■なんのこれしき■モラハラ専門カウンセラーacnです。モラハラ加害者との17年、脱出し離婚してからのこと、全て余すところなく。 -173ページ目

■なんのこれしき■モラハラ専門カウンセラーacnです。モラハラ加害者との17年、脱出し離婚してからのこと、全て余すところなく。

モラハラ専門カウンセラーacnです。
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5年前の今日、思い出としてFBに書いた記事があがってきてた。


胸がギュッと痛くなった。

共依存の解脱症状の中で書いたこの記事。

覚えているよ。


共依存解脱症状に更年期障害も相まって、身体も心もボロボロだった。

脱出先の家の台所で泣きながら書いたこと、よく覚えている。


何かの参考になるとは到底思えない、単なる本音の羅列だけど、脱出をはたした後にモラハラ被害者が通る道なのかもと思うから、あえて全文コピーで転載することにしたよ。

もしかしたら2度目の転載かもだけど、ええねん。


何度でもこの季節が巡ってくるたびに思い出すことだしね。



2017年7月2日。


夏だ。

夏がきた。


娘を生んだ年と良く似ている。


6月30日を境に、とんでもなく暑くなったこと。産院のベッドの上で感じていた。


あれから時は17年過ぎて、今は全く思いもよらない世界に生きている。


なんでもっと早くに逃げなかったのかなんて、そんなもん大切やったからやわ。

それ以外の理由なんてないわ。

どんだけ歪でも、大切やったからやわ。

やっと持てた、私の家族。

大切で大切でたまらんかったんやわ。

この家族を守るためなら、自分なんてどうでも良かった。


子どもが生きていて、雨風がしのげて。

それだけでヨシとせな!

どこも同じ、どこも同じ、誰と一緒になっても結婚はこんなもの。

無いもの数えるよりあるもの数えよう。

あの人は不器用なだけ。

不器用なあの人の愛を感じられない私が未熟なだけ。

不満に感じる私がおかしい。

私がダメやから怒らせてしまうんや。

あの人だって暴言吐きたい日もあるよな。

あの人だって無視したい日もあるよな。


なんて、酷いときほど、こんなもん子どものときに比べたら屁でもないわって。

乗り越えて見せる!て、もはや苦痛は当たり前で、この苦痛は私を成長させてくれるとか。

世間では、いっちゃんやったらあかんらしい、自分が我慢すれば…とかの、自分を大切にしない生き方のみを全力でやってきた。

これぞ面倒くさい女、を全力でやってきた。

それだけ。


それを何故かと、なんでもっと早くに気付かないのかと問われても、私の幸せも苦痛も、この家庭にしかないと本気で信じてたから、苦痛をあたかも自分が成長するための苦行かのように脳内変換してでも、家族でいたかっただけやねん。


小学生の頃から憧れた、あったかい家庭。

穏やかに伸びができてのんびりできる、そんなあったかい家庭。

何事にも遮られない、居場所を感じられる、ここにいてもいいと感じられる場所。


そんな場所が私は欲しかっただけやねん。


殴られたりいやらしいことされたり罵倒されない場所で、今度こそ、私は守り慈しみたいとそう心から願っただけで、どれだけおかしくても大切な私の家族やってん。


何が嫌か、何が幸せなのか、自分がどうしたいのか、なんてことを考えたこともなかった。

考ているつもりで私が考えていたことの中には私の気持ちなんて、この家族を維持するぐらいしかなかったわ。

家族という入れ物に入れあげていただけなんて、そこに固執して、子どもに同じ悲しみを渡していたなんて、自分があれほどに全身全霊の力を込めてやってきたことが最大の害であったなんて、それを、そうだわと認めるのは本当に痛くて痛くてたまらない。


旦那の機嫌伺いながら怒鳴られながら三人の育児しながら仕事を遮二無二して、そうして45歳になって。

そうまでして維持した形は、風船がパンと割れるように一瞬で消えた。自ら割った。


狭く面倒くさかろうがなんだろうが私はその世界しか知らず、懸命に生きた。

それは旦那も同じなんだろう。


こないだ娘がKiroroの「長い間」をYouTubeで聞いてた。


同棲を初めてすぐの頃。

まだ子どもがいなかった時のこと。

私が作った炊き込みご飯が美味しいと旦那が言ってくれて、その一言がとてもとても嬉しくて、その歌を口ずさみながら文化住宅の狭い台所で炊き込みご飯を作っていた自分を思い出した。


涙が止まらなくなった。しばらく泣いた。


旦那を大好きで大好きで喜ばせたかった。

それだけやった。


それだけ、と

それだけじゃない気持ちと。

どれだけ声をあげて泣いても、悲しみの塊みたいなものまで届かない、そんな感じがあって、そうした自分を眺めて滑稽だなと思うことすら、作業的。


被害者体質は本音でのやりとりを「しよう」とするから、しんどくなる。


どれだけ面倒くさいと言われようが、そんな一番難しいところから「しよう」とせず、心に沈殿したものを吐き出したいだけ吐き出すことが必要やなと思う。


それに付き合えるのは被害者体質同士。


あまりのドス黒い内容に吐き出すことに申し訳なく思うようなことが、被害者同士にとっては宝。


ただ並べ吐き出すことができたら、被害者体質は体験になると私は信じている。



モラハラ被害者はこうした気持ちを抱えながらも、モラハラ加害者の死を願う相反する感情に苛まれ。

そして苦痛に顔を歪めながら日々を繋いでいる。

恐らく限界がくるであろう、15年という区切りに向かって生きている。


夫婦再生。

素晴らしいことだ。

必要な人はそれを人生の目的に頑張ってね。


私はどうしても、モラルハラスメントという現象に夫婦再生はやったらあかんこととしか思えない人間なんだ。

1番やったらあかんこととしか言葉を紡げない。

そういうブログなんだ。


そこに正しさも間違いもない。

私の意見を採用するかどうかの選択肢は、いつもモラハラ被害者の手の中にあるんだから。


それが人生ってものだよね。

何を選択するかっていう。