アッシェンバッハの彼岸から -20ページ目

西は懐かしくてよいな

アッシェンバッハの彼岸から-善福寺公園



西へいく用事があったので、ついでにお散歩。


中央線で十数分西へむかったところにあるその街には、

むかしというか数年前まで友人が住んでいて、

彼はその後、東京に疲れて関西に帰ってしまったのだけれど、

あの日当たりの悪いアパートはまだそのままそこにあって。

数百・数千枚のレコードやCD、古本、古雑誌が六畳一間いっぱいに、ハチャメチャにぶちまけられていて、その中にギブソンのアコギが埋まっていたり、炊飯器が斜めになったまま保温されていたり、なんだかもう部屋ぜんたいが宝箱かゴミ箱みたいだったのを、アパートの前を通るたびに思い出す。


それはさておき、お天気なのをいいことに、善福寺川沿いを散歩。

下町住まいも11年目ともなるわたしにとって、西東京は、それはそれは優雅な眺め。

美しい生垣を持ち、お花が咲いたお庭のある一軒家。

道路も空もひろくて、時折聞こえてくるとしたら、

クルマのエンジン音でもテレビでもなく、子供の弾くピアノの音だとか。

家々は整然と美しく立ち並んでいるように見えて、新しさも、大きさも、スタイルもまちまち。

曲がった道があったり、坂道があったり。

丘の上に公園があったり巨木の植わった空き地があったり、

そうかと思うと広大な境内を持つ神社が出現したりする。

歩くごとに風景が変わっていくから、お散歩の楽しみがある。

どこまで行っても同じような家並みが続く新興住宅地とはちがう。

きっと昭和の昔から変わってないんだろな、こののんびりさ、となつかしくなる。

住んだことなんかないのにねえ。


寄り道しながら小1時間ほど歩いて、善福寺公園へ。

お花見客でにぎわっていたけれど、都心の公園みたいにひしめいてる感じでなく、何となく長閑。

ギターを弾く人がいたけれど、演歌でも流行歌でもなく、ボサノヴァ弾いてるのね。なんと優雅な。

あたしらだったら絶対フォーク唄ってるよね。下町とはちがうのねー。あたしらには一生住めないよねー。

と、道行く子連れなどを横目にキシダと歩く、いつもとぜんぜん違う街。


おっきな木に、子どもたちが鈴なりになっていた。

わたしが育った新興住宅地には、きれいな公園はあったけれど、

子供がのぼれるような木なんかなかった。


西荻窪駅ちかくの”物豆奇”で最後はほっとひと息。


アッシェンバッハの彼岸から-物豆奇



同じように善福寺公園から歩いてきた花見客なのか、いつもは読書に最適な静かな喫茶店は、満席でにぎわっていた。

そのこと以外は、前述の友人が住んでたころと、なにひとつ変わってない。

喫茶店の窓はステンドガラスで、壁や天井には、たくさんのアンティーク時計やランプが飾られている。

向かいの小さな児童公園には立派な桜の巨木が何本かあって、

五分咲きの花が、3月終わりにしてはつめたい風にゆれている。

色ガラス越しの桜の木やら、いろんな時間をさしている時計を眺めて、

来年の桜の頃が想像つかないね、ちょっと楽しみだね、とキシダ。

そうだねぇ、ほんと。と答える。

この季節のわたしには珍しく、少しだけ来年が楽しみに思えたりして。

春の日のお散歩って、健康的なだけじゃない効果があるのかも。