宇宙の中心でアヘミがぼやく -2ページ目

宇宙の中心でアヘミがぼやく

彩りを求めて世界で遊んでます。
日々思った事を書いてます。

ケミーキラーのアケミです。

Barケミーキラーでお酒飲んでます⇒https://www.facebook.com/chemmykiller/

これは今から9年前、私が26歳の時に自分という人間を本気で変えたくて、はじめて自分と真剣に向き合い始めた頃に書いてたノートの一部です。









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611

今日思った事。

あたいは人の好きな物を好きになってしまう

その人が好き。すなわちそれを好きというのはカッコイイ。って思って自分に言い聞かす

「好きだ。好きだ。」って。

でもそれちがう。

言い聞かせるのには限界がくる

なんかおかしいって思ってきた

見栄っぽい。

人によく見られたいから。

あたいの好きなもの見つけていこう。

たぶんあるはず。

鶏肉。空。風呂上がりの氷水。サイコー。


最近不調。

やりたいと思ってること何も出来ひん。

これじゃ前と何も変わんない。

でもこわい。

人に何て言われるのかこわくて。

動けない。

呪縛。あーどうしたらいい。どうしたい?





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625

周りに左右されてる自分がきらい。

かっこよくない。

これもまた「ダッセー」って思われてるんちゃうかって。

あたいやったらそう思うもん。

あたいが人に思うことに、あたいがそう思われてるんちゃうかって悩むとこ。

あたいがそう思ってるから。

あたいが原因。でもなんで?

そう思っちゃう。みとめる?


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72

こんな事言って「あ、こいつ自分で考えてへんな」とか思われてたらどうしようって思った。

そう。自分で考えてないこと。

人が言うてた事を自分の意見かのように話す事がよくある。

かっこつけたいんや。

あたい、こんなんやでーって。

うそや。うそやん。それ。


あーそういうとこめっちゃあるなー

そんな自分イヤやわーださい かっこわるい

かっこつけてるのが かっこわるい

自分で考えた答えがわからん

自分が何を思ってるのか 

どんなこと考えてるのか

言葉で言えない 

というか自分でもよくわかってないとこがある

そんな時は「わからん」でいいんや

あえて何も言おうとせんでいいんや


あたいって小さい 本間小さい事考えてる


ギクシャクしてしまった時 どうしたらいいんやろ?

いつもの自分に戻りたくても戻れない

「なんかしよう」とせんでいいんか

なんかしようとするから おかしくなるんや

がんばらなくていいって○○ちゃんも言ってた




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写真にないやつも一部抜粋




この頃のあたいは他人が好むものに憧れ他人に好かれる事ばかり考え、自分ではなく他人に軸を置いていたので、気付いた頃には自分の気持ちに嘘をついて生きてきてしまってて、自分の感情や気持ち、やりたい事が分からなくなってしまって盛大に病んだのだ⭐︎



そしてただひたすら、自分の情けない所ダサい所嫌な所、自問自答してる事を誰に見せるわけでもなくそれをノートに書きまくったのだ。



自分の中にある感情と向き合う1番良い方法だったと今でこそ思う。

誰しも持ってるやん負の感情。

それを認められない時ってあるやん。

そんな事認めたら自分が最悪な人になってしまうみたいな。

今でこそ、それが生まれる理由もあるって思い込みがあるって考えられるようになったから別に何も悪い事じゃないし自分を責めなくて良いんだと思えるけど。

でも、その湧き出た感情を頭の中だけで考えると脳みその容量が奪われてずっと脳みその中にあって情報が蓄積されてしまうから、ノートでアウトプットするのは効率もめっちゃ良いなと、それも今でこそ思う。


