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La Sarthe, my back pages-GT3R










かなり更新の間が開いてしまった。ネタがなかったワケではない。ただ、かまけていただけという……。ブログは強制されるものじゃないんで、いかに怠惰であったか……。反省。


4月の最終日曜日、川崎チネチッタでレーシングカーを並べ、レーシングチームのオーナー、ドライバーがトークショー(に近い?)を行うイベントがあった。一目瞭然、TAISAN千葉泰常氏の主催だが、川崎駅に隣接し、行き交う人の多い日曜夕方に開くとはなかなかのアイデアマン。一般の人が、レーシングカーやレーシングドライバーを目にする機会は、まず皆無と言ってよいだろう。


こうしたイベント、サーキットで開くのは当たり前だが、興味を持つ人しか集まらない。レースを知らない一般の人に、いかに知ってもらうか? うまいところに目をつけた。実を言うと、3月の鈴鹿GT合同テスト時に、千葉さんから誘われていた。「GTレースの1週前に、人目に触れるところでレースを知ってもらうイベントをやるから来い」と。


なにをしようとしているのか? 興味津々出向いてみたら、写真のような展開になっていた。でも、なぜにチネチッタ? 英語版シネシティと理解するも、またどうしてここで?


とりあえず撮影のためイベント会場をぐるり。知った顔に出会うたびに挨拶を繰り返しながら「あれっ誰だっけ、この長身の美人?」と遭遇。失礼ながらも瞬時に思い出す。千葉さんのお嬢さんだった。もう結婚されているはずなのに、なぜここに?


不覚とはこのことなり! チネチッタは嫁ぎ先だった。ちなみに千葉さんのお嬢さん、ミスユニバースの元日本代表。知花くららさんの1年前だったと記憶する。美人なのは当たり前?


そしてもう一人、思わぬ人と会うことが出来た。ステージの後方で赤/黒の見覚えあるヘルメットを抱えていた。もしや……? 生前お世話になった故・高橋健二選手の息子さんだった。現在、千葉さんのところ、すなわちタイサンに就職しているのだという。


それから1週間、富士のGTへ。ボンネットにCINE CITTAのロゴを入れた996GT3Rが元気よく走っていた。GTカーレースは、やはり量産車ベースでやるべきだ。形だけを模したプロトを、最も性能が低い車両にスピードを揃えるやり方はどうかと思う。


帰路、いつものように杉さんのところへ。917PAのカウルはすでに完成。エントラントデリバリー用の製作にも着手。こうなれば次は917K。LH、PA、Kと揃えば格好がつく。7月には本物を見に行くことに。大人のお遊びK4-GP。肩肘張らずに基本ルールを守って楽しく遊ぼうではないか!


La Sarthe, my back pages-R15 瀕死のビッグ3から見ると、トヨタはよほど脅威なのだろうか? 今度はレクサスGX460のVSCシステムが狙い撃ちされた。ニュース報道から判断する限り、システムの介入タイミングが遅れることで、最悪、横転事故に結び付く可能性あり、というものだった。


笑止千万。いやいや、日本語の表現力は実に豊かで、適宜、仔細に的を射るから好きである。まさにこんな場合に使うべき表現なんだろう。


VSCは、もともと安全運転の補助デバイスだ。走行車両が、なんらかの理由で挙動限界を超した際、システムを作動させ、安定挙動の枠組み内に引き戻す働きをするものだ。言ってみれば、ドライバーの運転ミス、あるいは運転技量がおぼつかぬ領域の操作を、人間に代わって機械が肩代わりしてくれるというものである。


平たく言えば、アンダー/オーバーステアの封じ込めである。とくに挙動を乱しやすいFR車に対して有効で、スピンモーメントの発生を抑え込むため考えられたシステムだ。世界的には、まずメルセデス・ベンツのESP(エレクトロリック・スタビリティ・プログラム)が先鞭を付け、トヨタがVSC(ビークル・スタビリティ・システム)で続いた。


