妊娠37週と4日目にはいりました。

 

もう今日からならいつ産まれても、学年は4月の子になるので、いつでもかもん!!って思っております。

でもどうがんばっても、令和元年にはならならそうですね・・・・

 

あんまり予定日より遅くなると、お腹の子が大きくなりすぎて、産むの大変そうだし。

助成券も39週分までしかないので、自費で払うと、結構痛い出費になってしまします。

 

無収入になった今はあまりお金使うのは避けたいので、昨日なんて、誕生日割引で少し安く変えるママキッズの製品すらケチって。

西松屋まで安い製品買いに行った次第ですよ。

 

もう気持ちは主婦よね。

少しでも安く!って気持ちが、仕事しなくなると、熱くなっている。

 

少しお腹が下がってきたのか、ご飯を食べても苦しくなくなってきました。

本当9ヶ月の時は苦しかったわ。水飲んでも苦しかった。

体重管理もめんどくさくなってきたのか。

もうどうにでもなれ的になってきましたけど。

尿タンパクでてしまったし、血圧なぜか、少し高くなったので。

やはり、野菜とか食べていようあたし。

 

なんとかプラス7キロくらいで終わらせときたいものですね。

 

大学のレポートが一番キライなものを残し、本日から取り掛かろうとしている次第でありますが、

逃げ腰なので、ブログなんて書き始めてしまいました。勉強するたび、眠気が起きます。

 

そんなこんなで、最近の我が家についてです・・・・・えーん

 

うちの姉が38歳になったんですけど、やっとこ10年くらい付き合っていた彼氏さんと籍を入れることになりました。

彼氏さんは45歳です。

 

この彼氏さんのお父様は中学時代に亡くなっており。

お母様とお兄様と、彼氏さんの3人で生活しておりますが。

 

このお兄様っていうのが大学卒業してからずっと引きこもりしているらしいですね。

だから、事実上彼氏さんが家計を担っているわけであります。

 

うちの実家にももれなく、引きこもりの兄がいるので、ダブル引きこもりになるわけですけど。

 

こういう事情があるから、なかなか結婚に進まなかったのかな・・・・って思っていたんですけど。

急に結婚する展開になったので、晴れておめでとう!!って話になっていたんですけどね

 

ここで、一悶着。

 

籍入れる日取りは決まっているんだけど。

お互いの両親への挨拶がまだで。

 

さらに、うちの両親には、4年くらい前に、二人で会いに行ったことがあるから、挨拶しない!!とか姉が言い出した・・・・・。

 

大のおとなが。

こんな無礼なことをしてよいのだろうか?

結婚に反対するわけではないので、けじめとして、礼儀として、きちんと親に挨拶にいくのが礼儀なのでは?となり。

いちおう、母にどうお考えなのかを確認した上で。

 

やはり、お母さんは挨拶にくるもんだと思っていたから。

姉の考えに、びっくりしており。

 

急いで姉に、挨拶いきなよ!の連絡をした次第であります。

 

母が、呆れ気味に、姉の考えに落胆していたのは、メールの文面から丸わかりでしたね。

 

うちの家族の、お父さんも結構変わっているけど。

兄も変わっているけど。

 

姉は社会人として別に稼ぎもあるし、そこそこ常識はあるかと思っていたけれども・・・・

やはり、ちょっとずれているところがあって。

 

あ~私はだから、幼少期の頃苦労したのだな・・・と改めて感じた次第であります。

姉でも兄でも、守ってくれるようなところはないし。

むしりゆるいというか。

 

礼儀知らずというか。自分勝手というか。

 

今回の籍入れる事件で、姉のだめさと。

姉の彼氏さんの礼儀知らずな面が露呈して。

 

だから、姉の彼氏さんの株がお母さんからしたら上がらないのよね・・・・って思ってしまった。

 

良い年の娘とつきあってはっきりさせない状態で10年もたって。それも親からしたら・・・・なんだろうなと、昭和の親だと思いやすいんでしょうしね。本人に問題があるわけではなくても、引きこもりの兄がいて、家計の生活費を担っている家庭に娘を渡すというのは。