ノートだけじゃなくアウトプットの方法は色々あるから、それも自分に合ったアウトプットを見つけるのも良いですな⭐︎

見たくない感情こそ見ないと消えないのは痛感してきた。


その行為はもっと自分が嫌いになりそうになるけどそんな自分がいるんやって認めたくないけど、出てきたもんはしゃあなくて。


もうそこにあるから。


逆に否定すると、その感情はネチネチと自分にまとわりつく。


そしてそんな自分を否定するという更に悪循環な状況に陥ってしまう。

落ち込んでグルグルして塞ぎ込んだり、時にはその感情を拒絶し叫びながら私はそれを落とし込んでいった。

逆に、その感情は見れば消えるんですな。

中々しぶとい子もいるけどな。

こうやって自分にだけは正直にちゃんと書いたりして「本音」を見てあげていく事って本間に大事なんですな。

ノートに書く事を、アウトプットして本音を認めていく事を侮ったらあかんなと改めて考えさせられる。

(今も書く)

そうやって繰り返していくと、この時のグルグル考えてた自分というのはいつの間にか消えている。


なんでそんな事で悩んでたんやろって思える。

数年後見返した時に「頑張ったなぁ自分」ってしみじみ出来るし、病みすぎてる事に笑えてくるから。

そんじょそこらの病み具合じゃなかったから当時は笑われへんかったけど。


ま、でも今はかなり前向きで元気に生きてるし、当時なりたかった自分に近付けて来てるから結局は大丈夫なんやけどな。

そら12日では難しいかもやけど。


だって何十年も自分の頭の中の人と会話してるから。



もし今不安だったり孤独だったり、自分が嫌いで殻に閉じこもってる人がいたら、紙に感情や考えてる言葉をいちいち書いてアウトプットやってみてちょ。



嫌な自分も全部書いてみてちょ。



ほんで嫌な自分見たら次は好きな自分も見えてくるっちゃ⭐︎



んちゃっ⭐︎




にしても冷静な時と感情的な時の字の違いよ(笑)

自信って「私はこうなんだー!」って何かでっかいモノの事のように思ってた。


でもなんかそんなんじゃないねんなぁと思った。



褒められたらそら嬉しい。

自信が付くように感じる。

けなされたら悲しい。

自信が無くなるように感じる。



じゃあ褒められなければ自信は付かないのか?

けなされたら自信ってなくなるのか?


ってか自信ってそこには無いのでは?


その自信ってハリボテなのでは?



褒められてもけなされても、そのエネルギーは同じものなのでは?

質は違うけどただエネルギーなのでは?



人からの言葉ですぐ揺れるって事はそれは自分を信じてる事にはならないのでは?



ただ褒められて気分が良い、けなされて気分が悪いとかそれだけなのでは?



だから、どれだけ人から称賛されても満たされなかったんだ。



その気分の良さが快楽になって「もっと私を褒めて!認めて!」と承認欲求が始まっていったんだ。



まるでドラッグのように。



そしてそれでも満たされなかったのは、ハリボテの上部だけだったからなんだ。



本間は褒められてもけなされても自分である事には変わらないんだな。



もちろん褒められたら嬉しいよ❤︎

けなされたら、しばきたくなるよ❤︎



生きてると色んな人の声を聞いたり情報を見たり色んな世界を見たりした時に色んな考えや違和感や時には嫌悪感を抱く事がある。



でもその度に「ああ、こう感じてる私がいるな。でも私はこうだな。」

って自分の本質的な考えを肯定していく、そんな小さな小さな事の積み重ねなのだな。



自分はこうだなのスタンプラリーや。



それが自分を信じていく近道になるんだな。



そして自信を付けるというより、自信を失くしてしまった自分の重荷になっている〝なにか〟をちょっとずつちょっとずつ省いていって自然体の自分でいる事を選択していく事なのかもしらんな。



そのなにかは自分にしか分からへんねんな。

自分の人生は自分にしか進める事が出来ひんもんな。



今回私が気付いたのは、自信って人から貰うもんじゃないんやな、と。



自分から選択していく事なんやな。



何者でも無いってすごい楽なんやな。



自分の事を決めるのは他人ではないんやな。



今まで数々の人達がこういう事を沢山言って来られたし見てきたけど、それが腑に落ちるっていうのはその人のタイミングにあるのかもしらんな。



うんうん。



んでそのタイミングを早める技が「自分の感覚と感情にいちいち敏感になる」事かもしらん。




例えば


「あ〜あの人称賛されてて良いな喜びたいけど何か心の奥でモヤモヤするなでも喜ばなあかんよな」とモヤモヤを感じたら、なんでモヤモヤしてるのかを持ち越さずに自分の感情を見ていく。

そこで喜ばなあかんとかいう否定する自分も見ていく。


それは称賛されてる人がのように感じて自分がになっていると感じてる事が私の場合はよくあった。


でもそれは本当に自分が下なのかな?


