ガチで危機感持ったほうがいいと思う | 月5万円で暮らす弱者男性のブログ

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30代、妻1人子2人、年収500万円。仕事は親のコネ入社、妻は許嫁、住まいは実家、車は親に買ってもらった・・・そんな無気力弱者男性のブログ。

 

 

上の動画が最近ばずっているそうです。

僕の感想をまとめるとこんな感じです。

 

 

この動画のジョージさんというかたは、ネタとして強者男性の生き方を啓蒙しているようです。

ネタとしてみれない弱者男性の反感を買ったり不安を煽ったりしてしまって、ばずっているようです。弱者男性は不安なのです。

僕はジョージさんの啓蒙とはまったく逆の生き方をしてきまして、スポーツをしたこともないし、人と意図して競争したこともないし、何かを頑張った経験もないです。典型的な弱者男性です。

僕のような生き方をした場合どうなるのか、ジョージさんのいうように本当にやばくなるのか、ちょっと見てみましょう。

 

僕は田舎に生まれました。

1km四方に人が10人くらいしかいないレベルの田舎です。

 

小学校まではいじめられたりしながらも順調?に育ちました。テスト結果の順位とか出ないから、自分の立ち位置とかわかりませんでしたけど。

 

中学校に進学し、数学の「正の数と負の数」でつまずきました。僕の地頭のレベルはこのくらいです。

危機感をもった親に軍隊のような塾にぶち込まれ、ひたすら勉強させられました。

中学生の勉強なんて、時間をかければできるようになるので、成績がよくなりました。

部活が強制だったのでバレーボール部に入りましたが、1週間でいかなくなりました。

中学生なりに、プロになるわけでもないのに一生懸命練習しても時間の無駄だろうと思ってました。

部活の練習には行きませんでしたが、所属はしていたので、大会で勝ち進むと通信簿に◯◯大会ベストエイトとか書かれてました。

これは最高にコスパフォーマンスがいいと思いました。いや実際には何もしていないのに内申点が加点されるのだからコスパはいいのですが。このころからすでに弱者男性の片鱗が見えております。

部活やらない分なにかしたかと言われるとなにもしてません。寝るかゲームしてました。

高校受験の時期になり、みんな勉強し始めると、すぐに成績は追い抜かれました。僕は家の近くに有名な進学校があるので、そこに行けたら楽だなあと思っていたのですが、みんなの学力が伸びるにつれてどんどん模試の合格判定が悪くなっていき、合格が怪しくなりました。

ただ、ここで光明が差しました。今までの成績の貯金があったのと、部活の実績の内申点(僕は何もしていない)があったので、推薦が使えました。

模試の判定では合格率がかなり低かったのですが、無事に最寄りの進学校に合格できました。

戦わずして目的を達成できたのです。戦ったら間違いなく負けていたので本当にラッキーでした。そして、僕は人と戦っても勝てない弱者だと薄々感じ始めた時期でもあります。

 

晴れて高校生になりましたが、高校生活で書くことはとくにありません。

部活、委員会活動、バイト、どれもやりませんでした。進学校なのでバイトは禁止でしたが。

じゃあ何をやっていたかというと何もしておりませんでした。

授業が終わったら風のように学校を去り、通学途中に古本屋がいくつかあったので、ひたすら立ち読みしていました。お金がなくて買えなかったので。

地頭的に授業についていけるか心配でしたが、進学校とはいえみんな中だるみをするし、部活や色恋にリソースを割くので、そういったものをやらない(できない)弱者男性の僕は、なにか意図的に努力をしたわけではないですが、意外と成績は悪くありませんでした。また推薦を受けれたらいいなーと高校1年生の春から思ってました。一般入試では絶対勝てないので。

