自分の子供に最近は

何々を食べてくれるとか食べてくれないとか

使うことがよくあるようだ

高齢者界隈から言わせるとこれは論外だ

なぜ自分の子供に食べてくれるなど

子供に恩を受けるような言い方をするのだろうか

夜ご飯を食べたでいいではないか

ニンジンを食べてくれたはおかしいとおもう 

個人的には

なぜそんな小さい子供になにかしてもらう必要があるのだろうか

 

おっぱいを飲んでくれた

離乳食を食べてくれた

靴を履いてくれた

ではなく

おっぱいを飲ませた

離乳食を食べさせた

靴を履かせた

ではなかろうか

 

子側からした

おっぱいを飲ませてくれた 

離乳食を食べさせてくれた

靴を履かせてくれた

である

何何してくれるの逆は何々してあげるだ

つまりおっぱいを飲んでくれたというからには飲ませてあげたとなるのだ

そんな恩着せがましい親がどこにいるのか

 

飲ませる

食べさせるに

最近は強制的な意味を感じるのであろうか

強制ではなく普通の使役動詞だと思う

 

とにかく食べてくれた 飲んでくれたには違和感を感じる

子供は大事だが親は召使いではない

 

幼子に接するのが初めての親たちが多いように思うが

あまりに自分の子供に気を遣いあがめ奉るのは違うと思う

子供は大切にされるべきだが 子供がえらいということはない

言葉一つで日常は変化する

よく考えて使いたい

 

 

最近子離れの時期がきたとかいうのをよくきく

私が子供の時、親が子離れするという表現をあまりきいたことがない

親離れしてないというのも、例えば今はおとなになってからや独立していない成人にたいしてや、独立や結婚しても親と関わりのあることを指しているように思うのだがどうだろう

 

昔はおっぱいが終わるのを乳離れ

一人で何でも出来るようになり精神的にもしっかりした状態の子供に親離れ

といったように思う

子離れなどという言葉はあまりきいたことがない

 

我々の世代はドラマの冬彦さんのはやりもあり、マザコン男性とかよくいわれた。このときも子離れしない母親などとは言わなかったような気がする。

 

個人的には、親子の関係に昔の意味以外の子離れも親離れもないと思っている

子離れとは、子の勝手な人生を親が肯定させられるための考え方ともいえる

子離れできない親はだめであるとでもいうように

親は子供の人生の幸せをいのるがためときに慎重になったり苦言を呈したり、アドバイスしたりすることもある

親がこれをすると今や子離れできていないといわれる

心配して連絡することさえ子離れできていないといわれることすらある

 

でも友達がこれをすると、よき親友だとなる

 

そこまで子供に遠慮するようになったのはなぜなのか

昔の親は子供に結構言いたいことを言っていたように思う

今は批判されたり毒親とレッテルをはられたりするのでそれも難しいのかもしれない

親も人間

間違いもすれば勘違い嫉妬もする

神様仏様ではないので

子もそうだ

同じ人間であるという意識をしっかり持つと尊重し合い指摘し合うことが出来るのでいわゆる執着しなくなるのでないだろうか

執着しなくなることをなんとか離れと呼ぶのなら結構わかるが

 

 

精神的に自立できている(ある意味親離れしている)子供なら、親の意見やアドバイスも客観的にきいたり、自分のことが大切だから苦言を言ってくれていると感じたりできうる

子供には、大切な家族である親を納得させられる実力と態度と技量がいると思う

それが出来るとわかった時親は、信頼して子供の人生を応援し子供の判断に託すのではなかろうか

 

 

何歳になったから親離れするとか

うちの親はなんでも干渉してきて子離れできないとか

社会人になったから親離れしたほうがいいとか

これもなんだか違和感がある

実家を通学や通勤のためにはなれるのも親離れとは呼ばないと思う

鳥の巣症候群といわれる飛び立ってぽっかりこころに穴が開いた状態も、人間は鳥ではないので連絡したりしっかりコミュニケーションをとることで一時的なものであってくれることだろう

何なら子供達はもうそこまでいいよーというくらい親に連絡してみるとよい 親もそこまでさみしくないよというかもしれない

案外親はよくできている

 

無理に関係性を断つことが親離れでもないし子離れでもないであろう

関係性を保ち続けることこそ親離れ子離れ出来ている証拠だと思う。

 

親も、自分たちの老後の資金繰りや自由な生活のためこどもに援助や応援をしなくなることを子離れと呼んだり

子も、恋愛や自分の自由な生活のために親をシャットダウンすることを親離れと呼ぶのは

どうも未熟なような気がする

 

親子という一番関わりのある関係に生まれたのだから

それぞれの事情はあれどできる限り話せる関係を築けるように親は子育てするのが親にも子にも得策なようなきがする

非常に難しいのだが

親のことを思いやるが故になにもいわない、子供のことを思いやるが子になにもいわないこともあるかもしれない

だが、案外話してみると解決することもあるのでないかと思う

コミュニケーションをやめるのが親離れ子離れではなく、親の得意分野、子の人生の進み具合、親の性格子の性格いろいろ考えてどうすればいいかをお互いが考えを話せるといいなと思う

 

結局似ているのだから

 

 

よく食べるごはんのお供

 

 

いわし甘露煮 金ごまつつみ

成城石井のやつ

 

おいしいなあ

鰯がくさくなくて

 

お子様でも骨までパクパク

 

甘めでたべやすいけれどあっさりしてて

 

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