規定し、規定される世界 その3 | 堀江直樹の無限上達への道のり
どこまで続けるのか?このシリーズ、第3段。





結局、規定するってことは、





こちらが思い込めばいい話なのか?




じゃー、何でもいいじゃん。みたいな。




(一時期、私もそんな思い違いをして、知識を得てもあまり意味ないと、勉強をすることを軽んじた時期がありましたσ(^_^;)完全な内観中心)




知識を得ることを軽んじるような内容に見えたかも知れません。




もちろんですが、そんなことはありません。




確信を得るためには正しく知ることが重要です。




どのようにその情報や知識を扱うか。




知識をどう道具に使うかが非常に大切になってきます。




正しく知るためのひとつの方法として、




物事の機能や価値を考えたとき、




それが無いところからそれがあることを比較したときに、



より本質的な機能がわかってきます。





そんな観点で人間の根本の機能を考えたとき、




浮かびあがってくるものとして、





脳が認識した結果に世界が存在することになり、





存在と認識は常にペアで生まれることがわかります。




その根本の基本単位を追求することは、




正しく情報を知識を使うための方向性になると考えています。




ちなみにこれは前回にも書いてある、背景を理解するとういうような話と同じです。




しかし、もっと深く考えていくと、病気が心の認識から作られる背景とも通じてくるため、




健康のことを考えていくためにきっても切れないなぁと痛感しています。




そんな感じに今は物事を考えるときに、




自分が知った世界から自由になることを基本軸に、



より共通的な仕組みを整理することやつかむことを大切にするようになりました。




そうすると、触ることと手を離すことだけでも十分に効果を出せるようになってきましたし、




時短を意識していくことや、




施術だけでなく、人と会話をするとき、講義で話すとき、



ディスカッションするときなど、




意思を通していく感覚や、より柔軟な対応が出来るようになってきた感覚があります。




結果、身体をつくる意識をつくるという行為も、身体全体をシステムとしてとらえて、




脳の認識を変えていくプロセスととらえると、




より、自分の今まで蓄積してきたものを活かすことができると感じています。




しかし、何よりその課程をどう共有できるかが重要です。。




次回はそんな話を書こうと思います。