大学受験の時期になり、みんな勉強し始めると、すぐに成績は追い抜かれました。僕は家の近くに国立大学があるので、そこに行けたら楽だなあと思っていたのですが、みんなの学力が伸びるにつれてどんどん模試の合格判定が悪くなっていき合格が怪しくなってきます。やはり弱者は戦いでは勝てそうにありません・・・。

ただ、ここで光明が差します。今までの成績の貯金があったのと、有名な進学校ということがあり、推薦が使えました。

模試の判定では合格率がかなり低かったのですが、無事に最寄りの国立大学に合格できました。

推薦ってすばらしい。早く受験が終わったので大学に入る前に自動車教習所に通って免許とってました。

 

晴れて大学生になりましたが、大学生活で書くことはとくにありません。

花の大学生ともなると、いろいろなことが解禁されるので、部活、サークル、バイト、社会活動とみんな大忙しです。

僕はどれもやりませんでした。自慢じゃないですが、自分の大学の文化祭に行ったことがありません。1週間休みなるやったーくらいにしか思ってませんでした。

バイトの掛け持ちキツイとかの話をきくと、なんでみんなやらなくてもいいことを率先してやるんだろうと本気で思ってました。やりたいことがあって、でも金が無いなら、やらなければいいじゃない。なんでわざわざ疲れることをやるんだ?

じゃあ何をやっていたかというと何もしてませんでした。ひたすら友達とMMORPGをやっていました。

ちなみに田舎の風習として免許をとると車を買ってもらえます。僕はフィットを買ってもらいました。34歳になる今でも乗っています。僕は印鑑登録をしていないため資産をもてないので、未だに父親名義です。

地頭的に授業についていけるか心配でしたが、国立大学とはいえみんな中だるみ・・・とはならず、大学になってくるとみんな自分のキャリアについてそれなりに考えだすし、高校までとは違ってやりたい勉強をしにきているわけで、夢に向かって精力的に努力し始めていました。

僕にとっては授業のレベルが高く、受験勉強をしてこなかったこともあって、まったく授業についていけなくなりました。しかし大学なんでやり方はいろいろありました。試験は全然できませんでしたが、出席点や提出物が加点される科目を選んで、なんとか切り抜けました。

ただし、なにか専門的な知識が身についたかといわれれば、まったくNOです。すべてその場限りのものでした。

 

社会人手前のここまでで、僕は受験勉強、部活、バイトその他もろもろの経験がなかったし、やりたいこととか、欲しいものとかがなかったのです。

というかなんでみんなあったんだ?やれって言われた?どこで学んだ?僕にはそんなタイミングなかったけど?今思い返しても不思議です。

ちなみに、習い事もやったことがありませんでした。両親いわく、なにか習いたいと言い出せばすぐに習わせる心積もりだったらしいのですが、僕は何も言わなかったそうです。

 

そして就職活動の時期になります。今の就職活動がどんなものかわかりませんが、僕の頃はまず自己分析をしてみよう!というところから始まりました。今まで経験から、自分が興味があること、やりたいこと、適性があると思うこと、雇用条件から、業界を選ぶ。業界を選んだら企業研究をする。みたいな。

さーて就職なんかしたくないけどやってみっか!ということで自己分析を始めましたが・・・、僕にはなにもありませんでした。本当になにもありません。何かに興味を持ったこともなければ、やりたいとおもったこともないし、なにもやってこなかったので得意不得意もわかりませんでした。

いきなり詰んだのですが、生きていくためには残念ながら会社に勤めて働かねばなりません。

なにも就職活動の基準がない中で、とりあえず車に乗ってる(父に買ってもらった)から車関係の会社にすっか!というまったく意味のわからないことを考えて、車関係の会社に狙いを定めました。

 

採用はすぐに決まりました。車のアフターパーツを作成している会社です。職種は電気系のエンジニアです。国立大学出身だし、そんなに有名な企業じゃないので、すんなり合格しました。

 

勤務先が東京だったので、家を出て一人暮らしを始めました。

このときはとてもわくわくしていたのを覚えています。部屋の内見がすごくたのしかったなあ・・・。

 