まず上とか下とかいう概念はどっから来たんやろ?

誰かが決めた事よな?

生きてきた中で色んな人の情報を見たり聞いたりしたから、なんとなくそういうものだって信じ込んでいたんだよな?

凄い人の方が上だって。

上にならないと認められないって感じてただけよな?

それ誰に認められたいんや?

その人に認められる為に人生使っていいんか?

勿体なくね?

だってまず自分が苦しくなるよなぁ。

私は自分が苦しい事を続けていくんか?

上の時は良いかもやけど、下の時は凄い自分がクソ人間のように感じるんやもん。


もう、その概念要らなくね?


「ああ、下のように見られて悔しかったんだなぁ、悲しかったんだなぁ、見返してやりたいって思ってそれを原動力にしてたんだなぁ。だから人の成功をどこかで妬んでいたんだなぁ。そら喜べないよなぁ、しゃあないよなぁ。でも人に左右されるの苦しいよなぁ、要らんよなぁ。

私はその考え方でこれからもいく?それとも自分が楽になる考え方を選ぶ?

そもそも私は上でも下でもない存在で今ここにいるだけの存在よな。

それを誰かが勝手に決める事でもないよな。

あ、自分で勝手に決めてたんや。

違う違う、私の事は私が決めるんや。」

(心の声おわり)



って本間いちいち見ていく。

いちいち選択していく。

いちいちがミソや。

何度も何度も出てくるから。

面白い事に同じような状況があの手この手使って現実に現れてくるのがこの宇宙の仕組みなのだから。



でもそういう事の積み重ねをしっかりやっていくと、どんどん自分の声が聞こえてくるようになって、どんどん生きやすくなるさかいにな。



人の事も素直に喜べるさかいに。

だって自分が下で誰かが上であるという概念はそもそも無いんだから。



苦しい事ももちろんあるけど、その苦しみが自分の考え方や、ただ信じ込んでいただけで本来の自分ではない概念に気付けて、それを変えるチャンスに思えるさかいにな。



ただの「仕組み」という事に気付けるさかいに。



そうすれば状況に振り回されんようになるさかいに。



人の声で一喜一憂せんようになっていくさかいに。



マウントゲームからも抜けれるさかいにな。



マウントとってくる人にもそうなってしまった事情があるんやと俯瞰して見れるさかいに。




自信がある自分って何かでっかい「私はこうなんだー!」ってモノやと思ってたけど、ただこういう小さな小さな積み重ねの選択が出来る自分の事を言うんやなぁ、と。



それは凄く地味な事なんだなぁ、と。



でも生きやすくなるんやったら何でもええやんな







❤︎❤︎❤︎



文章長くなってしまったけど、最後まで読んでくれてありがとう。


自己卑下思考型の私が自分を信じるという作業をしている過程のお話が、同じように感じてる人に何か届いたらいいなっ



ピュッ✌︎


私はいつも何者かになろうとしてた。


自分で作り上げたアケミというイメージの人間でいる事に縛られていた。



面白くて明るくて皆の前ではハッチャケてて場を盛り上げて、人生がいつも上手くいってるように見える自分、人生を楽しんでる自分だったり。



でも、おもんない自分、暗い自分、人に会いたくない自分、人生が上手くいってないように感じる自分、そんな自分を認めれずにいたんだなぁ。



昔から皆の前の自分と、自分の中の自分のイメージがどんどん違ってて。



自分の中に恐れがあったんだろうな。



面白い自分でないと可愛がられない

変な自分でないと面白がってもらえない

優しい自分でないと受け入れてもらえない



人から認められない事や受け入れられない事に恐れがあったんや。



でも自分の声を聞いていくと



どんな自分でもしゃあなくない!?