親心としては、複雑な思いがあるわけで。

 

それでも、いい年だから、二人の問題でしょうと許してきた親ですけど。

 

籍入れる挨拶にすらきちんとこない礼儀知らずさは。

 

株を下げまくる結果にしかならないね。

 

ソーシャルスキルというのか。

自分が生きていく上で、周りのヒトとかかわらないといけないわけですし。

家族や親戚づきあいというのは、どうしてもかかわらないといけないですから。

 

本当に死ぬほどストレスになるのであれば、関わらないというのでもよいですけど。

 

多少なりとも、うまくつきあっていくことが、今後の生活を楽にしていく術な気もします。

 

 

産休にはいって、膨大な時間が手に入って、いろんな本読んで過ごしているわけですけど。

あれですね。

必要ですね。こういう時間。

仕事していると、なかなか本を読む時間を作れませんでしたから。

たくさん本読めて、自己理解が進んで、幸せです。

読む気になれてよかった。

 

このご紹介の本は、先日図書館で見つけてわざわざ予約してまで借りて読んでみた次第であります。

すごい読みやすくて一日で読み切れました。

 

私が長年苦しんできたのは、摂食障害ですけど。

拒食の症状はほとんどなくて。

 

ほぼ過食嘔吐でした。

 

この症状は本当にほぼほぼ過去のものになって。

本読んだり、摂食障害の人の話を聞くこともほぼ苦痛なく聞けるレベルまできた次第であります。

痛みが強い時は、全然向き合えませんでしたけど。

 

この本に書いていたのは。

 

摂食障害になる人は、子供返りしているんですっていう内容でしたね。

これ、斉藤先生何度も言っているんですけど。

 

子供返り?っていっつも腑に落ちませんでした・・。

 

でも、これ読んでやっとこ。

あ~あたし子供返りしたかったんだ・・・・・って。

 

女っていう性別をどうやって扱ってよかったかわからなかったんだなって。

性欲ってものをどうやって扱ってよかったのかわからなかったんだなって。

 

今までは親のせい親のせいとか思っていたんだけど。

ま~それも一つの原因ではあったんだけど。

 

世の中が女の人は、男性に選ばれる性で。

 

きれいかきれいじゃないか。

もう見た目で分断されるじゃないですか。

 

女の人の体型ってとっても大事で。

あとは、もう無意識レベルで、家事は女性がするもので。

男の人はどんと家で構えて何もしないみたいな昭和の象徴の親元で育ってきているので。

 

女の人はこうあるべきみたいなものを目の前で見せてもらっていたし。

お母さんがすごく苦労してきたところも見てきた。

雑誌でもあと5キロ痩せて彼を魅了するみたいなのばっかり雑誌とかテレビでは取り上げられているし。

 

女の人はいつまでたっても、狼にはなれず、赤ずきんちゃんで、男性に求められて性を満たすみたいな。

なんかそういう風潮を無意識レベルで感じ取っていて。

 

女の価値は見た目と、男の人を立てたり、気がついたりとか。

なんだろうな。

そういう風潮を私は上手に受け止めて自分の中で折り合いつけることができなかったんだなって。

 

学生時代は男とか女とかそんなに意識しないで、中性的な生き方ができたんだけど。

社会に出ると、やっぱり自分がものすごい努力して成果を出したとしても評価されたり、出世するのは男性みたいなのも

経験しました。

 

男尊女卑っていうのは、まだまだ残っているわけだし。

 

なんていうのか、どこかで女は損だとか思っていたのかな・・・・

でも、外では求められる女をやらないと生き残れないという。

部内競争を女子としていて、男子には求められる自分でいられるようにって演技して。

 

疲れるから、一人になると、過食して、たまったストレスと、納得できない思いを食べ物を吐くという行為で

代償行為を行っていたのかもしれない。

 