そして働き始めますが、ここで僕の問題点が一気に吹き出ます。

・頭が悪い

・働くための前提知識がない

・部活、サークル、バイトをやっていなかったので、人との付き合い方がわからない

・体力がない

・常識がない

・メンタルが弱い

・努力の仕方がわからない

・意図してやる勉強の仕方がわからない

・向上心がない

・主体性がない

仕事はもう本当に大変でした。いや仕事になっていませんでした。今思い返しても地獄です。

なにやっても怒られるし、相手がなぜ怒っているかわからないし、仕事のやりかたはわからないし、人との付き合い方はわからないし、どうしたらいいかわからないし・・・。

 

会社自体はすごく良い会社だったと思います。

趣味性が高いものを商品にしている会社だったので、一緒に働いている人たちの熱量はすごいものでした。

このプログラミング言語にこういう機能が実装されたのでさっそく実装してみましたとか、こういう素子が発明されたので、こういうことが低コストで実現できるようになりますねとか、家にものすごく高い電気の測定器具があって、日々なにか研究しているとか、そんな会話が業務をしていないときでも飛び交っているような職場でした。

電気設計、メカ設計、プログラミングまでできて挙句の果てに勝手に営業して案件取ってきて試作して量産の工程組んで商品化まで1人でやりとげるもうお前1人でいいじゃん的な人とかもいました。

なんなら自分のもともとの趣味をやってるだけでついでに給料を貰えてるみたいな。そんな人達だらけでした。強者男性たちです。

ちなみに僕は電気分野を専攻してきたのにテスターも持ってなかったし、半田ゴテもやったことがなかった。だって買えって言われなかったし、半田ゴテの授業は選択だったし。

 

そんな会社だったので、僕は言葉が通じない外国に1人放り出されたようなものでした。話の通じる人が一人もいない。外国行ったこと無いからわからないけど。

たぶん配属された部署のほうも大変だったと思いますけどね。

一見まともな経歴のやつが来たのに全然使えないし、むしろ足をひっぱるんですから。

これはもう無能な人事のせいです。使える人材はどこでも使えます。使えない人材をどう使うか考えること、そもそも採用しないようにすることが仕事ですから。僕も部署もいい迷惑です。

 

日本の労働者は守られているので解雇はされませんでしたが、この人たちとは仕事していけないなと思い、早々に見切りをつけて退職しました。在職期間は2年間、退職金は8万円でした。

なお、退職するまでに業務時間外で努力をしたかと言うと、何もしていません。当たり前ですよ、自己研鑽は労働時間に入るんですよ?

 

このとき24歳。まとめると部活、バイト、サークル、社会活動、受験勉強、意図的な努力をやったことのない数え役満の弱者男性が社会に出て挫折したってことです。

 

社会に敗北して退職した僕は実家に帰り、しばらく無職をしながら今後のことを考えます。

もう働くのはこりごりでしたが、残念ながら働かなくては生きていけません。

新卒カードは失ってしまいました。第2新卒として就職するという考えもありましたが、総合職と言うか幹部候補生というか、向上心を持って主体的に取り組んでいく立場は、僕には向いてないなと感じました。

 

僕が働き続けられる仕事には、

・向上心、努力、主体性を求められないこと

・決められたことを決められたように処理する仕事であること

・成果を求められないこと

この条件が必須です。なお、自分を変えようなどとは微塵も考えておりません。弱者男性なんで。

 

そんな仕事あるのか、そもそもどうやって探すんだ、と思いましたが・・・、またしてもここで光明がさします。

 

無職の僕を見かねた父親が取り合ってくれて、

父親の知り合いの組織にコネ入社することができました。

 

