ふと気付いたらクリスマスローズが咲いていた。
なんだか例年より遅い気がするのは私だけなのだろうか。
兎にも角にも今年も咲いてくれたクリスマースローズに癒される![]()
なんて素敵なんだろっ![]()
そろそろ植物たちも活動を始め出し、それ見ているだけでもニンマリしてしまう今日この頃。
さあ!私も頑張ろーってウキウキしてくる。
いつもながら植物からたくさんのパワーをもらっています。
私の元気の源。
入院中の母のもとへ洗濯物を届けると、そのまま真っ直ぐに家に戻る気にはなれず、寄り道してイオンシネマ太田に行ってきました。今日は大きなスクリーンで映画を見ることにしたのです。
クリント・イーストウッドの「アメリカン・スナイパー」を私はずっと見なくてはならないと思っていました。
心拍数は上がり、心臓がバクバクと音をたて、それはひどく衝撃的な映画でした。始終爆撃と銃撃の音は鳴り止みませんでした。唯一愛する家族とすごく時間だけはピアノの優しい単音のリズムが流れ、束の間のほっとする時間ではありましたが、かえってそれは悲しみを感じるのでした。ストーリの進行とともにピアノのメロディーは消え、代わりに激しい銃撃の乾いた音だけが鳴り響きます。それはまさに人を傷つける音以外のなにものでもありません。。
家に帰りつくまでの間、頭の中では銃撃音が鳴り止まず、いろんなことを考えていました。感傷に浸るというような易しいものでありません。クリント・イーストウッド監督がこの種の映画を制作することになった必然(あまりにあんちょこな言葉ですが)を考えていました。
私が子供の時に他界した父は、大正11年生まれで海軍でした。父が年をとってから私と妹は生まれたので、とても可愛がられました。躾には厳しくて怖い父でしたが、たくさんの愛情を受けました。父の優しい笑顔は今でもよく覚えています。私が小学校2~3年の頃のことだと思います。「戦争って怖い? もうやりたくない?」と一度だけ尋ねたことがありました。それに対して父からのちゃんとした返事は返ってこなかったように記憶しています。子供心に父は話したくないのだと思いました。それから私は二度と戦争について父に尋ねることはありませんでした。というより一緒に過ごす時間の方が短かったから機会もなかったのです。
父が戦場に赴いたかどうかはわかりません。海軍の制服を着て敬礼をしている若い父の古めかしい写真は今も記憶に残っています。
今日は「太秦ライムライト」を見ました。
今月に入って見た10本目の映画です。
今日は3月も中旬。折り返し地点ですね。
年頭に映画200本を見る事を目標にしましたが、
少しピッチを上げないと(^▽^;)
と言っている矢先ですが、
これからの舞台のために読んでおきたい本2冊を読破するため
明日の優先順位は変わります(*⌒∇⌒*)
なのに明日見る映画は既に決まっているんです。うふっ![]()
今日は、足利市民会館で映画「そして父になる」を見ました。
上映会の主催は社会福祉協議会のため、目の不自由な方々も楽しめるように音声ガイド付きでした。
慣れないト書きの読み上げに始めは戸惑いましたが、台本に書かれていることを知れて心躍る自分がいました![]()
背中をさする・・・というト書きに樹木希林さんが娘の背中をさするシーンがあるのですが、希林さんのさすり方を見ていてなるほど~と感嘆していました。
希林さんやっぱり良いなあ~ 好きな女優さんの一人です。
この後の文章結構長く書いたのに消えてしまいました!
もうショック! 力が抜けます。
書き直す元気はもうないので今日はこれまで。
え~ん![]()
4年前のあの日、あの時。
三女の高校も決まりその日家族旅行で南三陸のホテルに宿をとっていました。
朝から車で移動するはずでした。ところが用事ができてしまい出発を遅らせなければならなくなりました。
旅行を前にスタンドで車にガソリンを入れていた時にそれはやってきました。
それから停電になり、世の中がどうなってしまっているのかわからない夜を過ごし、翌日ようやくついたTVで自分たちが泊まるはずの宿が生生しくも津波の被害にあっている画像を見ることになったのです。背筋が凍りました。
当時仕事の関係で福島を通っていました。
震災直後は通信手段が途絶え、大切な資料を届けることも断たれてしまいました。その後幾度も福島を訪ねました。
訪ねた知人は山あいに住んでいて、そこは美しくてのどかな福島のまんまでした。なのに外には人の姿はありません。公園にも子供の姿はなく静まりかえっています。子供たちが遊ぶはずのその公園には無造作にビニールシートを被せただけの汚泥がところどころ放置されていました。
汚泥処理場を案内してもらいました。訪ねた先の奥さまは放射線濃度が高い事をご存じですから行きたがりませんでした。それは当然のことだと思いました。広大な敷地に真新しいいくつもの白いテントがいくつも並び、何台ものトラックが汚泥を運び入れていきます。
門番をしている人は普通にワイシャツとネクタイ姿です。どれほど放射線を浴びているのだろうかと悲しくなりました。だれもが大したことではないよと言わんばかりな無造作な身支度でした。私たちも軽装でした。無意味な覚悟をしていたのだと思います。あり得ない光景でした。テントはすぐに足らなくなりました。そしてまた作る。そのうちこの敷地もいっぱいになることは誰が見てもわかります。目には見えない放射線が飛び交っている中でいろんなことを考えていました。具合が悪くなりました。
そして震災から4年が経ちTVで汚泥の山を見たときに愕然としました。
復興とは何なのだろうか。
震災のあった年に足利ミュージカルは始まりました。
もしかしたらあの時死んでいたかもしれない。
封印を解くことなく、演技となんの関わりもない人生を生きるはずでした。
いろんな覚悟をした年でした。
役者業を生業とする活動が始まり3年半。
多くの方々のご縁に恵まれていることに心から感謝です。
さあ、また明日からがんばろう。
もっともっと学ぼう、演じよう、挑戦しよう。
今日のブログ・・・
いろいろ書いたのにすべて消しました・・・
書きたいこといろいろあったのだけれど、うまくまとまりませんでした・・・
ひとつ確かなのは、SNSに書かれた何気ない言葉に
今日はとても勇気づけられました。
後は机上の書類を少しでも早く終わらせて、
本を読む時間を確保すること。
日々がキラキラと眩しく感じる。確かに生きている。
今日も一日ありがとう。
なんてこと!!
誤ってスマホの写真や動画をすべて削除してしまいました!
ダンスの振りつけも勉強のために入っていたし。
自分の写真なんてどうでもよいけど、映画GOOD YEARの撮影時の写真もすべて・・・お宝写真が・・・
消してしまったすぐはびっくりしてそのショック加減をFBにつぶやきもしましたが、時間が経つにつれ、じわじわ事の重大さを思い知らされ、自分の馬鹿さ加減に腹が立ってきます。大切な宝物だったのに!悔まれます。
残っているのはネットで公開したものが全てになってしまいました。
まだ金髪の林海象監督と永瀬正敏さんとのそれぞれ撮らせて頂いたツーショット写真はブログにアップさせて頂いて本当に良かった!それだけは救いです。撮影現場に居合わせたという残った貴重な証明写真です。
1年4か月分のコツコツ積み重ねてきた日々の自分の歴史の記憶は消えてしまいました。(今のスマホにして1年4か月)それはひどくがっかりするものでした。
ですが・・・また明日から新しい未来を作っていこう。撮っていこう。刻んでいこう。精進していこう。生きているからできる。