今朝、夫と息子の弁当を作りながらリビングで流れるテレビの音声を聞いていた。
とても大変なご苦労をされた女性が講演している、という場面だったと思う。その方はとある凄惨な事故で大怪我をされてご生還された方。
その方は言う。
「無いものを数えずあるものを数えて全てのことに感謝して生きるんです」
このようなことを言っていた。
私は胸が痛くなった。
かつて私はこの考えでモラ夫と生活していたからだ。
あるものを数えて、どんなことにも感謝しよう。
そう思って、モラハラを受け止め続けた。
モラハラというDVの被害者であることに一切目を向けず、辛ければ辛いほど、苦しければ苦しいほど私は
この苦しみが自分を成長させるための天から与えられた試練かのように耐えて笑った。
だってお母さんは太陽だから、と。
太陽みたいなお母さんは、私が憧れてやまなかった理想のお母さん像である。
いつも面白く笑っていて、しんどいことなんて微塵も見せない、私はそんなお母さんに憧れていたのだ。
もうほんといやんなるわ。
一般的な幸せへの名言みたいなの適用したら底なし沼に足を取られるよ。
耐えちゃいけないことがこの世にはある。
DVに耐える後ろ姿を子どもに見せちゃいけないよ。
子どもに、こうやって理不尽なことをされても笑うんですよって教えることになるよ。
子どもはそれを間違いなく吸収しいずれ家庭を持った時にモラハラの関係性を加害者か被害者のどちらかで模倣し再現するよ。
私のように、子どもがもう10歳以上であるなら覚悟しよう。
ただどれだけ脱出が遅くなったとしても、それでもDVを永遠に受け続ける人生よりきっとずっといい。
希望はなくならないよ。
私がソースだ。
たとえ脱出できたとしても長きに渡ってモラ夫からゴミ屑のように母親が扱われるのを見てきて、それが当たり前となりゴミ屑のように扱っている自覚なく母親をゴミ屑扱いする子どももいるだろうね。
それすらもモラ夫と一緒にいるよりはいいんだ。
それこそ人生使って子どもと戦うべきだ。
モラ夫にあなたの大切な人生使っちゃいけない。
世間一般、とりわけスピ系には上記のような被害者をがんじがらめにする思想が多い。
自分の考え方や捉え方を変えることで得られる幸せは、モラハラ家庭には存在しないことを知っておいてほしい。
モラハラという現象がわからないならそれでいいから、被害者に世間一般的な幸せになる方法を渡して被害者を踏み留まらせないでほしい。
残酷すぎて私も書くのは嫌だけど、
モラハラDV被害者の幸せがその家庭に無いことをそっと渡してあげてほしい。