前回からの続きです。
自転車で行ける距離に住む実家の両親も姉夫婦も、
地震で食器が壊れたこと以外に特に問題なく、
姉の家にはソーラーパネルがあり、昼間晴れていれば発電ができるので、
携帯の充電もでき、シャワーまで借りることができました。
両親も姉とも、みんなで持ち寄ればなんとかなるねと話し合い、
断水情報や本震情報を聞いて、お風呂に水をはったり、
汲み置きしておいてできることはやり、
明るいうちにご飯の支度もすませ、夜は早々と寝ました。
テレビもほぼ見ることがないせいか、余計に恐怖をあおられることもなく、
息子たちとは会話が増えて、夜空の星を眺めたり。
この体験を愛の道具にしたいという祈りのなかで、愛を沢山見る機会になりました。
近所の人に声をかけあったり、お互い大丈夫だったことを喜びあったり励まし合ったり、
コンビニの店員さんが暗い中で一生懸命対応する姿をみたり、
信号機が消えている交差点ではお互いの様子を推し量って譲り合ったり、
遠方からも励ましの言葉をいただいたり。
SNSを通じて、本震が来るなどの情報も流れましたが、
正しい情報ではなかったかもしれませんが、
その根底にある動機は、兄弟への愛だなと感じられたり。
過去やずっと先の未来へと心を彷徨わせず、クリアに聖霊を選び続けると、
こんなに感謝と平安に包まれるのかという体験になりました。
もちろん、度々恐怖感や心配も出てきましたが、
それをそのまま認めて、御父(神)の祭壇で叫んで(過去記事→)、
(こわいよ~~!とか正直に叫んでw)
聖霊の目で見せてくださいと祈り続けました。
よく考えたら、ここまで真剣に赦し、祈るという体験は
今までなかったなと思います。
今回のことで、今まで学んできて、聖霊とのつながりを信頼できるようになって
本当によかったし、助かった・・としみじみ。
今まで学んできてくれた私、ありがとよ~~。
しかしながら、これが水道・ガスも使えず、厳寒時期なら、
このドラマをもっとリアルにしてしまい、平安でいられるのか?
まだまだビミョーかも・・・という気もします。
そうなってみないとわかりませんが。
まだ北海道は復旧途中。
自分がやれることはやり、兄弟をキリストとして見られるようにと祈っています。
さて、地震から約一週間後、生活も落ち着いてきて、
月に一回のビジェイさんがリードしてくれるテキスト勉強会があり、
そこで自分の危うさを痛感したのでした。
つづく・・。