ただ、トヨタの場合はネーミングが気になった。ベンツは、電子デバイスによる挙動安定化のプログラムであると謳ったことに対し、トヨタは車両挙動の安定化装置と言い切っていたからだ。もちろん、懸念するのはPL法である。このシステムが原因となるアクシデントが発生した場合、ベンツは「ひとつの電子プログラムであり、車両の挙動安定化を保証するものではない」と主張できるが、トヨタは車両挙動の安定化システムと言っているだけに、言い逃れが効かない条件下にあると思ったからだ。


VSCの効力が有効に発揮されるのは、旋回速度100㎞/hのコーナーに105㎞/hで飛び込んでしまったようなケースだ。μが低い路面状態での旋回運動時にも同様の恩恵にあずかれる。4輪独立ブレーキ制御とトラクションコントロール、ヨーレートセンサーの組み合わせでシステムを構築するが、運動物理学をご理解の方には、ヨー制御システムのひと言でお分かりかと思う。


要するに、システムが作動しない状態は、いわゆるごく一般的な車両と同じ挙動を示すだけで、100㎞/hのコーナーに105㎞/hで飛び込めばスピンもすればコースアウトもする。ごく当たり前の動き方で、結果的には、そこまでスピードを出す運転手が悪い、あるいはヘタなのである。それを、システムの介入が遅れ気味となることで、最悪転倒の場合もあり得るいう報告を挙げ、きわめて重要視した米メディアの体質が薄汚い。宅配ピザで火傷をし、猫を電子レンジで暖めたら死んだことが訴訟となる国だ。よく引き合いに出すが、白が黒に、黒が白に、無罪と無実の違いと考えている。


ウ~、ガルゥ~~、おぞましきクワガタ虫を見てしまった。アウディのLM-P1、今年仕様のR15プラスだ。レーシングカーや戦闘機でよく言われてきた言い方だが、強いもの速いものは、最初その形に違和感を覚えても、それが本来持つ機能や性能によってカッコよく見えるようになる……。ホントかなぁ? 審美眼というのは人それぞれだから、他人がとやかく言うべきものではないと思うが、それでも全員の共通認識として、ある一定の基準線があるように思う。どうだろうか、アウディR15プラスは? 圧倒的な強さ、速さを見せることができれば、カッコよく見えるようになるんだろうか?


                                                                                                                                 




La Sarthe, my back pages-clark どうしても一昨日に上げなければいけないテーマだった。賞味期限切れ? いやいや、対象がこの人だったら許されるはず。一昨日、すなわち4月7日は、今年で42回目となるジム・クラークの命日だったのだ。


物心ついた時からクルマが好きだった。そんな子供が、小学校の図書館で「スピードへの挑戦」という本を見つけ、農場で自動車を乗り回す少年の話に夢中になった。おもしろくて、ワクワクして、何度も読み返していた。この少年がクラークだったことは言うまでもなく、この話を契機に、モータースポーツに興味を持つようになっていた。


1968年4月7日、西ドイツ・ホッケンハイム・サーキット。このひとつながりの言葉というか単語が、いまでもトラウマになっている。それにしても、これがF2レースだったというのが泣かせる。「あのクラーク」を“たかがF2レース”で失うとは……、チャップマンのクラーク起用方法が非難された時でもあった。


モーターレーシングにおけるF1ドライバーという職種が、徐々に専業化され始めてきた時期の出来事で、クラークのアクシデントを境に、F1とそれ以外の格下レースとのかけ持ちが、自粛されるようになってきた。ただ、同格と見なされたマニファクチャラーズ選手権やCAN-AMとのかけ持ちは、依然として続いていた。イクス、シファート、ロドリゲスやマクラーレン、フルムらがそうだった。


