書店の店員の女性が殺害された事件をテレビで見ていた。
「だれでもよかった」
という、秋葉原を思わせる発言に
「世の中の歪み」をあげる人がいた。
「親が悩みを聞いてくれなかったから」
と、さも親が悪かったかのような犯人の台詞を聞いて
画面はその容疑者の父親になった。
父親は言った。
「悩みを聞かないって、話さないからね。
呆れちゃってさ。
びっくりしてるのはこっちだよ、まったく」
このようなことを言い捨てた。
…。
そっくりすぎる。
この親子、同じこと言ってる。
結局、殺人をした理由が
「親が悩みを聞いてくれなかったから」
「人間関係がうまくいかなかったから」
という親からの被害者意識という責任転嫁。
親は
「自分こそ、殺人をした子供に呆れている」
「こっちこそ、被害者である」
という
子供からの被害者であるという当事者意識の欠如。
責任転嫁。
恐ろしいほど似てる。
かえるのこはかえる。
私も以前は、親が憎い時期があって
(今もたまにある)
でも、そういうとき、かえるのこはかえるってこと
よくよく考えていよう。
だって、親を憎むその思考が親と一緒なら
きっと何も見えちゃいないからね。
本当に見えていたら、親の問題を羅列することが
自分の欠点の羅列であることに気付くはずだから
親のせいばっかりに出来ないはずだよね。
何かを強く憎く思うってことは
その問題を自分の問題とせずに
外在化して別個の問題として捉えて憎むってことよね。
執着していることの表れよね。
憎さは。
そして執着に捉われている人は
「自分」という存在を病的なまでに特別視していることが多い。
ま、つまり超自意識過剰さんは
「みんなに嫌われている」と思ってたり
「誰も理解してくれない」
と思ってたりするね。
誰かには理解してもらえるという期待がある。
そして、その誰かの理解できない気持ちを
決して理解しようとはしないよね。
そういう自分が見えないから。
秋葉原の事件も
今回の事件も、そういう思考回路がベースにある。
それを生み出したのが世の中の歪みっていうなら
そうかもしれないけど、
それだけじゃないなと思うわ。
だって歪んでいない人のほうが多いもん。
もしこの国に歪みがあるとするなら
子供の行動と親を繋げて考えられないところ。
子供の行動と親を繋げて考えないと
どれだけ厳罰化してっても無駄って思うわ。
いつも問題を起こした本人を掘り下げようとばかりするけど
それはそれでいいと思うけど
今日のテレビでもコメンテーターが言ってたような
「もっと命の大切さを教えないといけないのでは」
とかそういうことじゃない。
もうそういうレベルではない。
あの犯人の発言が、親と酷似しているということを
テレビの向こう側の多くの人たちが当たり前のように共有し
そんな価値観を国が持ったとき
犯罪を抑止することの起点が家庭にあるってことを
国家レベルで大切にしたとき
国の教育のあり方も変わるだろうし
その時にやっとこ、世の中ってものが変化するって私は考えている。
あの親を作ったのもその親だから
なかなかに起点を探し辛いことだけど
それでも親は始まり。
そういうことを主人と話したけど
「親は関係ないやろう」という強い否定を受けたので
なかなかに難しいと感じてますが
めげません。
まずはパパに伝えていこうと思います。
良かったら一日一回1クリックして頂けると嬉しいです。