ここで、自尊心とか、自己肯定感とかがあったら、ここまで周りが求める人とかを無理に演じるところまで

やらなかったんだけど。

 

寂しいし、誰かに愛されたいし、周りに合わせることに必死だったしで。

自分を見失うほど、世間様が求める女っていう性を演じなければならないって思いこんでいたんだな・・・・。

 

過食嘔吐が治ったのは。

ある意味自分に期待しなくなって、こんなものかもしれないなというある意味でのあきらめ。

人生ってそんなの楽しいものではないですねとか。

仕事って暇つぶしですねとか。

人間って不完全ですねとか。

 

そう気がつけるあたりに、緩さがでて、自分を理解できはじめて、無理しなくなって結果、過食嘔吐が少しづつ減ってきて。

最終的には、過食嘔吐って、まじで疲れるって結論になっていったな・・・・。

お金もたくさん使うし、食べて吐くのってエネルギー相当消耗するしね。

 

ま~エネルギーありあまっている人が過食嘔吐になるらしいですけど。

 

妊娠した時も。

あ~あたし女だったんだ・・・・って思うほど、自分が女であるという意識がないんですけど。

そろそろ女である自分を受け止めたい。

もうすぐ37歳になるのに何いってんだって感じだけど。

 

中性的な自分でいたいと願うのは、世間でいう苦しんでいる女性みたいな大人になりたくないという自分なりの抵抗だったのかもしれない。

求められる性である、女の部内競争みたいな戦いから逃げたかったのかもしれない。

 

でも、あたしは女だし。

体だって女なんだ。

この女であることを認めることと、受け入れることで。

 

男性から性の対象に見られる。

恋愛の対象として見られることにも違和感を感じないでいられるようになりたいものだ。

 

強烈に女であることと、自分のセクシャリティを拒否していると、女であることを忘れてしまう。

 

別に美容とか気にしてるんだよ。

髪の毛傷まないように、オイル塗ったり。

美白したり。

おしゃれ好きだったり。

化粧大好きだったりね。

 

やってることは女の人が好きなことばっかりなんだよ。

でも強烈に、女っていうのを抑圧してんだよあたし。

自分のセクシャリティも強烈に抑圧してんだ。

 

これは・・・・・顕在意識では解放できないのかな・・・・

潜在意識が、大人になりたくない!!っていってるんだからね。

 

まだまだ私の自分への解放は続きますな・・・・・。

 

 

 

共依存の末期の人と、話をしていると。

わけがわからない。

共依存末期の人って基本的に、混乱している。
だから、相談されても、何がいいたいのかどうしてほしいのか話から汲み取れないことが多い。

アドバイスが欲しいというより、話を聞いて欲しいだけなのだろうとも思うけど。

話があっち行ったり、こっちいったりして。わからん。

基本的に、共依存の人って目には見えない境界線が引けない。

例えて言えば、ある二人が道で出会って、片方が握手を求めてるのに、片方は、それを無視して抱きついたなど。

これも境界線超えである。

相手はどこまで自分に近づいてもよいかを握手という形で示しているのに。
それを無視して抱きつくのは、抱きつく人が、境界線が引けない人なのだろう。

他にも、ある程度の年齢の娘がいるのに、裸でお父さんがリビングをうろついているというのも、また境界線がひけないことになる。
お父さんもひけないし、娘は境界線がわからず、こーゆータイプは性的ないたずらがされやすかったりするそうな。  

自分の問題を人にやってもらおうとする人も境界線がひけない。
やってあげてしまう人も境界線がひけない。

境界線がひけないということは、危険な目にも会いやすいし、傷つきやすいらしい。

もちろん私がお母さんのぐちを子供なのに聞かされたのも、境界線超え。
子供の精神年齢考えないで親の問題を感情的にぶつけるのは、あたしへの虐待でしかないし、もう一人の親に甘える道も絶たれる。
親は子供を安心させるのに、子供に安心させてもらおうとするのは境界線を犯しておりひけていない。
あたしは、境界線をどんどん侵されておかしくなっていった。
嫌だと言えない分私がとった方法は、忙しくしたり、自分の素性をすべて明かさないことでコントロールされないように、距離が近くなると捕まる気がして、近場で親密な関係を作らないというルールを持つようになった。

