ACMでいちばん長い日
昨日、10月31日は第33回鳥人間コンテスト選手権大会への書類提出締切日でした。(当日消印が条件)
9月30日提出のエントリー書類に続き、今回提出の書類は
・三面図(A0サイズ1枚)
・機体の細部や安全に関する書類(A3サイズ3枚)
・設計コンセプト書類(A4サイズ2枚)
以上の計3種類。
ボリュームがあるだけでなく内容も技術的・専門的で、出場するまでに乗り越える山場の中で、最大の難関です。
ACMでは設計主任を中心に1ヵ月かけて書類を練ってきました。
しかし、今年は大会が2年越しになってしまった影響などもあり、書類審査が激化するという予想も出ている上、ここ2年コンテストから離れているACMとしても「負けられない戦い」であることに違いはありません。
そういう背景もあり、詰めに詰めて書類を作っているうちに締切日が来てしまったのです!
私も、隠居ながらCFRP班のコンセプトを中心に書いたりして、提出日近辺でもお手伝いをさせていただきました。
実は、サークルとは無関係ながら映像を作る仕事を依頼されていて、それと書類の手伝いが重なった都合で水曜から土曜まで4日間家に帰っていません(笑)。ずっと友人宅に詰めていました。
しかもこうなるとは予想していなかったので、風呂には1回行きましたが、4日間同じ服、ヒゲ伸び放題という状態になってしまいました…
私が手伝っていた範囲で言うと以下のような感じです。
設計主任と代表が主に作業を進めています。
◆水曜日◆
16時30分班長会議で書類に関する話し合いをしました
私はマウントのCADデータを修正、その後バイトに行き、23時運河へ戻る。ここから家に帰れない日々が始まる。
友人宅で徹夜の映像制作
◆木曜日◆
放課後部室にて話し合い・文章作成をしました。
途中、図書館ロビーでM2の先輩方からアドバイスを受け、深夜2時、一旦終了。設計主任も車で帰宅。私は友人宅へ。さすがに眠く、仮眠をとる。
◆金曜日◆
映像制作の仕事は完了し、放課後部室で話し合い・文章作成をしました。
図書館ロビーでM2の先輩方からアドバイスを受ける。ここで、私は明日の行動計画を練りました。
その後、設計主任は部室で徹夜作業に。
私は友人と銭湯で久々の入浴。
友人宅でお酒を少し飲み、短時間の深い睡眠を目指す(笑)
1時間半仮眠してから、印刷所を探しましたが、土日にCAD2009データをA0で出力してくれる印刷所は極めて少ない。しかし、関東一円で複数候補が挙がったので一安心。
その後、書類にスペースができた場合に備え機体ロゴを作る。
▲こんな感じです
◆土曜日◆ ACMで一番長い日
8:00
部室へ戻る。設計主任はかなり疲れている様子。
9:00
代表と協議しながら印刷所の選定を行い、電話で確認を取る。
昨日PDF出力で仮印刷した三面図を見てチェック。
11:00
印刷所を決定。改めて今日の行動計画を練り、三面図印刷の最終ラインは閉店時間の17:00、運河出発は14:55の列車と割り出す。
12:30
図書館ロビーでM2の先輩方からチェックを受ける。
14:00
部室で印刷書類の最終チェック。
予定より10分遅れ、15:05の列車で運河出発。
15:55
東武野田線と新京成線を乗り継いで北習志野駅到着。
予定より遅れてバスが無いため、タクシーで印刷屋の目の前まで乗り付ける。
16:10
印刷屋到着。日大と提携している店で、昨日日大のチームも三面図の印刷に来た模様。
テスト印刷の結果、フォントの不具合が発見され修正。
17:00
閉店間際で印刷完了。
徒歩で駅へ戻る。
17:30
北習志野を出発。運河へ戻る。
18:00
私だけ柏で降り、柏郵便局で「ゆうゆう窓口」の営業と消印の件を確認。
書類提出の最終ラインを郵便局到着23:50、運河出発23:30の列車と判断。
19:00
上質なレーザー用紙を買い、運河へ戻る。
19:30
図書館ロビーでM2の先輩方から最終チェックを受ける。
20:00
部室に戻り、コンセプト書類の最終編集へ。
代表は書類の確認、封筒の作成。
22:00
書類が完成。修正へ。
23:00
A0三面図をA4に折り、封筒へ。
23:15
全作業が終了。部室を出発。
23:30
運河を出発。
23:43
柏駅に到着。郵便局へ走る。
23:51
郵便局到着。
23:53
書類を受領。消印が押される。
◆日曜日◆
24:10
柏駅で3人は解散。
お疲れ様です!
