前回の記事。
近所のママ友からキャニオニングに誘われた。
キャニオニングなど初めて聞いた。
ウェットスーツで川下りをするのだそうだ。
私は泳げないので断ろうかとも思ったが、
長男と長男の友達とそのママでそんな体験するのも、もう子どもが14歳ということもあったしもう無いだろうなと思ったからOKした。
OKしたものの、我が家の状況を知っている彼女は
「パパさん大丈夫かなぁ、あかんかったら言うてね」と気遣ってくれた。
そしてふと思うのだ。
「行ってきていい?」と聞いてOKが貰えるはずがないことを。
OKを貰ったところで、また罠であとから大変なことになるだけなことを。
だから聞くのはやめた。
それも初めてのことだ。
待ち合わせは6:00。
当日朝早くから用意していたのでモラハラ加害者も気付いた。
「何してんねん」
今までの私なら言わないこともありえないし、ましてや当日に言うなんてこともありえなかった。
必死で焦りながら説明していただろうなぁと考えてた。
「出かける準備」
と、単調に答えた。
「どこにやねん!」
声量が一気に跳ね上がる。
「奈良」
「聞いてない!」
「言ってないもん」
「は?!お前何ゆーてんねん!!!」
殴るなら殴れと思ったんよね。
だから無言で用意を続けた。
よく、「殴るようなヘマはせーへん、そんなんしたらDVになるやろ」と言ってたから殴ることはないかなーって。
案の定、ドアバンしてドスドス歩いてた。
その間に準備を終えて家を出た。
初めてのキャニオニングは本当に楽しかった。
一年分ぐらい笑った。
大好きな虫やら生き物にもたくさん会えて。
帰ってからのモラハラ加害者は相変わらず、
「勝手に行きやがって!」と怒鳴ってた。
私はそれを映画を見るような気持ちで眺めて無視した。
そしたら無視とドアバンとドスドスになった。
俺は怒っているんだぞ!を一生懸命にアピールしていた。
それらは退屈を感じるほどに単調だった。
大声で怒鳴ってドアバンしてドスドス。
その繰り返し。
それに彩りを加えていたのは私だったんだな、とこれ以上ないほど納得した。
ここで17年。
私は人生を紡いだ。
怒鳴られ嘲笑されながらも、必死でワンオペで3人の子どもを育てた。
地域の活動や子供会、保育所や小学校などの役員なんでもやってきた。
「私」という人生を、懸命に紡いできた。
塾も開塾して、本当に本当に頑張ってきたんだよ。
何もかもを注ぎ込んで生きてきたんだよ。
その17年は、今目の前で繰り広げられるモラハラ劇場を成り立たせているだけだった。
この悲しみ、この絶望、こんな陳腐な文章で伝わるのかな。
幼い頃からあれほど欲しかった温かい家庭を私は作れない。
私だからこそ作れないこの現実。
実母は私が駅で倒れて救急搬送されても、大丈夫かの一言すらなく、ただ自分の忙しさを口にするだけで。
なぜ生まれてきたのかすらスピ系はあなたが選んだって言う。
それ虐待死した子どもに言ってこいよ。
何に怒っているのか何に腹立たしいのかもわからなかった。
多分、自分に対してだな。
17年もかけなわからんのか!っていう怒り。
そうして私の17年は崩壊したのだった。
モラハラに苦しむ人たちがどのような出来事から崩壊するのかはわからない。
けれど結婚生活が長くなるほどこの崩壊の破壊力は凄まじいものとなるので、どうかひとりで乗り越えようとしないでって願う。
あなたの気付きによる罪悪感が毎瞬あなたをこてんぱんにするだろうけれど、私はいつもここにいてあなたの少し先から道を照らすから。
こっちだよって照らすからね。
