アッシェンバッハの彼岸から -18ページ目

花降りそそぐ午後を歩く

今がまさに満開と、いっぱいに花をつけて静まり返った桜の木よりも、

わたしは、散り続ける桜のほうがすきだ。

今年の4月は、そんなことを唐突に思った。散りゆく花に感慨を抱くなど、わたしも年なのか。


平日の午後は、特有のぜいたくな静けさが好きだ。夕餉の支度もはじまっていないし、家路を急ぐ勤め人の疲れた背中も見えない。

小学生くらいの子どもたちが道や公園で遊んでいて、家からはピアノの練習の音が聞こえていて、きっとお母さんたちは束の間の自由時間を、テレビの前かなんかで過ごしたりしてるのだろう。独特のゆるんだ時間、という感じがする。

わたしはそんな時間に、とりわけ住宅街や路地裏をあるくのが大好きだ。迷子になるのですら楽しいのだ。


昼間、所用があって出向いた先から家に帰るには、バスに乗れば15分ほど。

けれど平日の午後である。連れもなくわたし一人。バスで急いで帰る理由などどこにもない。迷わずバス停と反対方面へと歩き出す。

方向音痴のわたしだが、大通りの位置を常に把握していれば、道に迷うこともなさそうだ。

その1本内側の狭い路地を歩くことにした。


ほんの10分ほど歩いたら、左手に立派な門が見えた。その先は小高い丘のようになっていて、見事な枝ぶりの枝垂桜が満開になっている。寄り道その1である。

門を入ると社があり、小さな釈迦像に色鮮やかな花々が供えられている。

甘茶で満たした盆の上に、童子の釈迦像。そういえば、きのうは花祭だったっけ、と、甘茶をかけて手を合わせる。

背後には丘へと連なる細い坂道があり、いろんなピンクの牡丹のつぼみが開きかけていた。

こんな静かな住宅街の中に、華やか過ぎる沈黙をたたえて、こんなに立派なお寺さんがあったとは。


お寺を出て、大通りから離れないように歩いていたら、今度は素敵な坂道に遭遇する。

目的地とは反対方面だけれど、魅力に抗えず、すこし上ってみる。寄り道その2。

坂道の片側に並んだ桜の木はいずれも立派に空の半分を覆っている。樹齢何年くらいになるのだろう?

無数の花びらが音もなく、片時も途絶えることなく舞い続けているさまは幻想的なほどだ。


やけに静かだ、と思ったら、桜の植わった敷地にある旧い団地が空き家になっていた。4階建ての、クリームいろの四角い団地が、じゅうぶんなゆとりを持って4棟ほど並んでいる。窓にベニヤを打ち付けられた部屋もある。

数年前に、阿佐ヶ谷住宅を訪れた昼下りの静けさを思い出して、すこし胸がいたくなる。ここにも、近代的で大きなマンションが立ち並ぶのだろうか。その頃、この立派な桜の木々は無事だろうか。

坂道では、新中学生くらいの制服姿の男の子が3人、アスファルトに積もる花びらを拾ってはぶつけあって遊んでいる。

4月の午後。ゆるんだ時間。

それでもひっきりなしに花は散り、いつしか枝は緑の葉に覆われる。旧い団地とそこに住んだ人々の時間は新たな風景に塗りつぶされる。時間は過ぎていく。