僕の地元では有力な組織です。

仕事はデータ入力と社内の雑務。経理の人に提出するデータを打ち込んだり顧客情報をまとめたり、敷地内の植栽の剪定をしたり、社内を清掃したり。

収入は25歳で年収400万円。34歳の今で年収500万円。(同年代の職員と比べると安いです。僕は大満足ですが)

残業なし(会社の利益に貢献しているわけじゃないのでさせてもらえない)。

社会で通用するスキルや実務経験は何も身につかないですが、はなからそんなものに興味がない弱者男性の僕には最高の仕事です。厚生年金だし、25歳で入社して、もう10年間働いています。

 

とりあえず就職したところで、またしても人生に光明が差します。いえ、青天の霹靂といったほうが正しいですが。

父親が僕のお見合い相手を見つけてきます。

このとき僕は26歳。

僕の地元では、共通の知人が仲人をしてお見合いとか、親が親戚知人から相手を見つけてくるということがまだまだあります。

今回父親が見つけてきた相手は、2つとなりの村に住んでいる遠い親戚の人で、ちょうど同い年、役所勤務の公務員の方でした。

見た目はスマートな篠崎愛でした。

僕の人生の数少ない良いところなので2回書きます。

見た目はスマートな篠崎愛でした。

人によって好き嫌いはあるでしょうが、僕のような弱者男性にとっては望むべくもない容姿でした。

なんでも、本人が色恋には積極的ではないようで婚期を逃しそう、ちょうど親戚に同い年の男がいるので合わせてみようという話が親戚間ででていたそうです。なんてラッキーなんだ。

というか結構な上玉だと思うのですが、周りにいいる男性はアプローチしなかったのかな・・・。弱者男性だったのかな。

 

そのとき齢26歳の僕は、女性とお付き合いしたことがありませんでした。(お見合いで結婚したので34歳の今でも付き合ったことはないと言える)

絶対うまくいかない、初見で振られると思いましたが、せっかく父親が持ってきてくれた縁談だし、コネ入社で就職させてもらったのにメンツを潰すようなことはできないと(僕にはしてはめずらしく)考え、お見合いを受けました。僕は長男なので、家を守る必要もありますしね。

 

お見合いの結果は・・・、まあうまくいきました。絶対うまく書けないので詳しくは書きません。

今は結婚して9年です。意思が希薄で気持ち悪いとよく罵倒されますが、家族仲は良好です。共働きで、2人の子宝に恵まれております。

 

結婚したら今度は住まいです。

共働きなので家を建てることもできましたが、妻がどちらかの実家でいいというので、家は建てないことになりました。

じゃあどっちの実家に住むかということになります。たまたま、僕の実家に使っていない居宅があったので、そこに住むことになりました。田舎ではよくあることです。おかげで家賃もローンもありません。

共働きなのに、僕の実家に住んでくれるし、可愛い・・・僕の人生で一番価値があるものは間違いなく妻です。僕はなんの努力もしていませんが。

 

そして今にいたります。

 

前回記事から数えてみたのですが、僕の人生では

・高校受験

・大学受験

・就職

・結婚

の4回にわたって光明が差し、人生なんとかなってきました。

 

そして、齢34歳になる今に至るまで、僕は一度もスポーツをしたこともないし、人と意図して競争したこともないし、何かを頑張った経験もないです。

あんまり僕みたいな人はいないと思います。

 

ですが、何故か割のいい仕事にありつけて、家族にも恵まれています。

 

結論です。

「僕はジョージさんの啓蒙とはまったく逆の生き方をしてきまして、スポーツをしたこともないし、人と意図して競争したこともないし、何かを頑張った経験もないです。典型的な弱者男性です。僕のような生き方をした場合どうなるのか、ジョージさんのいうように本当にやばくなるでしょうか。」

 

なんとかなる。

 

 

「その通りだ!デブ!クソまじめに登る努力するこたぁない!神様に任せりゃケツに奇跡を突っ込んでくれる!」ハートマン軍曹 フルメタルジャケット