暗くてもよくない!?

自分なりに前向きに生きてるくない!?

暗くてもたまにはよくない!?

おもんないって誰かが決める事やんな!?

自分がおもろいって思ってたらよくない!?

そこ人と違ってもしゃあなくない!?

会いたくないんやったら会いたくないでよくない!?

その人を軽く扱ってないよな!?

え、そんなん気分で良くない!?

人生うまくいってないように感じてるって、それ今の事しか見てなくない!?

雨の日だけみて「私の人生一生雨だ」って言ってるのと同じじゃない!?

晴れの日を見てあげてなくない!?



ってか、、、

他人の目や声が入りすぎじゃない!?

そこ基準になってない!?



あれ!?

ちゃうやん、、

なんかちゃうやん、、



それ、その生き方しんどいやん、、、

そら人に気遣いまくるやん、、、



って思ったわけなのさ



でも長年こびりついた思考の癖は中々ひつこいのさ



でも、そんな自分も受け入れてあげようと思ったのさ



私は考えすぎる所もあるけど、そんな考えすぎる自分が嫌いじゃないのさ

だって考える人間だから

考えない人間にはなりたくないのさ



そして日々そういう自分の癖を見直す事の繰り返しなのさ



だからあっち行ったりこっち来たりしてるのさ



でもそれでもいいのさ



一方通行じゃないのさ



そしてそんなリアルな心の声をこれからも表現していきたいのさ




アケミはアケミを演じる事を辞めたのさ


アケミを生きる事にしたのさ







演じてると枠の中に入っちゃうのさ

それしか出来ないのさ

だから制限してる事から解放させてあげるのさ

すると沢山の可能性がそこにはみえるのさ

だって人間には成長という機能がついてるから形を変えまくる事が出来るから



ま、いつもこんな事言ってるけどさ



それがリアルなのだわさ





同じように感じてる人に届いたらいいなって思ってさ



今ピアノで魔女の宅急便の挿入歌

「海の見える街」を小学校3年生ぶりに暗譜に挑戦してるんだけど。







この曲を勉強する中で

吹奏楽をやってたけんじが指揮をやってくれる事になって

けんじがこの曲を聴いて勉強してたら


「この曲は今のアケミにピッタリや!キキが今から新たな人生を歩み出す時の曲やねん!だから魔女の宅急便みよう!」


と昨夜突然言い出して

レンタルして観たんだけど、

ドンピシャで今の自分にハマって

大号泣だった。



魔女の宅急便は雰囲気が1番好きって

感じやったんやけど

こんな根幹を観れたのは初めてや。



観る時によって観え方が変わる

ジブリは本間に凄いな。


世界に送られたプレゼントやな。



今の私が感じたのは、

皆漏れなく絶対に大人になる。


人から変な目で見られたり、

嫌な事されたり、人を羨んだりして、

そんな自分が嫌になる時もあったり

拗ねる時もある。


人生が嫌になる時もある。



でもそんな自分に拗ねてたら、

自分本来の素直さや

個性や良さが見えなくなってしまう。



それでも自分を信じる事が

どれだけ大事なのかという事を

考えさせられた。



なぜなら自分を信じないと、

せっかく生まれた自分という人間の

人生を本当の意味で歩む事が出来ないから。



誰しもが持ってるその人にしかない

個性を発揮出来ないから。



他人の言葉を気にして生きてると、

それは

自分の人生を歩んでるのではなく、

その他人の人生を歩いてる事になるから。


でもそれも大体の人が通る道で、

この世界の一つのシステムに

なってるような気もする。

ゲームの一貫みたいな。


ま、それは置いといて


自分を信じるって、

自分を信じる自分に成る!って感じの

イメージやったんやけど、そうじゃないんや。


元々は皆自分を信じるのが

当たり前に出来てたから。


それを思い出すだけなんやなって。


大きな何かに成る事が

自分を信じれる事ではなくて、

今の自分の声を聞いてあげる

積み重ねの事なんやなって。



でも大人になると、