24:20
大好きな「らーめん誉」で遅い夕食(兼昼食)
一仕事終えた後だけに美味い!!
25:01
柏を出発
25:08
新松戸からの終電が無いためひと駅歩く。
25:40
久々に我が家へ到着!!
いや、ホント長かった。
ACMで一番長かった日に感じられました。
郵政民営化で「ゆうゆう窓口」という24時間営業の郵便窓口ができた故に実現した究極のプランではないかと思います。
柏駅から郵便局へ走っているときはオンエア以内にゴールできるか否かの24時間マラソンのフィナーレのようで。
時間計画を立てる上で、念のため印刷屋も郵便局も、トラブルに備えて「場合分け」となる二重のプランを立てていました。しかしながら電車の遅延、窓口の混雑などで消印が押されなかった可能性もあります。
大袈裟ですが、数パーセントは博打だったのも事実です。
それでも、みんなには最後まで粘って、練りに練ってもらいと思ったのであえて余裕の少ないプランにしました。
恐らく、日本で一番ギリギリまで粘ったチームでしょう(笑)
だから、結果として代表と設計主任から「これだけやったから悔いはない」という声が聞けたので嬉しかったです。
悔いを残さないよう最大限努力して書類を作るのが大事なんです。
とにかく、設計主任と代表の2人はよく頑張りました。
本当にお疲れ様です。
神様は全てを見ています。
きっと良い結果が出るでしょう!!
さらば空
最近、全くブログを更新していませんでした。
サークルの方でも色々ありまして…
今日はサークルにあまり関係のない独り言でも。
私が現在鳥人間に関わっていて、旅客機が趣味で、そして何よりも空を見るのが大好きな根源について…
私が飛行機好きになった一番の理由に「祖父の存在」がある。
祖父は自分が小学6年生の時に亡くなっている。
しかし、祖父が話してくれたコトは鮮明に覚えている。
とても、優しい人だった。
私も祖父も、当然、戦争には断固反対だ。戦争をして良い理由など1つもない。
祖父は、あくまでも「ヒコーキの素晴らしさ」を話してくれた。
祖父は戦争に入る前から海軍に所属していて、自ら志願してパイロットになった。
いや、「ヒコーキ乗り」と言った方が適切だろうか。
主に10人くらいが乗り込める大型の爆撃機を操縦していた。
海軍では相当腕の立つトップパイロットだったらしく、軍の上層部は移動の際、祖父の飛行機を選んで乗ったとか、フィリピンの大統領を救出して植民地だった台湾まで輸送する機体を操縦したとか、かなりスケールの大きな話も聞かされた。
一方で、墜落や事故の話もよく聞かされた(田んぼに不時着したことがあるとか…)。そのせいか、当初の私は飛行機に乗ることを強く拒んでいた。そう、飛行機恐怖症だったのだ。
そのため、旅行といえばいつも電車で、乗り物の興味も鉄道に向いていた。
今ではとても考えられない。
しかし、祖父は同時に空の素晴らしさも語ってくれた。レーダーや無線標識が無い時代、パイロットは空と対話しながら飛んでいたことを教えられたのだ。
機体を雲の中に隠して敵にみつからないようにしたり、夜は星を頼りに(いわゆる「天測航法」のこと)飛んだり、空について話す祖父はとても輝いていた。だから、飛行機恐怖症ながらどこか空への興味も湧いていた。
そしてついにターニングポイントが訪れる。小2の時、初めて長崎から羽田まで飛行機に乗ったのだ。離陸するまでは恐怖もピークだったが、外の景色を見て一気に恐怖症が直ってしまった。
祖父の言っていた通りの美しい空と雲が目の前に広がった。
ここから飛行機好きとしての自分がスタートしたといえる。
祖父は戦後も職業パイロットとして働く道を模索していたが、様々な事情からそれが叶わなかった。祖父はひどく残念がったそうだ。祖父にとって最高の居場所は空だったに違いない。
しかし、家にいるときでも祖父は常にヒコーキ乗りだった。寒い冬は部屋の中でもよく愛用の飛行帽をかぶっていたのを覚えている。