「自分はスコットランドの農夫」と言って憚らなかったクラークは、飾らぬぼくとつな人柄が魅力の人だったといい、プロのドライバーとして、チャップマンの指示には従っていたと聞く。ただ、サルーンカーレースだけは「楽しいレース」と、積極的に参戦の意志を示していたという。コロチナ・ロータスをインリフトさせるクラーク固有の“3輪コーナリング”は、当時のレースファンを大いに楽しませたという。


後年、ロータスがFFで2代目のエランをデビューさせた時だった。イギリスへ来れば試乗可というロータスの案内に応じ、本社まで出向いたことがあった。そのとき対応してくれた広報担当(I.アドコック、いまやモータージャーナリスト!)がレース好きで、話はいつしかF1に。お決まりの「誰が最高のドライバーか?」という話になり、免許証ケースに入れたクラークの写真を見せながら「他に誰がいる?」で意気投合した。セナの全盛期。1970年代にはクラークの記録を破ったジャッキー・スチュワートもいた。だが、イギリス人にとってはやはりクラークなのか、と強く思わされた瞬間だった。


フライング・ダッチマンは「さまよえるオランダ人」と訳され、あまりいいニュアンスは伝わってこないが、クラークを指し示すフライング・スコットは「天駆けるスコットランド人」と称えて訳される。モータースポーツ誌を通じ、わずか1年しか現役姿を見ることはできなかったが、クラークのファンになれたこと、彼の現役姿をリアルタイムで見ることができたこと、これはすごく幸せなことだと思っている。


排気量で上回るフェラーリ、アストンマーチン、ポルシェを相手に、たった1.5リッターのロータス23で大逃げをうった1962年のニュルブルクリンク1000㎞は、史上最高のF1ドライバー、ジム・クラークを評するには不適切な例かもしれないが、クラークのスピードセンスを示す例としては、最善のひとつだと信じている。



La Sarthe, my back pages-S耐


明日出来ることは今日しない。編集部時代の同僚が、座右の銘としていた味わい深い格言(?)である。すべてを先送りにするこの考え方は、日本の財政と同じで、妙な親近感を覚えてしまう。で、ここ2週間、この言葉を寸分違わず実践したら、それなりに追い込まれる事態を招いたことに加え、体調不良の追い打ちを食らってしまった。ここ2~3日で、なんとかリズムが戻ってきたのが救いだ。


GTの開幕、鈴鹿戦を見送り、代わってもてぎのS耐開幕戦に行ってきた。今シーズンの様子見もあったが、立川祐路のS耐参戦が気になっての結果だ。車両は1クラスのポルシェ911GT3Rだ。今年はF-N参戦の予定がなく、GT1本の予定だったらしい。


彼とはFT時代に顔見知りとなった。もう10数年前のことになるが、プレス対抗のカートレースでたまたま彼とチームを組むことになったのがきっかけだ。実を言うと、この時ほかにも脇坂寿一、土屋武士、柳田真孝といった顔ぶれが揃っていたのだが、向きの変え方、アクセリング(というかトラクションのかけ方)で、立川君が群を抜いていた。これはすごいと度胆を抜かれた。以来、彼のファンに。彼の才能に惹かれ、当時担当していた定期誌でコラムを依頼したり、サーキット関連のムックでインストラクター役をやってもらったりした。才能でいえば、過去F1に乗ってきた日本人ドライバーと比べても、彼が№1だと思っている。


もう時効かな? トヨタのF1プロジェクトが立ち上がった当時、日本人ドライバー候補の一番手だったのが、彼と故・舘選手だった。


そうそう、おもしろい話がある。もてぎのコース攻略法について彼に聞いたときだ。「もてぎは基本的にコーナーがないし……、ま、雨になるとひとつできるかな……」と言った。このコースの基本は直角ターン。難所はなし、どこでも全開でいける、という意味だ。もてぎの走り方でお悩みの方、彼に言わせれば、考える箇所はないようなので、心おきなく踏んでいって下さい。