色んな教育や色んな人の考え方や

情報が溢れてるから、

自分の声よりそっちの方が

正しいかのように聞こえて

中々難しくなるし分からなくなるよね。



でもそれでも

自分の声を聞いてあげる、

自分を信じてあげるって

自分に勇気を出して素直になった時、

人は本当の意味で

本来の自分に戻るんやなって。



それが奇跡を起こすんやなって。


というより

本来の自分で在るという事が、

そもそも奇跡なんだという事を

思い出すのかもしれないね。



嫌な事も辛い事も必ず起こる。

誰しも漏れなく。



素敵な人生を送りたい!ってなんか

もの凄い喜びとか楽しいしかない

イメージのようだけどそうじゃなくて、

喜びも楽しいも悲しみも怒りも辛いも、

全部ひっくるめて喜びなんだという事を

改めて感じさせられた。



そして

人は人との出会いによって助けられ、

人によって傷つき、

そして

また人によって

成長していくんだなって。



だから、

目の前にいる人は

自分を学ばせてくれるんだなって。



これを観て私も

前向きに生きていこうと思った!(単純)



どんな自分でもいいや!

だってそれが自分なんだもん。

自分だけの人生なんだもん。

誰も行けない、

自分にしか行けない道なんだもん。

どんな道であろうと

目一杯大切にしてあげよっと。



エンディングテーマの

「やさしさに包まれたなら」も

いつも聴いてる曲だけど

聴こえ方が全然違ったもんな。



そしてピアノで弾く曲を

なんとなく選んだ

「海の見える街」を選んで良かった!


なんかちゃんと自分は知ってたんかもしらん!



キキが新しい街に出会って

今から冒険が始まる感じ、ワクワクする。



これを自分の納得いくまで

ピアノ練習する!!!

完成したら載せる!!!


という事をここで宣言する。


インスタのアカウントを載せておくな

https://www.instagram.com/achemmy/?hl=ja




ああ、ジブリありがとう!!!!







わあ

これ書いたの

4年前やて!!


なんか今見ると感慨深い記事



この時一緒に行った

マリちゃんは先日

ミスなでしこ大阪大会

グランプリを獲ったよ!!





この4年

それはそれは

ものすごく

自分と向き合い

頑張ってたのを知ってたから

この記事が余計にまた感慨深く感じる。





グランプリを獲った日のマリちゃん

今まで会った中で

史上最強に可愛かった。





マリちゃんの本質的な

子供のような可愛さが

丸裸になったような。


キラッキラしてた。





血の滲むような努力をしてきたのは

一部だけだと思うけど見てきた。

でもそういう苦労とか努力みたいなのが

あの時一切感じなかったのがまた凄くて。



“苦労した結果“

というより

“ここにいれて幸せ!”

そんな存在感を醸し出していた。



凛とした花のようだった印象の彼女が

まるで小さくて可憐な花のように

雰囲気まで変わったかのようで

めちゃくちゃ驚いた。


人ってこんなに変わるんやって思った。


特に彼女の底力はほんま凄い。


なんやろ

人間の可能性って凄いなって

ありきたりな言葉やけど

彼女を見てて思った。




4年前に

まさか彼女がランウェイで

輝いてる姿を見るなんて

思ってもみなかったな。



グランプリ獲った後に

彼女と連絡とってて

言ってた言葉がある


グランプリって獲るもんじゃないんや

授かるもんなんや


それを聞いて泣いた。


もちろん

グランプリ獲った瞬間も

終わる時も

帰り道も

家帰ってからも

ずっと泣いてたけどw



凄い瞬間に立ち会えて

感動が止まらなかったんよな。



これからも彼女が作り出す物語を

見るのが楽しみ。



マリちゃんがインスタで

グランプリの想いとか

色々書いてるので

見てみてちょ

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