私、とても明るいです。
いつもアホなことしてふざけてばっかりいる。
これは私の本質。
だけど、モラハラ加害者といるときは本質を出して痛い目しか経験してない。
なんであの時気付かなかったのかと自分を呪ったって仕方ない。
私はおもてなしとして場を盛り上げるのが得意だ。
モラハラ加害者と付き合って間もない頃。
私はモラハラ加害者の友人数人を紹介された。
私ははりきって場を盛り上げた。
みんな爆笑していて、よしよし盛り上げ成功などと思っていたが、解散となってからモラハラ加害者は大発狂。
「おまえは!あいつらの友達か!
おまえは!黙っとけばええんじゃ!
何を調子乗ってんじゃあああ!!!ボケえ!!!
私はおもしろいですーって自慢か!!!
黙っとけよ!!!」
おまえは!でいちいち区切り、1時間ほど怒鳴られた。
まだうら若い私は号泣した。
ごめんなさいごめんなさいと泣いた。
きっと踏み込みすぎたのだ、と申し訳なさで謝りまくった。
それ以来、私はどの集まりでもモラハラ加害者がいたらほぼほぼ話さなくなった。
しかし今思えば、不快にさせることなど一言も言ってない。
あの時、今の私だったらどうしただろうか。
多分、一瞬にして見限っただろうと思う。
「りょーかい」と一言いって、去るだろう。
止められても、口角を上げてニコリ。
「うるさい」って去るだろうなって思うのだ。
口論なんて面倒くさいことしたくもないしね。
モラハラ被害者が被害者気質の在り方で招き寄せるものは、やはりモラハラ加害者であり、モラルハラスメントを引き起こすのだ。
モラハラの車輪として。
今現在、モラハラ加害者と寝食を共にした状態で、関係性がロックされているモラハラ被害者が凛々しく毅然と在ることはとても難しいことと思う。
だけれども、手立てなるものはそこにしかない。
誤解しないでほしいのは、そう在ることでモラハラ加害者が変わるわけではないってこと。
モラハラ加害者を変えるために、凛々しく毅然と在ろうとするのは完全なる間違い。
動機も発想も全て間違い。
凛々しく毅然と在ることで変化があるとしたら、あなたの心持ち。
心持ちが凛々しく毅然と在れば、モラハラ加害者の罵倒が雑音になる。
額面通りに受け取らなくなるんだ。
あれがこうで、これがああでお前のせいでー!と怒鳴ってるモラハラ加害者の言葉を一瞥できる。
そしたらロック状態がすこーーーしだけ解除できる、かも、しれない。程度だけど。
でもこれ、万能ではない。
だってそのモラハラって檻の中で凛々しく毅然と在ったって、モラハラの檻の中であることは変わらないし、反逆とみなされモラハラ加害者からの攻撃が激化する可能性があるから。
しかもモラハラ加害者のそばで、凛々しく毅然とした自分になろうとしてなれるものでもない。
そもそもがおどおどしてしまっているわけだし。
だけど。
凛々しく毅然で在るのは、対処としてじゃなく人として必須だと私は思うから書いてみた。
モラハラ加害者を怒らせないようにと、自分を殺してなんかいいことあった?
なんもないでしょう?
ならもう自分を殺したらダメだよ。
そもそもモラハラ加害者と会話したらダメなんだよ。
凛々しく毅然と
「ああ」って返事しとけばいい。
中途半端な凛々しい毅然はモラハラ加害者に餌与えるだけになりがちだから、ブラックな自分で脳内イメトレしてみてね。
こんな時はどうしたらいい?みたいな質問も可。
家をすぐに出られないなら仕方ないしね。
モラハラ被害者よ、凛々しく毅然と在れ。