世界の優しさ | ちょこっと幸せニューヨーク

ちょこっと幸せニューヨーク

*NY在住シンガーソングライターCHOCO。ビジネス、音楽活動、アーティストサポートのお仕事、3児の子育て、大好きなことで溢れるニューヨーク生活。毎日もがきながらも感じている幸せのおすそ分け*

 

空が高く、清々しい6月。

 

 

 

 

 

なのですが、最近はコロナ騒動だけでなくとても悲しくなるニュースが多くて、

 

 

 

 

 

気分が晴れませんショボーン

 

 

 

 

 

ミネソタ州ミネアポリスでの事件を発端に、

デモや暴動があちこちで起こり、

 

 

 

 

 

米国各地の人々にとって、

人種間の壁を、改めて目の前に突きつけられた事件について。

 

 

 

 

 

多くの人が、芸術やスポーツなどの分野で、黒人文化に影響されたと言うように、

 

 

 

 

 

私個人的にも、

 

 

 

 

 

歌い始めたのは、高校生の時ブラックミュージックに影響を受けたからでした。

 

 

 

 

 

大学時代は、男女共に黒人の友人が多かったし

 

 

 

 

 

レゲエやR&Bバンドのメンバーとして、

ツアーやレコーディングに参加したこともあって。

 

 

 

 

 

正直、ブラックコミュニティや彼らの歴史がなければ、

今の自分もいなかっただろうと断言できるほど、

 

 

 

 

 

本当に、彼らからは感謝すべきたくさんの恩恵を受けて来ました。

 

 

 

 

 

友人の内では、異国民の私を、兄弟・姉妹のように快く受け入れてくれた人たちも多くいましたが、

 

 

 

 

 

その中でも、やっぱりアジア人として差別する人も、

一定数はいて。

 

 

 

 

 

それはそれで、仕方のないことだと感じていました。

 

 

 

 

 

アメリカの歴史の中でも、「人種差別」はあまりに繊細な話題で、

 

 

 

 

 

教科書に載っているようなことや、

自分が実際に見聞きしたことなんて、

氷山の一角であるだろうし、

 

 

 

 

 

米国民として、もしくは彼らと同じ人種として、

生まれ育ったわけでもない自分や周りが、

 

 

 

 

 

「何が正しいか」につき意見をするのは、

とても違和感を感じます。

 

 

 

 

 

 

ですが、個人的な意見では、

 

 

 

 

 

「人として」許されるべきでないことが、

これまで長い間容認されて来たんだなと、

 

 

 

 

 

悲しいことに、ハッキリ感じています。

 

 

 

 

 

 

きっとここアメリカでなくても、

アジア圏でも、

日本国内でも、

会社や学校の中でさえも、

 

 

 

 

 

程度の差はあれど、

世界中どこでも差別はあって・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人種の問題だけでもなく、

はびこっているのだと、感じます。

 

 

 

 

 

それが「いじめ」であったり、

「ひいき」であったり、

 

 

 

 

 

いずれの形にせよ、

「先入観だけで虐げられている人たちがいる」

ということは、

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に悲しいこと。

 

 

 

 

 

 

 

「社会」や「グループ」を構築すれば、

 

 

 

 

 

それに属さない者との「線引き」が起こるのが自然であり、

 

 

 

 

 

こういう問題を完全に消滅させることは、

難しいことだと感じます。

 

 

 

 

 

だからといって、これほどまでに

米国で生まれ育った米国人によって、

 

 

 

 

 

同じ米国人として暮らす人たちが差別されているのは、

 

 

 

 

 

見ても聞いても、

本当に気分が悪くなることばかり。

 

 

 

 

 

許されるべきでない差別的な習慣が、

まだたくさん残っている現実に、胸が痛みます。

 

 

 

 

 

米国やニューヨークだけではなく、

 

 

 

 

 

全世界どのコミュニティでも、

程度の差はあれど、

起こっている問題。

 

 

 

 

 

例えば、私が京都出身だということだけで、

腹黒いとか思われたり?

 

 

 

 

 

↑冗談で済むこのレベルならいいですが。(笑)

 

 

 

 

 

そういう外から見える「ラベル」が、

ものごとの判断材料になるのは、

仕方がないことなのかも知れませんが、

 

 

 

 

 

もしそれで傷つけられている人がいるなら、

あってはならぬこと。ぐすん

 

 

 

 

 

 

ここニューヨークは、色んな国から色んなバックグラウンドの人種が集まるので、

 

 

 

 

 

それこそ十人十色の文化や思想を学べることが、魅力であるし、

 

 

 

 

 

 

それぞれの、違いを尊重できる機会でもあります。

 

 

 

 

 

ただ、ちゃんと仲良くなるまでは、

お互いのコミュニティとの壁を感じるというのは、

 

 

 

 

 

幾分、仕方ないことであるのかも知れません。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

田舎に行けば、私たちアジア人もどのような目で見られるのかも分かりません。

 

 

 

 

 

アジア人だって、中国、韓国、東南アジアの方など、

 

 

 

 

 

 

それぞれのお互いの中で「区別」していると思います。

 

 

 

 

 

 

今回のことで、ふと思い出した、12年前くらいにあったこと。

 

 

 

 

 

 

家から徒歩15分くらいの中華系スーパーに買い物に行ったとき。

 

 

 

 

 