それにしても、立川選手がS耐とは……。聞けば、竹内浩典選手が強引に誘ったようで「スケジュールが空いているなら乗ってよ」と半年がかりで口説いたらしい。竹内選手とはセルモJTCCチェイサー時代以来の関係だから長い。JGTC時代にはスープラでコンビを組んだ間柄。イヤとは言えなかったようだ。


市販車ベースの純然たる“箱物”は、おそらく初めての経験。ゆったりとした反応をどう感じたのだろうか? レース後「どうだった?」と聞けば「どうって……?」と。「こんなもんかって感じ?」には「こんなもんで……」と。いまだトップフォーミュラーで未勝利なのが信じられないドライバー。もはや日本のレース七不思議のひとつと言ってよいかもしれない。





La Sarthe, my back pages-L 北米でのトヨタ騒動に新たな事実(?)が浮かび上がってきた。ドライバーの運転操作に関わらず、車両が勝手に加速を始めるという事象である。著名な大学教授を引っ張り出し、実験によって“暴走”を再現したabcTVのプログラムが、どうやら捏造らしいことが発覚した。


アメリカという国は、つくづくおもしろい国だと思う。軍需に関するテクノロジーは図抜けているのに、民生技術はひいき目に見ても平均以下。このギャップがおもしろい。自動車産業がいい例で、ビッグ3の自負はよかったが、規模と資金力にあぐらをかいた結果、粗雑な車両しか生産できず低落した。議員公聴会も含め、今回の一件は、トヨタを失速させるための出来レースに過ぎないことは誰の目にも明らか。北米市場は日本経済を支える重要な基盤だけに、実害が最小限で止まることを願うばかり。


ちなみに、電子デバイスのフェールセーフ機構は、非常時(というより正常でないと判断された場合)には非制御側に振れるのが一般的だ。たとえば、電子制御スロットルの場合なら、スロットルは閉じたままになる。制御信号系に異常電流等が検知された場合など、システム自体がダウンする方向で働き、クルマは動かなくなる。動かなければアクシデントは起きようもない。これがフェールセーフの考え方で、スロットルバルブは全開方向で動くことがないよう設計されている。


LM-GT2s? ACOのニュースレリース中に馴染みのないカタゴリー表記が。LM-GT1をメイクスクラスとする思惑は、メーカーの流出によって脆くも潰え去り、エントラントが集中気味のLM-GT2クラスに手を入れようという魂胆らしい。全体にスピードを抑えることが狙いのようだ。たしか、現行のGT2クラスは、ラップタイム4分ぐらいにまで来ていたと思う。ずい分と速くなった。日産がR33GT-Rを持ち込んだ時、4分がひとつの壁となっていたが、いまやGT2クラスのタイムである。


ユーノディエールをふたつのシケインで区切る現コースで、3分15秒を切ろうかというプジョー908のスピードは驚異的。コースレイアウトに関係なく、サルテサーキットの最速ラップは1971年のポルシェ917LH。ロドリゲス/オリバー組のガルフ⑱号車が記録した3分13秒台だ。(映画「栄光のル・マン」時のコースレイアウト)


現コースレイウトだと、LM-P1でトップスピードは320~330㎞/hぐらいだったかと。GT2クラスでも250㎞/hは出ているはずだから、速度差は昔ほどでない。917の時代だと911(GTクラスで必ずポルシェの名前が出てくることは、ファンとしては嬉しい限り!)との速度差は120~130㎞/hぐらいか? それを思うとターボグループCカー末期のポルシェ962(962-010)やザウバーメルセデスC9の頃は、400㎞/hぐらい出ていたわけだから150㎞/hぐらいの速度差はあったことになる。夜、前方にポツンとGTカーのテールライトが見えた次の瞬間には、これを追い越す準備をしないと間に合わなくなる。Cカーのドライバーに聞くと、やはり恐いと言っていた。


写真はミュルサンヌでフェラーリF430GTに追い付いたプジョー908。真後ろから200~300m先まで届くヘッドライトで照らされたGTカードライバーも相当なストレスを感じているはず。「早く抜いて行ってくれ」と思っているに違いない。