いつもそばにあるのに
「無い」と思うのはなぜ。
無いと決めつけて
探そうともしないのはなぜ。
探したつもりでいるのはなぜ。
手に触れているのに
見えないのはなぜ。
本当は生まれたときから
ずっとそこにあるのに。
手にとっても
満足できずに
足りないと思うのはなぜ。
もっともっとと
底をなくすのはなぜ。
有り余るほどにあるのに、
無いものの数ばかり数えるのはなぜ。
望む形じゃないから?
不足を訴えていたいだけ?
不幸に酔っているから?
飲む薬の数は勲章?
その数は不幸を表す数字?
足りても、足りない気持ちになるだけ?
何が揃っても足りない気持ちになるのは、
状態じゃなく、
気持ちの在り方次第なんだって
本当は薄々気付いてたりする?
共感されたら嬉しいことを知っていても、
共感をせず
共感をしない自分をわかることが出来ずに
わかってくれないと
共感を求め続け
愛されたいと泣きながら、
自分だけを安全圏において
愛さないから
愛されないで
人を見下し腐しながら
自らを腐らせて。
また悲しそうに不幸を語るのは
可哀想がってもらいたいから?
「辛かったね」
「よく頑張ったね」
という共感を
無意識に待っているから?
通りすぎたはずの、昔の自分に問い掛ける。
いずれにせよ、
感謝が足りないなと
かつての自分に話し掛ける。
「あんなの友達じゃない」
なんて
傲慢な言葉をいつも胸の内に秘めていた。
「友達」という幻想を持って
本心を言えない友達など、友達ではないと。
本心を言わないのは自分のくせに
「本心を言えない」なんて
被害者の顔して。
こんな私とどんな形であれ繋がってくれているという
そういう部分での謙虚さを見失って
友達か否かを裁く。
「あんなのは愛じゃない」と
私を前に泣く彼を見て
内心ほくそえんでいた。
どんな私でも
そっと側にいてくれたのに
そっと側にいて、大切に大切にしてくれたのに
退屈感に支配された私は
揉め事がよく起こりそうな人を選んでいく。
自分で選んでおいて、
男運が悪いだ
馬鹿だと、よくぞ罵れたものだと。
まるでパズルのように
自分の今の形にぴったりの人を捜し当てて
あれやこれやとすったもんだしていることに
なぜ気付けなかったのか。
自意識が過剰。
まだまだ
私はたくさん悩んでいく。
たくさん迷って
時に見失うだろうから
そんな時はまたこの日記を読んで
たくさんの人に頼ってみよう。
「私は誰も頼らず生きている」
なんて、馬鹿げた傲慢さをそっとしまって
「頼らずに生きている」と思うことの傲慢さを噛み締めよう。
そして
誰かが万一頼ってくれたときは
自分に出来ることをしよう。
自分が楽しさを感じられることが
何よりの世界平和の始まりだと
本気で信じて生きていこう。
そうやって生きていきます。
そうやって生きています。
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