生まれて間もない長女を抱っこひもで抱え、

3歳の長男をストローラに乗せて、

 

 

 

 

 

暑い夏の日で、

買い物をした帰りぎわ見事に夕立ちとなり、

 

 

 

 

 

数分待っても止みそうになかったので、

 

 

 

 

 

傘を忘れた私は、

長女の頭にビニール袋を乗せて、

長男のストローラーを押し、

大雨の中、しぶしぶ歩き出したところ。

 

 

 

 

 

数メートル進んだとき、

後ろから中国語で呼び止められました。

 

 

 

 

 

振り返ると、

60〜70代のおじいちゃんが、

傘を持って追いかけて来て、

ゴニョゴニョ話しかける。

 

 

 

 

 

あー、中国人だと思ってるんやろな、、、と思いながら

「ごめんなさい、ワタシ中国人じゃありません」って英語で答え立ち去ろうとしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

そのおじいちゃん、英語がさっぱり通じず、

 

 

 

 

 

それでも「$&*&%#@$%」みたいに話しかけて来ながら、

 

 

 

 

 

 

さっと私の頭に傘をさしてくれました。傘

 

 

 

 

 

 

恥ずかしながら私は、

中国人じゃないと分かったとたんに、

彼は戻って行くのかなと思ってた。

 

 

 

 

 

何度も「It's OK, we're fine.(私たちは大丈夫です)」って身振り手振りで伝えても、

 

 

 

 

 

おじいちゃんびしょ濡れになりながら、ニコニコずっと着いて来て。

 

 

 

 

 

一言も話さずに(というか、おじいちゃん、"rain = 雨"も分からない相当な会話レベルだったし、、、滝汗)、

 

 

 

 

 

 

その後もだまって私の家の近くまで、15分もの間ずっと傘をさしてくれました。

 

 

 

 

 

身振り手振りで、もうそこが家だからと伝え、

最後「謝謝」とだけ言うと(これしか分からん)、

 

 

 

 

 

 

嬉しそうに笑って、元来た道を戻って行きました。

 

 

 

 

 

 

2020年ことし、コロナ騒動があって、

 

 

 

 

 

 

トランプ大統領や、世界中の人たちが「中国人」に対する風当たりが厳しくなっている昨今、

 

 

 

 

 

私は、あのおじいちゃんを思い出していました。

 

 

 

 

 

ニューヨークの街を歩いて、

 

 

 

 

 

アジア人だからと、不当な扱いを受けていないかな、

中国人だからと、差別されていないかなと。

 

 

 

 

 

私たち日本人だって、

アジア人だからと差別を受けている人も多く、

 

 

 

 

 

実際そういう目に遭えば、

 

 

 

 

 

ついつい、「私たちは中国人とは違う!」と声を張り上げたくなるかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

だけど、やっぱり、

 

 

 

 

 

 

国や人種、肌の色では、

人を判断できない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一人一人を「人」として見ようとすること。

 

 

 

 

 

当たり前のことですが、

 

 

 

 

 

それが一番大事で、正しい。

 

 

 

 

 

どんな国のどんな人種にだって、

良い人もいるし、悪い人もいる。

 

 

 

 

 

ただ、それだけのことを、

 

 

 

 

 

 

 

どうして、私たちは忘れてしまうのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

国籍、肌の色、年齢、性別、習慣、文化

学歴や年収、職種、肩書き、住んでいるところ、、、、

 

 

 

 

 

大人になっても私たちは、

人を分けて考えずに、生きては行けないけど。

 

 

 

 

 

 

自分自身や、周りも、

世界中がお互いについて、

積極的に理解しようと努力して行くべきだということ。

 

 

 

 

 

ここューヨークや、

アメリカ全土だけの特別な問題ではなく、

 

 

 

 

 

顕在化しないだけで、

聴こえない小さな声が、そこら中にあるのかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

I am not Buddhist, nor Christian not an atheist.

I am not the job I do everyday.

I am not the music I like.

I am not the clothes I wear.

I am ME.

Your perception of me should not change because of the labels you decide to attach to me.

 

私は仏教徒ではないし、キリスト教徒でもないし、かといって無神論者でもない。

私が毎日やっている仕事が、私自身を表すわけではない。

私の好みの音楽が、私自身を表すわけではない。

私が着ている服が、私自身を表すわけではない。

私は、私である。

あなたが認識する「私」という人間は、あなたが決めた先入観によって、変えられるべきではない。

 

 

 

 

 

 

「人」を人として見ることで、

 

 

 

 

 

世界がみんなに優しくなれる。

 

 

 

 

 

それを、子供たちや周りにも、行動で伝えて行くこと。

 

 

 

 

 

どこにいて、誰に接していても、

念頭においていたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

そして、今後もしも何らかの事態で、

日本人の評価が悪くなった時、

 

 

 

 

 

「でも、やっぱり良い人もいる」と思い返して頂けるような、言動を心がけたい。

 

 

 

 

 

ずぶ濡れの私たちに、傘を差してくれた中国人のおじいちゃんみたいに。

 

 

 

 

 

「人」として見て頂けるように。

 

 

 

 

 

 

まずは自分が学ぶことを止めないこと。

肝に銘じて、努力していきたいと、思います。

 

 

 

 

 

 

 

今日も、世界がみんなに優しくありますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

キラキラ虹