そんな祖父を見ていたから、自分がパイロットに憧れるのも自然な流れだった。それに、トップパイロットだった祖父の血が流れていると考えるだけでも誇りだった。
ただし、その頃には高校進学も控え「いい大学に行きたい」とかいう願望があったり、色々と複雑な要因も重なって、「パイロット一直線」というわけでもなかった。考えてみれば、ここで一直線に進んで、早く現実を知った方が幸せだったかもしれない。
そして今、将来の進路を考えるとき、エアラインパイロットという夢が再び目の前に現れた。やっぱり、祖父の語っていた空を目指したい…。どうしても自分の手で航空機を操縦したい…。そういう願望が強くなってきたのだ。
さらに数週間前、人の来ないオープンキャンパスで暇を持て余していた時、次期代表と話していたら就職の話題になった。
「小川さんは自社養成でパイロットとか目指さないんですか」
という問いに
「え…確かになりたいけど…」
と少し濁したような答えをしたのだ。
そう、ここではまだ“踏ん切り”がついていなかったのかもしれない。
そんな自分に
「なんで躊躇する理由があるんですか?」
確か、そんな感じのことを言われた。
はっきりは覚えていないが…
でも、その時、頭を叩かれたような衝撃が走ったのは覚えている。
考え方が変わった。
確かに、自分は何をそんなにためらっているのか?自身が無いからか?
本当に憧れているのなら突き進むべきだろうと。
昔、視力的にダメだろうと調べもせずに躊躇したこともあった。そんなことをmixiに書いたら、見知らぬ人が「今は視力制限もかなり緩和されているので諦めないで欲しい」と書き込みをされたことがあった。
その頃から、「どうせダメだから」と思って、自分を納得させる理由を探していたのかもしれない。
でも、今は躊躇する理由は無い。やっぱり自社養成に挑戦したいと思うようになった。
そこで、各社の採用基準を調べて、土曜日に思い切ってメガネのジオプトリ値を測りに行った。
今まで否定されるのが怖くて避けてきたことだけど、それも突き破らないと先に進めない。
しかし…
結果はダメだった。
どの航空会社の基準にも満たなかった。
エアラインパイロットになるという夢は潰えた。
自分はもうすぐ鳥人間を引退する。
これを機に、飛行機に深く関わるのは最後にしようかなと考えている。
航空業界の職業は色々あるが、そこにいれば憧れだったパイロットを嫌でも毎日見てしまう。
それが今は考えられない。
しかし、これだけは言いたい。
「空の人」だった祖父の血を引いていることだけは、いつまでも自分の誇りだと。
衆議院選挙に投票するため、実家に帰った。
仏壇の前で手を合わせ、そんなことを祖父に話しかけた。
ここ数日、空が澄み切って綺麗だった。
さらば、空。
夢を、ありがとう。
一安心?
鳥人間コンテスト出場希望者説明会の公式案内がリリースされました。
http://www.ytv.co.jp/birdman/info2010.html
各所から「案内が遅いな…」という声が上がっていて、ACMでも不安が広がっていましたが、説明会と来年のコンテスト日程が公式に出たことで、安心しました![]()
どうやら、説明会の後、彦根市の主催で「バードマン・サマー2009」というレセプションのような立食パーティーがあり、ゲスト講演もあるようです。
さらにさらに、翌日は「飛行ルート体験船上ツアー」なるものまで!!
観光船をチャーターして、普段竹生島や多景島への定期航路が出ている港からクルーズするものと思われます。
彦根市が鳥人間コンテストを「大切な地域イベント」として考えているのを感じられて、嬉しくなりました。
ウチのチームからは、来年のコンテストに関わる次期代表と現設計主任を派遣しますが、このバードマンサマーの企画を見たら私も行きたくなってしまいました(笑)
でも、未来のACMを担う人が行くのが当然なので、ここはガマンガマン…
