アッシェンバッハの彼岸から -51ページ目

なんとなくしあわせみたい

Yesterday Was Dramatic - Today Is OK Yesterday Was Dramatic - Today Is OK
Múm


(BGM:わたしの毎日はドラマティックです。それなりに)



きみはあれだね、あんまりおおきい仕合せでなく、小さい仕合せくらいがちょうどいいんだね。

といわれたことがある。

そうなんだろうか。よくわからなかった。

こうして歩くだけで、動くだけで、呼吸するだけで、

毎日は、世界は、砂山のようにすこしずつ崩れてかたちをなさなくなっていくのだ。

だからわたしはいつだって両手で両脚で必死に日常を積み上げているのだ。ひとつずつひとつずつ。

ただ生きているだけで、世界はいつまでも廻っていると信じていられたのは、小学校にあがる前まで。

バベルの塔のごとき巨大ビルを見上げて、

永遠にゆき交い続ける自動車たちを眺めて、わたしはおもう。

人々の欲望とゆうのは、どうしてこうも途方もないんだろう。

いや否、どうしてこうして日常を送ってゆけることこそが、

途轍もない幸福であることに、人々は気がつかないのだろう。


わたしの喜びは地味すぎるのかな。

あそっか、だからわたしには、「小さい仕合せ」が似合うとか言われるのか。


世の中には、あらゆる点でわたしより優れて見えるのに、

いつもいつもつまらなそうにしている人がいる。

こういう人の仕合せって、いったいどういうことなのだろう、とおもう。


わたしはなにも持っていない。

それでも、日々おもう。

空気がきんとつめたく澄んで晴れた朝。

見上げたら枯れ枝が空にひび割れをつくってるみたいに見えるとき。

風に新緑や枯葉や、咲く花や、雨の匂いが混じっている朝昼夜。

仕事帰りに歩く路地、目の前を子猫が横切るのを見て、おもわず足を止めたとき。

シャッフル再生のイヤホンから「風をあつめて」が流れはじめた瞬間。

誰かと囲む食卓。

居間のちいさなソファにキシダとふたり、

ソファに横向きに向かい合って互い違いに足を伸ばして本を読む時間。

読みかけの本をおなかの上に乗っけたまま、うたた寝する午後。

挽きたての珈琲がこぽこぽ、と落ちる香りが部屋に流れるとき。

日に何度もおもう。

「わたし、なんとなくしあわせみたいだな」と。

仕合せって、なんとなく続いていくから仕合せなんだ。