不安を消すために生きる | 堀江直樹の無限上達への道のり
先日のある人ととの会話の中で




話をしながら印象に残ったことを書き留めておく。





この記事の前に書いたことだけど、




人は自分のやりたいことをしようとするアクセルに対して、ブレーキ、はたまたバックがかかっているんじゃないかと書いたけど、




まさにその通りと感じることがあった。





最近の世の中は、情報がたくさんあふれている。





フェイスブックやブログ、ネットを開けば




いやでも目の中に情報が飛び込んでくるので、




その中で取捨選択することは難しいし、




何よりも常に相対比較に襲われやすい。




ある人はそこに付和雷同したり、




ある人はそれを拭い去るように見ないようにしたり、




あるいは、特定の考えや教えを自分に言い聞かせるように徹底することで越えようとしたり。




様々な現在地の人がいる。




もちろん、自らの信念に走りきる人もいる。。




文頭に書いたその人と話していたとき、その人は、「自分には目標がない」と話していた。。




人生に対して目標を描けないと。




その人は過去にたくさんのセミナーを受けたり、



自らを進化させようとしてきていた。




人間として本当に素晴らしい人だし、とても努力をしている人。




そんな彼がなぜ、目標を描けないのか。




その人のアクションの原動力となる出発は、




自分の関わるお客様に対して、申し訳ない気持ちがある、




自分では足りないから頑張らなければならない。




そんなエンジンで頑張り続けていた。




不安や苦しみがあって、それを味わいたくないからそこから逃げるように、




セミナーや本を読んだりし続けてきた。




それこそ、本当にその努力は素晴らしく、人間性も素晴らしい人であるけど、




外からやってきた、不安や苦しみ、そこを解消するために走ってきた。




だから、自らの意思で、自らの考えで、問題意識を発見し、そこに向けて生きるということは難しかった。




私たちが感じる不安は作られた不安であり、それを糧に作られた方向に走ることは苦しさの輪廻を越えられない。




例え、何かを超えたとしても次に新たな不安が来る。





自分がなぜ不安を感じるのか。不安の構造がわからない中で、走り続けることは苦しい。





ある特定の集団にいくと、そういう風に生きなければという意識は共有しやすい。




成功するためには、こんな生き方が必要なんだ。




それをモデルとして模倣をしながら、




自分をだましながら、盲目的に走り続ける。




そこを超えて頑張り続ける人は、何かしらの結果をだし、




そこに行ききれない人はそこそこに収まる。




みていると、家族とか支えるものがある人は頑張れる人が多い。




そのこと自体は素晴らしいけど。




その走り方、生き方のモデルが100人、1000人、1万人と増えた先に、




その世界は本当に幸せなのか?




自分が相対的に勝った側にいくことが本当に社会が幸せになることなのか。



時代が平和になることなのか。




個人、個人の競争力、生き方が試される時代になったと思う。



そんな時代の中であなたはどんな生き方を選択しますか?



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