモアと、厳しく時代を見つめる目と、公平にその時代の人々に寄り添う優しさに心をわしづかみにされます。私もこんな文章を書きたい!

中国文明の歴史〈9〉清帝国の繁栄 (中公文庫)/中央公論新社
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何を疑問に思った?

絵唐津 
写真出典:関西情報サイト Kansai Window 

柿右衛門 写真出典:有田観光協会 ありたさんぽ
 
上記の写真は、桃山時代に作られた唐津焼の『絵唐津菖蒲文茶碗』(田中丸コレクション)。

下記の写真は、右が江戸時代(17世紀)に有田で作られた柿右衛門様式の『色絵松竹梅鳥文輪花皿』(出光美術館)、左が18世紀にドイツのマイセンで作られた柿右衛門の写しで同じく『色絵松竹梅鳥文輪花皿』(出光美術館)です。

私の長年の疑問は、いったいなぜ武骨で荒々しいThe生活雑貨という風貌の陶器が、華美な芸術作品のような磁器に急激に変遷していったのかということでした。

これって、人間で考えるとこんな感じかしら?

田舎の田んぼのあぜ道を駆け回っていた純朴な少女に、東京で開かれた同窓会で再会しました。しかし、土臭かった昔の面影はなく、皮膚は抜けるように白く、真っ赤なバーキンの鞄を手にしてお金の匂いが漂う美女に変貌していました。

変わったよね?と聞いても変わってないよ!と返され、誰かにお手当頂いてるのかとか、夜の商売を始めたのかとか、彼女が急に変わった理由が知りたい!でも教えてはくれない、フラストレーションたまるな~と悶々としている状態でした。

そして、日本の焼き物の本は、彼女はなぜ変わったのかという素朴な疑問には答えてくれません。どの本を読んでもおおむね下記のようななことが書いてあります。

 17世紀中旬に中国の王朝が明から清に移行する過程で、ヨーロッパの貴族の間で大人気だった明の窯元が完全に廃業してしまい、彼らの欲しがる商品が中国では作れなくなった。

 日本には、秀吉の朝鮮出兵の撤兵の際に連れ帰った朝鮮人陶工を介して、色絵の技術が持ち込まれた。磁器を作るためには透明感のある真っ白な粘土が必要となるが、幸いにも有田では良質な粘土がふんだんに取れ、柿右衛門様式と言われる色絵磁器の生産が盛んになった。

 さらにそれに加えて有田(佐賀県)には、長崎に近いという地の利があった。桃山時代~江戸時代まで日本の海外貿易の最前線となってきた長崎において、オランダ東インド会社を通じ、柿右衛門様式の磁器はヨーロッパに高値で取引された。


うーむ。これじゃあなんでいきなり華麗に絵付けされた磁器が、突然変異のように出てきたのかの説明にはなってない!困った、よくわからない!で私の知識はストップしていました。

目から鱗がおちた!


私の長年の疑問に対して、宮崎先生はこんな風に答えてくださいます。

◎ 煎茶流行す
 
 中国では抹茶を飲む宋元時代の風習はしだいにすたれて、明代になると煎茶が一般化してきた。実際、茶の葉を砕いて粉にして飲むのは原始的な方法で、薬のような感じであるが、湯を通してそのエッセンスだけを飲むほうが気が利いているのである。(中略)

 煎茶の流行はまた陶器の発達を促した。日本の陶器は古くから唐津や瀬戸で製作されたが、いわゆる古唐津・古瀬戸と称せられるものは、厚い粘土の上に薄黒い釉薬をかけてあり、抹茶には適当するが、煎茶には向かない。

 玉露の半透明な黄緑色の液を受けるには、もっと明るい白色の磁器がよい。その乳白色の釉薬の上に模様をつけるなら、コバルトの染付か、さらにその上に赤か五彩の絵付けをしたものがいい。

 こういう需要に応じて、中国の陶器が明一代のあいだに、目のさめるような美しい磁器に発達をとげたのである。それがそのまま日本に輸入され、日本の陶工はそれを見習って、新しい境地を開いた。


ほ~、なるほど!柿右衛門の美しい乳白色の肌色は、煎茶の色を引き立てるための下地でしたか。腑に落ちました。やはり何かが劇的に変わる時には、時代背景が関係しているものですね。

焼き物の歴史の知識だけではなく、秀吉の朝鮮出兵を迎え撃つために大軍を送った明は、財政難に陥りその結果滅びたとか、皇帝の在位中に皇太子を定めると権力が二極化して統治しづらくなるとか、乾隆帝の時代がなぜ金満政治でも豊かでいられたのかとか、一つ一つの挿話が生き生きと描写されていて、小説のようにするするとテンポよく読むことができました。

宮崎先生のほかの著書も読もうと、同シリーズの『中国文明の歴史11 中国の目覚め』を読み始めています。超一流の研究者が、超一流の書き手でいてくれることの幸せを感じます。面白い歴史書って貴重ですもの。そして時間に洗われても色あせない文章力に、心から敬意を表したいと思います!!