エドワード・ヤンはわらってるかもしれない
今週は勝手に、エドワード・ヤン監督の追悼週間とすることとした。
なんだけど、何が悲しいって、曲りなりにも映画まわりの仕事もしてるのに、
周囲から「へえーそうなんだ」的反応しかないことなんである。
あんなに素晴らしい映画をたくさん撮ったひとなのに。
あの『ヤンヤン 夏の思い出』が遺作になってしまったなんて。
1作ごとに手法や雰囲気が変わって、今度はどんな作品を見せてくれるのだろうと期待していたのに。
あの、神のような静かな視点こそ、監督のさいごの到達点だったのだろうか。
それにひきかえ、彼の死を片隅でしか報じないメディアにおいて、
逆に大々的に喧伝されてる映画はどうだ。
興行収益ランキングの上位なんて、どれもこれも同じような映画ばかりじゃないかー。
たいていが最終的には取っ組み合いとか殺し合いになる話で、爆薬の物量と音量勝負という。
あるいは、ただただ大声とオーバーアクションでさわぎまくるか。
テレビをそのまま映画にしたような、暇つぶしにすらならないような眠い映画とか。
人々は、あんな同じようなものばかり次から次へと大量に観て、なにが楽しいんだろうか。
みんな、よほど暇なんだろうか。それとも、よほど日常生活を忘れたいのだろうか。
なぜそんなに日常を忘れたいんだろう。それって不幸なことじゃないのか?
今夏、大々的に公開するSF超大作なんて、
2時間半もわたしを拘束したけれど、なんとゆうか、
お金持ちであたまの悪い大人が、大真面目な顔で巨費を投入してつくった、
自己満足な子供向けTV番組みたいて、つまらないというよりイタかった。
んー、でもこれは娯楽映画だし。それに、これを観た子供はきっと、未来に夢や希望を抱くにちがいない。
だけどこれ、大人のためにつくられたものなんだよね?
迫力の見せ場をつくるだめだけにこじつけられた物語はもとより破綻しており、
観るべきといったらCGくらいなもの。だけどそれすら爆発と破壊の一辺倒で、
あまりの莫迦ばかしさに苦笑してたら隣の人に睨まれた。
たぶん、つくった人がいちばん楽しんだに違いない。
ま、予想してたことだけどさ。『アルマゲドン』は公開以来、人生ワースト3本指に入り続けてるしさ。
だけど白けきって映画館を出たら、知り合いは顔を紅潮させていた。
わたしは果たして、本当に映画をすきなんだろうか、どうなんだろうか。
いろいろ頭に来すぎてよくわからなくなってきた。
で、残業を放棄してとっととレンタル屋で楊徳昌作品を借りてきて、
夜中にひとりで追悼会することにしたのです。
12年前にわたしを夢中にさせた観た映画は、やはりすばらしくてせつなくてやるせなくて、
日ごろ試写室で観すぎている、わたしの心を全く動かさない作品たちとはまったく別のものでした。
そしてその映画は、つまらないことで腹を立ててるわたしや、
ひまつぶしのための娯楽なんかとは、まったく別の地平に立っているのでした。
どっちも映画といえば映画なのに、やっぱり、
趣味と仕事って両立できないもんなのだ、わたしのような不器用者には。
切り替えがわるく、論理的にものを考えられない頭の持ち主には。
人に、「いっぱい映画観られていいなあ」と云われるたびにそうおもう。
だけど苦痛な映画を10本観ても、次の1本がすばらしければ、
やっぱり映画がすき、とおもってしまうんだよね。
今はただ楊徳昌監督の冥福をお祈りします。合掌。