親が境界線がひけないと、子供もひけない。
自分を守るためのものでもあるし、人を傷つけないためのものでもある境界線は非常に大切なものだが。

目には見えないから分わかりにくい。
境界線って概念もない人は多い。
共依存の人は境界線が引けないので、自分も傷つけてるし、人のことも傷つけている。

コミュニケーションのとり方はとてもいびつだ。
問題のある人ばかり引き寄せたり愛してしまう。

境界線引けない代わりに使う壁は。
怒りの壁
恐れの壁
沈黙の壁
あと一つ忘れた笑 

らしい。

常に怒っている人は、怒ることで、周りに気を使わせて自分を守っている。
これは回避依存症の独裁者とかにあてはまるのかな。
偉そうにして、いつも上でいれば、コントロールしていれば、傷つかないでいられると本気で思っているような気がする。というより、こんな方法をもしかしたら、親からコピーしているのかもしれない。


私は恐れの壁を使っているので、人と近い距離にならないようにしていた。
人を恐れていたから、見捨てられないように、傷つけられないように、嫌われないように、適度な距離を作り、それが実はかなり遠かったんだけど、自分をさらけ出さない距離で、自分を守ってきた。

これが回避依存症の脱走者の真相なのかなと。

沈黙の壁も。
よく回避は使うよね。
わからないようにしてごまかす。
煙にまくみたいな。  

なんかあれだね。
境界線がうまくひけないから自己防衛的にとっている行動があって、それはいつしか無意識レベルでやってるから、本人も自覚できないレベルまできててさ。

恋愛相手や職場でこの自己防衛について、とやかく言われたりして。
無意識にやってることだから、なんか責められたり、攻撃されたりして、なおさら意固地になるというかね。うるさーい!みたいに思ったり。

境界線の引き方とか教えてくれる人がいたら、こんな生きにくい壁なんて作らなくてもよくなるのに、自分の守り方わかんないから、身につけた壁なんだけどね。

それのこと文句言われまくってもしんどいよなーとも感じました。
言われてたときしんどかったなー。
ま、あとから言ってくれてよかったと思えるかどうかは、本人次第だけど、いってくれた人と仲良くなることはなかったな。 
だって、だめとは言うけど、具体的にど〜したら、その壁をとってうまく境界線が引けるのかなんて教えてくれる人はいなかったから。
境界線の引き方教えてくれたら、自己防衛で使ってる壁だってとっぱらえるわけなのにさ。
壁だけどれって言われたらさ、丸腰で傷つけられるだけなわけじゃん。
そんなのできないじゃん。


あと、回避についてネットで調べると。
回避は結局は自分のことしか愛してませんとか、自分が可愛いんですとか、かかれてて。
なんか悲しいなーと感じてます。

そんなに器量がないわけではないと思いますよ。
仕事でもお金を稼いでパワーがある力がある人間になるために、どんだけ努力してきてると思っておりますか?みたいな。

相手を惹きつけるためにどんな努力してきたと思っていますか?とか。

人一倍頑張ってきたところありますよ。
それを自分が可愛いからの一言で済まされたら、なんか辛いわ。。と思ってしまう。

ま、でもそ~見えるのかもしれないですね。
言われたら、心閉ざしますよ。

とまー、共依存の本読んでたら学びがありました。

私は今旦那様に境界線の引き方を教えてもらっているので。
なんか恐れの壁とか。
親密になって嫌な目に合わないようにと回避する癖が減ってきましたよ。

最近できるようになったのは。
ドタキャンされたら、相手に失礼だね!と怒れるようになったこと。仕方ないよいろいろあるもんねと我慢しなくなりました。
あたしはドタキャン嫌いなんです!
ドタキャンするなら、リカバリーしてくれないと許せません。
軽く扱われてるようにしか思えませんもの。

