とても難しいことだ。
お子さんの元々持っている特質も関わってくる。
一概にこうだ、と断言できることじゃないって理解している。
それでもやはり思うところなので書こうと思う。
モラハラ環境で、モラハラ加害者から攻撃される母親の姿を見せることは面前DVであり、それは児童虐待であると度々伝えてきた。
何が虐待かって、何より大切な母親が父親から攻撃されている様子を見せつけること自体に子どもは傷つく。不安になるしね。
見ているだけしかできない子どもの無力感は凄まじい。
或いは物心ついた頃から母親が怒鳴られている光景は、リビングの壁紙程度にしか感じられないことも多い。見慣れすぎて。
しかしそれらを虐待とは呼ぶが実の所本当にやばいのは、モラハラ加害者からの攻撃で傷ついているはずの母親が理不尽には逆らわず屈してモラハラ加害者に媚びへつらう姿を毎日毎日見せて子どもに学ばせることだ。
理不尽な攻撃にはこのように屈するのよ、と背中で教えていることになる。
じゃあ理不尽に屈することなく、堂々と言い返し戦えばいいのかと言えばそれもまたよろしくはないわな。
だって相手はモラハラ加害者だよ?
モラハラ被害者が反抗したらどうなる?
夫婦喧嘩になるならモラハラとは呼ばない。
お互いに怒鳴り合えるのだとしたら、それはモラハラって言わない。
モラハラ被害者の方なら、この意味わかるよね?
モラハラ被害者が自分の意見を口にしただけで、いや、しようとしただけで、モラハラ加害者は幼児のように癇癪を起こしてひきつけまがいの大暴れに発展するだけだからだ。
お前のせいで!
を受け入れさせるために何時間も罵倒の限りをつくし、怒涛の人格否定が繰り広げられるだろう。
拳の一撃で壁に穴をあけられたとき、私は口をつぐんだよ。
もし子どもに暴力を振るわれたら、という恐怖はモラハラ被害者を瞬時に黙らせる。
ただひたすらこの嵐が早くおさまり、早くモラハラ加害者が仕事に行く時間になることを願うしかない、あのどうしようもない無力さ。
これを世間では夫婦喧嘩だとされてしまう虚しさ。
神さまはなぜ女性に子どもを守るための筋力をくれなかったのかと呪わしく思ったこともあった。
男性の筋力に女性は全く歯が立たないから。
そうしてモラハラ被害者は、このような攻撃をされたのち、目撃していた子どもたちの心を守ろうと懸命に取り組む。
ママは大丈夫だよとニッコリ笑って子どもを落ち着かせようとする。お父さんはお仕事で大変だからイライラしただけであなたは悪くないからね、などと声かけをしたりする。
が、まぁ本当に落ち着きたいのも大丈夫と思いたいのもモラハラ被害者なんだけどね。
そしてえてしてモラハラ被害者は、子どもに気持ちを聞くことが無いように思う。
どう感じたか?どう思っているのか?を質問せず、大丈夫だよ、とする。
そして全く大丈夫じゃない様子の母親が大丈夫と言う、それは子どもたちの記憶に刻まれる。
言葉と行動の不一致として。
プラス、大変だったらイライラして攻撃してもいいというメッセージまで渡してしまうこととなる。
言葉と行動を一致させたらいいのか?と
わーわーと辛さを訴えるのもこれまたおかしい。
私の母親はわーわー言うタイプだった。
母親の愚痴のゴミ箱になるのは辛いことだ。
子どもが幼ければ、
「お母さんはお父さんに怒られたら泣いて大丈夫って言うんだな」と理解する。
お母さんが可哀想だとも思うだろうし、だけど逆らえず声をあげずにキッチンの片隅で泣いている母親を見て、お父さんがお母さんをいじめている守らなきゃとも思ったりもするだろう。
いずれにしてもモラハラ行為を見続けることにより
「理不尽な攻撃には逆らわず、黙り堪えよ」
という強烈なメッセージを子どもは受け取る。
吸収する。
これが未来のモラハラ被害者の在り方となる。
女児がモラハラ被害者になる傾向が高いのに対して、男児はモラハラ加害者になる傾向が高い。
これは単なる性差で、女性は自罰(リストカット、過食嘔吐等、攻撃が自分へ向く)、男性は他罰(暴力、暴言等、攻撃が他者に向く)傾向があるからだ。
だから全てというわけではないが、その傾向が高いということ。
どういった時に、どのようなタイミングで怒りだし、どのように怒るのかといったスキルを、もはや父親から学んだことすら意識にのぼらないレベルで無意識下に「普通」とか「常識」といった形で蓄積して、結婚を果たして妻が妊娠や出産をして逃げられない状況になった瞬間、スイッチが入る。以下略。
