共依存が厄介なところは、「動機が善意」だからだ。
いや、善意かと言うと実際には違うんだけど
共依存状態になっている当の本人は
ピュアな善意だと認識しているところだと思う。
そしてその善意を軸にして共依存的思考を構築するので、自身の共依存行動を「相手のためを思って」の必要なことだと定義してしまうので、向けられた相手がそれに抗うことが難しくなってしまう。
抗う側がおかしい、みたいな構図になりやすい。
モラハラが身体的虐待みたいに暴力的な恐怖を伴うわかりやすい特徴を持つのに対して、共依存はその逆。
ゆっくり真綿で締められるような緩やかな、傍目にはわかりづらい愛情という名の支配構造。
どちらも支配、コントロールである。
表裏一体の存在。
いや、同じと言ってもいいかもしれない。
モラハラは罵倒で威嚇し、時には無視やドアバンなど態度で恐怖を植え付けて支配しコントロールすることで安堵や万能感を得る。
共依存は管理や監視や凝視、悲しそうな表情や過剰な世話焼き、心配や思いやりとして必要とされる必要を生み出して支配コントロールをすることで安堵を得る。
かつて私もそうだったから言い切るのはとても辛いが、同じだ。
モラハラ被害者が
「わかってもらいたい」と願うことは健全かどうかで言えば健全。
人間がわかってもらいたいと願うのはもう人間らしさ以外の何物でもないほどの人間的欲求だから。
「モラハラ加害者がどうにかまともな人間に変わってもらいたい」
ここも致し方ない願い。
だけど
「モラハラ加害者を私の力で変えてみせる」
これは共依存。
私からすればモラハラ対処法も、やり方をモラハラ寄りにしてみるだけの共依存行動だと認識してる。
モラハラ対処法をするなら、脱出を決意し、決行前までの体力と精神力の温存のためなら有効という認識なの、私は。
この感覚は浮気詮索とも似ていて、離婚を決意した上での詮索で証拠集めならどれだけしてもいいと思っている。
しかし、浮気を疑って安心を得たいが為の詮索である場合、証拠がザクザクと出てきたら傷つくし、責めても解決しないどころか、相手はもっと用心するだろうし、逆に何も出なかったとしても「消したんだわ」と疑惑は膨らむばかりで一向に安心することはない。
安心を得たいが為の行動のはずが、決意を伴わないために共依存行動となる。
管理したいの。
全部わかっていたいの。
わかっていることが必要って思ってるの。
支配してくる側の不備を見つけることで楽になりたいの。
楽になれないのに、そのやり方を手放せないの。
それはモラハラ加害者との生活に心底辟易しながらも離れられないこととも同じ。
もちろんわかってるよ。
子どもを抱えていて経済的な理由があること。
私は理想論でこれを言ってるわけじゃない。
どれだけ怖いか知ってる。
でも脱出を遂げた私のクライアントさんの多くがこう言うの。
「時間の使い方間違えました。人生は有限だってやっと気付きました」って。
そりゃそうよね。
モラハラからの脱出で1番多い世代の40代中頃から50代になってやっとモラハラ加害者から離れた時。
子どもたちはもう成長しきっていて、共依存を学び終えていて。
ようやく手にした自由を謳歌しようとしたら更年期なんだもん。
モラハラ加害者があなたを縛りつけていたのか、それともモラハラ被害者がそこに居続けることに固執したのか。
そうした本質に目を向けざるを得なくなるから、脱出後に辛くなる。
脱出前に想像していた、お金とか育児の恐怖を遥かに凌駕するよ。
共依存からの解脱は。
だから脱出後には、子どもに対して共依存をやってしまう。
対象をモラハラ加害者から子どもへとスライドしてしまう。
「子どものため」と信じて。
不登校も同じメカニズムだと私は睨んでいる。
「子どものために、私が導かなきゃ子どもがダメになってしまう」
「子どもの未来がダメになってしまわないように、私が助けなきゃ」
「このままじゃ子どもが不幸になってしまう」
「子どもが学校に行くためにはどうしたらいいのだろう」
「子どもをまともな人間にしなきゃ」
と、先読み深読み、先回り、声かけ、世話焼き、子どもの様子に一喜一憂、右往左往しているとしたら、これも共依存。
冒頭にも繋がるけど
「モラハラ加害者をまともな人間にさせなきゃ」
「私の働きかけでいい夫婦になれる」
とするのも共依存。
そのどれもに
強い「わたし」の意思があるようで
実のところは無いんだよ。
あるのは常に
「自分以外の誰か」をどうこうしようとしてる。
ドラキュラの胸に銀の剣を突き刺すようなことを言っている自覚はある。
