アメブロで出会った「りうさん」
からメッセージを頂いた。
あなたの「愛とは」という考えを聞かせて欲しいというものだった。
正直悩んぢゃう(笑)
一昨日、「幸せとは」を書いて保存したばかりだよ。
でもリクエストされるのは嬉しいことだよね。
りうさんの言葉たちは個人的に大好きで、いつも見に行っていたし、嬉しかったので書いてみることにした。
(赤ちゃんも吐き止めの座薬が効いているらしくご機嫌で吐いていないので)
私の考える「愛」とは、と考えようとした時、「それは愛では無い」というものはたくさん浮かぶわりに、
いざ「愛とは」になると言葉がなかなか出ない。
これぞ「愛」という言葉が見付からない。
愛を愛だと認識している人には大きく分けて2種類いると私は考えているからだろうと思う。
もちろん自己中なので、私の思う愛の形こそ愛であるという思い込みの上で。
愛と聞くと、やはり男女間が浮かぶが、私にとっての愛は男女間だけではなく、
全ての人間関係に通じるはずだという認識がある。
男女間だけで有効な愛の形など、まがい物であると思っているから。
本当のものは対象を変えても当てはまると信じているから。
数年前私は「愛とは」ということをアホほど考えたことがある。
33歳の時に実の母親から「愛していない」と言われたからだ。
愛とは。
ただひたすら考えた。
私は子を成しているので、愛する立場でもあるから。
愛されていない人間が愛せるのか。
っていうか、私は愛を知らないじゃないかという思いに胸を掻きむしった。
もうわからんわい!と開き治ったことを思い出す。
毎日、大好きやで!と言ってチューをして抱き締めることしか今の私には出来ない、
と当時の日記に記している。
それは大正解なんじゃないだろうか。
と今は思っている。
愛の前に、小手先な言葉は蛇足だ。
ちょうどその頃、旦那との関係が異常な音をたてて軋んでいた。
外泊先と聞いた先から主人の居場所を聞かれるなんてこともしょっちゅうで。
私は、私の何が間違っているのかサッパリわからなくなっていた。
子供たちや私に暴力をふるい、家を破壊していくパパをどこか遠くで眺めていた。
天狗の隠れ蓑があったら子供たちを隠したいと本気で考えたこともあった。
目を閉じると、真っ暗な宇宙にポーンと放り出されたような感覚。
黒い大きな渦に飲まれて
パパとこんな関係のまま歳を重ねていかねばならないのか!という絶望は私を泣かせた。
あまり泣いたりしない私だけど、見えぬ未来に声を殺して震えて泣いた。
そんな中、実母は私を愛していないと私に告げたのだった。
身体的にも精神的にも衰弱した私は、このままでは子供たちに悲しみを伝えてしまうことが嫌で、
妹の家に何度も通った。
妹はそんな私に対して、ただあったかいコーヒーを入れた。
何も聞かなかった。
ただ側にいた。
泣いていても、何も聞いてこなかった。
お昼ご飯を出してくれた。
「これ、美味しいねんで!」と笑っていた。
ソファに横になると毛布を掛けてくれた。
またあったかいコーヒーがあった。
そしてある日こう言った。
「苦しいな、辛いやろうな。
でもな、ウチはお姉ちゃんは大丈夫やと思ってるねん。
だってウチのお姉ちゃんなんやもん。
ウチの大好きなお姉ちゃんなんやもん。」
涙がポロポロ流れた。
何の根拠も無い言葉。
ただお姉ちゃんだからという理由で、こんな私を信じていると話す妹を前にした時、
私の中で何かが弾けた。
根拠の無い信頼がこれほどに私の心に響くとは考えたこともなかった。
それからの私の心の革命はもの凄いものがあった。
天動説と地動説ぐらいに革命的だったと思う。
今までに考えてきた愛の価値観が根底から変わるのを感じた。
つづく。