そして、その人ともう関わらなくてもいいかなとか思えるほど執着も弱くなりましたし、どーでも良いや~、流れに身を任せようという、グレーができるようになりました。  

あと、そーゆー嫌な気持ちがある人に嫌な気持ちが、あるときにあっても仕方ないので、誘われても今は会いたくないと言えるようになりましたし、嫌な気持ちになる人にはなるべく気持ちが覚めるまで会わないようにすることを自分に許可できましたよ。

自分のこと大切にしてくれない人のことなんて、こっちも大切にしなくてよいのよね。

って自己肯定感が上がったからできるのよねきっと。







 

 

 

知らぬ間にアマゾンで買っていたらしく。

家に届いた時にこれはなんだ?と思ったものでした。

今でも買った記憶がない。。。。

 

せっかく買ったから読んでみようと思ったら・・・・・

 

あ~~~~。

過去のあたしだ~って

眠くならずに、読めたので今の私の波動で大丈夫な内容だったみたいですね。

一緒に買った共依存と児童虐待とかいう本は、少し読むと眠くなって寝て。

起きてまた読んで、眠くなって寝てという繰り返しで、読むのに時間かかったし、頭に内容がなかなかはいってこなくて大変でした。

でも、あ~~~~~と思える内容で。

気づいていなかったことが書かれていた。

 

本って今の自分にあっているものや、過去乗り越えたことについて記載されている場合は、

さらっと読み終えるのに。

 

今の自分に気づきがあって、自分より波動が高いものだと、潜在意識がまだ怖いよ~とかいうのかわからないけど。

眠くなって読めなくなるということが幾度となく起きた。

 

ちなみに、4年くらい前に読んだ本で、その時に、この眠いというのが何度も起きた本を今読んだら。

さらさら読めたわけだし、なんでこの本にそんなに衝撃を受けたんだ?っていうくらいの内容で。

 

よっぽど過去の出来事になったんだな・・・・ということを感じることもあった。

 

 

ま、ま、ま、ま。

話は題名の世話するのやめた!!に戻って。

 

結局親との関係をそのまま今でもやっているっていうオチ。

お父さんとお母さんが仲良くなかったので。

 

お母さんの愚痴を聞いて育った私です。

私に巻き起こるいろんな不安や感情を受け止めてもらう機会がないまま成長したので。

親に守られて安心するっていう経験が圧倒的に少ない私は。

安心感ってなんだかわからなかったんですよね。

だから、とっても不安が強い心配性な子になりました。

 

誰かに頼るっていうのも親に頼れなかったので、早々にあきらめる子になって。

自分で得られるものは得て、得られなさそうなものはあきらめるという子になりましたね。

 

困った時は誰かに頼るっていうアタリマエのこと学びませんでした。

 

お母さんに、お父さんの愚痴を垂れ流されたため。

幼少期から親の心の面倒を見るという役割で生きてきました。

 

これは、完全なる情緒的虐待らしいですね。

境界線を侵されている。

ま、お父さんは放置でしたので、これも情緒的虐待ですけどね。

 

私は両親から虐待されていたんだな・・・・。

んで、親自身も境界線を引くということができないから、私は線を引いて人と接することができない。

親の境界線を子供はコピーするものらしいです。

だから、とても傷つきやすく、人との距離感を図ることができない人になった。

 

大人になって、自分を守る方法として境界線の代わりに身に着けたものは。

 

恐れの壁で。

人と近い距離にならないようにすることで、傷つきやすい自分というものを守った。

これにより傷はつきにくくなったかもしれないけど、人と親密になることがなく、孤独感を強くして

いった。

 

これがきっと回避依存症を引き起こした一番の要因ではないかと考えている。

 

そんなこんなで、私は回避依存症と恋愛依存症両方を持っている。

 

恋愛依存症という症状では。

相手の男性を愛しすぎるという症状を起こした。

 

本当は自分が助けられたいのに。

なぜか、相手を助けることに生きがいをもってしまう。

これは、遠まわしに、相手を助けることで、自分も救われたかったのだろう。

 

