マンネリの恐怖 | 堀江直樹の無限上達への道のり

「マンネリの恐怖」

 

 

 

最近、友人がシェアしていた記事をみて面白いなと思い書いていました。

 

 


「人は「死」を意識すると、本当にパフォーマンスが向上する:研究結果」
http://wired.jp/2016/11/08/death-performance/

 

 

 

バスケットボールのプレーをしている最中に死を意識するアンケートを実施したところ、

 

 

 

パフォーマンスが40%向上したということです。

 

 

 

今、自分の寿命が残り数時間しかないとわかったらどのような時間を過ごすでしょうか?

 

 

死と向きあうということは自分の今のあり方や一瞬を大事にする心とつながるなぁと感じます。

 

 

 

日本人の古来からの感覚には「わびさび」「諸行無常」

 

 

 

常であることはない、「有難い」という単語もそうですが、

 

 

 

常に死と同居する考えがあったように感じます。

 

 

 

おそらくこの論文が書かれたのは海外ですから、死生観に関して日本とは異なる部分もあるかなと感じます。

 

 

 

キリスト教的な価値観と仏教的な価値観ではおそらく死への捉え方が変わると思うので心の反応の仕方も変化してくることが考えられるわけです。

 

 

 

しかし、どんな解析があるにせよ、死は明確に意識しやすいピリオドですから、

 

 

 

集中を作る優れた道具になるなと感じます。

 

 

 

けど、おそらくこの研究を実践で活用するときに問題として出てきそうなのは、

 

 

 

例えば毎回死を意識するアンケートを導入して効果が出るのか?

 

 

 

人間はマンネリする生き物ですから、外的な刺激に対して慣れてくるものがあります。

 

 

 

そうなったときに、ただ画一的にこれをやればいいとはなりにくいはず。

 

 

 

そこは指導者なり、道具に扱う人が工夫が必要そうですね。

 

 

 

これは私のイメージの範囲なので、実際に検証を重ねないとなんとも言えないことですが、

 

 

 

恐ろしいなと思うのは「死」をもマンネリ化しそうな人間の脳の構造かなと。

 

 

 

前回の記事でも書きましたが、私たちは大前提として脳というフィルターを通して世界を見ています。

 

 

 

脳は過去記憶を引っ張り出してそこから判断する機能がありますから、(そうでないと安定した自己を認識できない)

 

 

 

どうしてもマンネリ化しやすい構造を持っています。

 

 

 

つい、あるものを当たり前に思ってしまう。

 

 

 

気付かないうちに形骸化していく日常に恐怖を覚えます。

 

 

 

脳の機能の外から脳を活用して世界を見ること。

 

 

 

あることが当然でない世界からあることを観れたときに有難さがよくわかる。。

 

 

 

常に生死も感じながら、有り難く生きたいなと感じる記事でした。

 

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

ご意見ご感想

perspective496@gmail.com