モラハラを本当に根絶したいなら、見せてはダメなんだよ。
モラハラされ続けることが次世代のモラハラの温床だから。
けれどもうそれを存分に見せてしまっているなら。
子どもには展望を渡すべきだ。
こんなモラハラ茶番劇を見せてすまない、と。
お母さんはこのような攻撃をこれ以上受けたくないから、お父さんと離れることを考えている、と。
あなたが安心して過ごせる家庭を作ることを約束する、と。
子どもはお母さんの決意に安心を得るだろう。
これ以上お母さんが攻撃されない世界があるのかと安心することだろう。
安心は子どもの最大の栄養。
そう伝えたなら、必ず脱出することがセットだ。
しかし、そうもいかない人もいる。
そんな時、どんな背中を見せることが正解か、ずっとずっと考えてほしい。
モラハラ加害者の分析や対処法でいっぱいになった頭の中を一旦リセットして、子どもにどんな自分を見せることが必要か、子どもの気持ちを可哀想とか辛いだろうと決めつけず聞くことを癖づけるのもきっといい。
子どもってそんなに弱くないからね。
ここがとても難しいんだよね。
私って人間が全ての子どものことを文章で網羅できるはずがないしさ。
しがないただの51歳のおばちゃんだからさ。
でも私は、子どもってそんなやわじゃないって思ってるんだ。
脱出をさせてしまった負い目とかさ、子どもが心を病んでしまったりだとかさ、色々あるやん。
脱出したからとて、モラハラ加害者から離れられたとて、解決とはならないのがモラハラだから。
傷つけてしまった負い目で子どもを腫れ物扱いすることで実際に腫れ物になる気がしてるんだよ。
子どもを一夜にして全て失った義姉と一緒に過ごした日々を思い返してた。
みんな腫れ物に触るかのように接して、義姉が立ち上がるだけで注目してすぐに座るよう言ったり、料理しようとしたらそんなことしなくていい!座っておけ!と。今、辛い時だから何もしなくていいって。
そんなの、もっと辛いわって内心思ってた。
座る以外に何もするな、安静にしとけって、子ども失った悲しみとだけ向き合えってことじゃないかと。
だから私は義姉を腫れ物扱いしなかった。
コーヒー淹れて、とか用事をめちゃくちゃ頼んだ。
お姉ちゃんの○○美味しいから食べたいなーなどとけっこう使った。
向かい合って座ることはしなかった。
いつも背中合わせでコーヒーを飲んだ。
野生動物みたいな距離感を心がけてた。
まぁ、義父は悲しむ義姉を使いやがってと怒鳴りちらかしていたけど無視。
義姉に子ども見せつけやがって!とも言ってたけど無視。うちんちにおるのにどうやって子ども見せんとおれるっちゅうねん、と思ったし。
そして今、この考えに至るんだよ。
言いたいこと伝わるかな。
子どもを全ての中心に置いたら何かがずれる気がする。
可哀想な子ども、ってことにしたらいけない気がするんだ。
子どもに支配させてはいけないってね、思ったんだよ。子どもが能動的に支配してくるんじゃないよ。
親が子どもに支配させている。
子どもから支配されるような接し方ってことね。
主語がない文章は本当に意味がわからないよね。
意味がわかるのは当人だけで、周りは
え?それは誰が言ったの?そして誰がそうなったの?って質問から入らなきゃならない。
そんな主語の無い文章みたいになってる親をたまに見かける。
子どもの訴えが何より最優先で。
寄り添いすぎて子どもには毒になっている気がして。
自分という中心を失くして、子どもが中心を占拠してるっていうのかな。
自分がない状態。
それだとモラハラ加害者から逃げられても、親が子どもを使って生きてるみたいになってて、子どもは一向に自分の人生を歩めない気がしてね。
子どもだってそんな関わりは万能感を感じて手放したくなくなるだろうし、状態が悪ければ寄り添ってもらえると思って回復すら手放しそうだなって。
子どもを腫れ物扱いしない勇気ってことを書きたかったんだけど、感覚的なものが含まれててうまく言語化できずやたら長くなってしまった。
賛否両論あると思うから、思うとか気がするに留めた。私も考え中だ。
必要な人に必要なタイミングで届けばいいな。
まだまだ募集しています。
ぜひ、ご参加くださいね。
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