モラハラ被害者は毎日考えている。
「まだ何か手があるんじゃないか?」
私のやり方が間違っているからだと、
だからモラハラを激化させてしまうのだと。
毎日のように
「モラハラ」「特徴」「対処法」
を検索している。
日がな一日、モラハラ加害者のことを考えている。
次にこう言われたらこう返そう、
こう言われたらこう言おう、
こうすれば
ああすれば
と、延々と考えている。
授乳しているときも
トイレにいても
何をしていても
そればかり考えている。
私のやり方が失敗だっただけだと。
これを「希望」と呼ぶ。
モラハラ被害者はその希望だけを頼りに生きている。
だから手放せない。
手放すことは希望を失うことだからだ。
唯一の希望を失うことは死と同じだからだ。
「モラハラ加害者にもいいところはある」
いざ手放す必要が出てきても、こうして手放さない理由を作り出してまで握りしめる。
確かにいいところはあるだろう。
だが残念ながら、極端な表現になり申し訳ないが、
連続殺人犯にだっていいところはあるのだ。
縁あって夫婦になって、子どもまで生まれた。
モラハラ加害者さえ罵倒したり嘲笑したり無視したりドアバンしたり暴れさえしなければ、私は幸せになれるのに。
それさえなければ。
けれど。
それだけが無くならない。
無くならないどころか、年々酷くなる。
酷くなることだけが約束されているのがモラハラだ。
我が子が思春期になったときに直面するのだ。
我が子の反抗期がモラハラ加害者を模倣したものであると。
そして限界を迎える。
全方向からのモラハラにあなたは呆然と立ち尽くす。
私があれほど、人生の全てをかけて罵倒や嘲笑に耐えながら育児をし、夫との穏やかな夫婦関係のために手を替え品を替え工夫してやってきたはずの家族、家庭は一体なんだったのか。
私が必死に握りしめてきた希望こそがモラハラを成り立たせて被害を子どもにまで広げてしまったと気付く、その年数が15年なのだ。
だから脱出を遂げたモラハラ被害者の多く、いやほぼ全てが15年以上という現象が起きる。
これはモラハラ最大の特徴だ。
希望を手放せないのよね。
子どもが幼いうちは。
私はその気持ち痛いほどわかるよ。
モラハラ被害者は、希望を握りしめたまま口を揃えて
「モラハラを撲滅したい」
と呟く。
でも「今」まさに次世代のモラハラを作り出していることには触れたがらない。
この現実は心に痛すぎるから。
直視したところで、限界の段階にきていない以上手放せるはずがない。
私は17年経って手放す必要をはっきりと自覚してもなお、モラハラ加害者にだっていいところがあると言ったのだから。
そう、あのセリフは私の言葉だ。
辛いよ。
今まさにモラハラ加害者の帰宅に恐怖してドキドキと汗をかいて硬直している被害者たちの気持ちを思うよ。
今日は穏やかでありますようにと祈る被害者たちが目に浮かぶ。
あなたのやり方が間違っているからモラハラが起きるわけじゃないの。
わかる?
伝わる?
あなたが穏やかな夫婦になりたくて工夫し歩み寄るそのことがモラハラを成り立たせているの。
あなたが良かれと思う行動がモラハラの一部なの。
モラハラ加害者がモラハラをしているから辛いのだけど、それはそうなんだけど、
あなたが希望を握りしめてモラハラ加害者と穏やかな夫婦関係になりたいという切実な気持ちがモラハラの一部なの。
モラハラ被害者体質であるというのはそういうこと。
今日はここまでにしようかな。
どうか目にも耳にも痛いこの言葉が、必要な誰かに届きますように。