相手の役に立つことで、必要とされることで、つなぎとめようとする。

 

相手に愛されるためにばかり意識が向き。

相手の喜ぶことを必死でやる毎日。

相手の世話はするのに、自分の世話はしない。

 

私ががんばれば。

私が変われば。

私が努力すれば。

 

その後にでてくる言葉は報われるだったのかもしれないな・・・・。

 

選ぶ相手は世話ができる人。

問題がある人のほうがいい。

 

問題のない人だと、居心地が悪いのだ。

 

これは、ずっとお母さんの愚痴を聞いて育った癖なのだろう。

 

私の要求を聞いてくれるという気もしないし。

何もしなくても愛されるという心地よい経験もないわけですから。

 

誰かとつながる方法が、私は誰かの愚痴をきいたり、世話をすることだった。

 

会社でも、一生懸命仕事できるようになって、必要とされることで、その場にいてもいいんだと思えるほど、私の自尊心は

低かった。

 

今産休にはいって、仕事をしなくなって、家では本当にだめ人間っていうほど何もしていない。

こんな何も産み出さないあたしでいいのか?って考えて落ち込んだりしてしまったりもしてしまう日もありますけど

 

もともと怠け者な私は。

何かおしりに火がつくから、一生懸命やるところがあるみたいで。

 

今は何もがんばれませんし。

誰かの世話するのも嫌になった。

 

今までの反動かもしれない。

もう疲れた。

役にたつ自分とか。

おおらかにいる自分とか。

相手の世話したり、愚痴をきいたりの良い子をやることに疲れた。

 

友達の愚痴を聞いて、ありがとうって言われることで、助けられなかったお母さんへのリベンジをしているところもあるし。

結局その方法が一番安心する人とのつながり方だった。だから相手が困っている必要があった。

 

だから困っている人を見つけては、大丈夫?と話しかけて親密な関係になっていく。

そして、相手だっていつまでも困っているわけではないんだから、いつか離れていく。

またはずっと困っているケースだと、大概、何かしらの依存症を持っているか、問題を抱えているわけで。

やっぱりそういう人は混乱しているので、約束してもドタキャンされたり、我慢することや、気を使うことが多かった。

 

今回、最初になぜ買ったのか覚えていない本を読んで、もうこういうの辞めようと思った。

別に問題を何も抱えていない人と、それなりのつきあいをしていこうと思えるようになった。

世話する方というより、どうやら私は世話されるほうが向いている。

甘えん坊だし。

根はとてもめんどくさがりだ。

 

面倒みてもらう方が私は実は向いている。

 

そして、今まで誰かを好きになったことがあったのだろうか?と本気で考えたら。

恋愛依存症だったのもあるし、回避依存症だったのもあるし。

 

なんか現実見えていなかった気もするから。

わからないという答えがでた。

 

私の中では本気でこの人!!って思った人は数人いたんだけど。

ノイローゼになるくらい相手のことを考えて、反省したり。

苦しんだり、自己犠牲してみたり。

思いやりを持ってみたり。

本当エネルギー注いできたんだけど。

 

それも愛だったのか、好きだったのか。

不明だな。

 

昔の彼氏に。

「誰かのこと好きになったことあるのか?」って言われたことがありました。

 

あれって、痛烈な嫌味だな・・・・・って思ったけど、当たっているなとも思わない。

 

私の中では相手のことを本気で好きになっていたと思っていたし。

それを言われた人のこともノイローゼになるくらい好きだったんだけど。

 

相手にそう言われたということは、私の行動にとても問題があったのだろうなと。

でも、それを私にいったその人だって、自分が傷つかないように自分を守って、客観的に私の行動みて。

裁いているだけだったようにも思う。

 

ま、そういう言われた時に、得意のだまりを決めてしまったわけですけど。

 

とりあえず、なんか導かれるように読んだ本が目からウロコってことがあるものですね。

ぜひ読書おすすめします!!