だけど私も通った道だから言う。
あなたは誰かをどうにかすることはできないよ。
誰かをどうにかしようとしちゃいけないんだよ。
あなたが誰かをどうにかしようとするところに、問題は生まれるよ。
頑張っているあなたを否定したいのではない。
でもあなたの「自分以外の誰かをどうにかしなければ」という頑張りが問題を生み出していることを私は伝えるよ。
誰かをどうにかすることばかりで頭がいっぱいで、あなたの中にあなたがいないことが問題なんだよって私は伝えたいの。
それはモラハラ加害者の中身が空洞なのと似ているよ。
後出しジャンケンしか出来ないモラハラ加害者が実は怖がりで空虚なのと似ているよ。
「あなた自身に集中してください」
って言ったらみんな口を揃えて言う。
「自分の楽しみとか喜びがわかりません」って。
「私の喜びは子どもの不登校が治ることです」って。
お母さんが目の前で、自分自身の楽しみや喜びを見出せないのに、「子どもに学校行くと楽しいことがあるよって毎日声かけしているのに行かないんです」って言う。
お母さん自身が毎日を楽しんでいないのに、子どもには楽しみを見つけなさいって言う。
お母さんは子どもの一挙手一投足をガン見して、子どもの毎日と未来を憂いて見張ってる。
やめなよ。
自分の楽しみや喜びがわからないのは子どもも同じだよ。
自分がお母さんを悲しませていることだけがわかる毎日で子どもに活力がみなぎるはずがない。
子どもだってお母さんの振る舞いや生き方から存分に共依存を学んでる。
つまり子どもも、悲しそうな素振りでお母さんをコントロールできるってこと。
お母さんの弱点を1番熟知しているからね。
お母さんの使い方を1番知ってるわけ。
私はある日、自分のこの状況が3Dみたく見えたんだ。
脱出して1年か1年半ぐらいだったかな?
詳細は忘れた。
その時思った。
「私にできることは何ひとつない」って。
いや違うな。
「私が私以外の誰かをどうこうできることは何ひとつない」って。
「私にできることは、私のことだけなのだ」って。
私は無力なのだ、
私が自分以外の子どもや誰かをどうこうできると思うことは傲慢極まりないことであった、と。
私が私自身の楽しみも喜びも見出せないくせに、子どもだけは幸せになってほしいだなんて、楽しみや喜びを見出してほしいと願うなんておかしなことだって。
だからホステスしたんだ。
子どもへのガン見を強制終了。
強制終了するなら物理的、かつ時間をお金に変えてやる!と。
怖いよ。
ほっとくわけだもん。
だけどここまで壊れた家族。
子どもらみんな不登校。
日がな一日ゲームや暴言の嵐の中。
何を今更怖いねんって。
ええい、どうせ壊れてるんや!
私は私のことだけやってやる!って開き直った。
何度も言うけど、怖かったよ。
だって私がいない時間が増えることで子どもらが犯罪したらどうしようとか、あったよ。
取り返しがつなかなくなったらとかね。
でももう私にできることはないってことに平伏した。
私が生んで育てた子。
どうか乗り切ってくれと祈り自分に集中した。
子どもと強固に結ばれた共依存関係が崩れた時、子どもたちは激しい抵抗を見せた。
全部無視した。
時に戦った。
とにかく私は、がむしゃらに私以外の誰かではなく「私」に集中した。
そしたら1年ぐらいしたらみんな学校に通ってた。
びっくりした。
これがレアケースなのかは正直わからない。
これを機に、私は子どもと適度な境界線を持てるようになったと自認している。
誰かをどうにかしようとしない背中を見せることができた。
長々と語ってきた。
ここまで読んでくださってありがとう。
つまり、共依存がもたらすものは全ての人間関係の歪みの元だと私は考えてるって伝えたかった。
モラハラ加害者の側に居続けることでモラハラが解決することは無いって事実は、実は「辛い現実」ではなく、「希望」だって伝えたかった。
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モラハラやDVにはめっぽう詳しいです。
反抗期や親子関係などにも強いです。
行政や警察などへの対応なども詳しいと思います。
脱出後の1番苦しい時にも是非使ってくださいね。
私が1番辛かった時に欲した存在になるためにモラハラ専門カウンセラーになりました。
私はそれを経験してるからきっとあなたの気持ちに寄り添える。
umechobin@yahoo.co.jp
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