最近外国からの観光客が本当に増えた

最寄り駅など住民以外見たことなかったが、近年は乗り継ぎか何かで外国の観光客のかたを見かけることもある

 

私の明治生まれのおじいちゃんは、村でもなかなかの人物で信用され商才もあり、自分で会社をおこしもうけ、元気に過ごし足腰丈夫で95近くまで生き抜いてくれた人だ

そのおじいちゃんが、私が幼き頃よりいろいろ思うこと話をしてくれた

戦争にもまけ平和になったがそれはいいことだが、軍隊ももぎ取られ、どうやって自分の国を守るのだろうか、どうやって発展していけるのだろうかとか心配していた

平和な世の中に生まれた私は、戦争放棄だし、一切戦争には二度と関わらず日本は過ごしていけると間の抜けたことを子供の頃は思っていた

戦争と平和については、複雑怪奇なことなのであまり書きたくないがまたいつか書きたいな

 

さてそのおじいちゃん、平成に入った頃こう言っていた

日本の強みは何かなと

戦争してもうけるのもできず、これからあるとしたら、文化を売ることと観光だなと

まさしくその通りになったではないか

おじいちゃんすごい

アニメで世界を虜にし、平和でおもてなしの文化、神社仏閣、自然の素晴らしさ、全国にあるおいしいもの、田舎の自然派の素晴らしい生活、都会の最先端の生活 この世のすべてが日本にはある 上等な食事 B級ぐるめ 町中のベーカリー、町中華 世界の料理、工夫を凝らしたカフェ、狭い路 広い路 ファッションも千差万別いろいろ楽しめる

 

ガラガラとスーツケースを引きながら駅のホームを歩く外国の観光客のかたを見ながら、このみちもこの地下鉄もこの電車も改札口もおみせもなにもかも、焼け跡から這い上がり必死でその時代の人たちが築いたものなんだと感謝しきれなかった

お寺も神社も昔々に皆で力を合わせて建てたんだ

おいしい物もお百姓さんが土を守り引き継いできてくれてるんだ

自然災害も多い中必ず復興させて生き抜いてきてくれたんだ

時々あまりにも感動することがある

 

男子も女子も老いも若きも、更年期も子育て期もいつでも自分の持ち場で踏ん張ってきた祖先達に感謝しきれない

ありがとうございます

 

 

 

今年は古都華を何度か食べることが出来た。

香りがよく中まで甘くておいしい。

また来年も食べれるといいな。

さて、今日は、赤ちゃんの保育所や一時預かりについて

考えてみた。

子育て中、ほんの5分でいいから一人で過ごしたいと思ったことがある。年中ワンオペの私には叶わぬ夢だったが。

実家で私の父にお風呂に入れてもらっている間はほっと一息だが、お風呂場をのぞきに行ったりなかなかゆっくりはできなかった。実家に遊びに行っても、任せきりにできるわけもなく、母が食事をおいしく作ってくれるので家事が軽減され体が休まった。

外食は、3歳まではなかなかたいへんなので、家でおいしく食べられるのは本当にありがたかった。

今思えば、土日に夫のいるとき、コーヒーでものみにいけばよかった。ただ、ママから離れると泣きまくる我が子達だったので無理だったろうな。

一時預けるのも、人見知りをするようになれば容易ではなく泣きまくるであろう。初めての幼稚園の日、我が子は一日中泣き続けていた。お迎えに行くまで。上の男の子に至っては、ドアを開けろと蹴りまくっていたらしい。とても優しくおとなしい子なのにさすがに男の子ねーすごい力だったと恐れられていた。

一時預かりも信用のあるところで安全に泣かずに行かせられるところを探すのは至難の業であろう。多分、いいところは、お値段も高いはずだ。

おじいちゃんおばあちゃんを上手に利用させてもらえるように常日頃から親戚活動もしておくと子供達も楽しいしいざという時あずけられるかもしれない。でも、お礼の言葉と少しでいいのでお金でなくてもお礼の品物などを渡すべきだと思う。

ほんの少しでも、自分のこ以外をみるのは気も遣うし、母親以上にしんどい思いをさせてしまうので。高齢でもあるし。

預けるのもたいへんである。

今日のほっこりエピソード

 

海老フライと鱧フライの夕食にしたら

パパがそれはそれは美味しそうに食べていた

60超えても子供のようにパクパク食べていた

イクメンでもなく人生を生き最近洗濯たたみを覚え

洗濯干しは修行中

何にもできないが私の作ったご飯をそれはそれは美味しそうに食べる

ニコニコと阪神見ながら

 

まあいっかーー何も出来なくても

元気でニコニコなら

 

人生はまだまだ続きそう

いつの日か何でも家事をこなすようにもなるだろう

気長にいこう

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する