ついに毎年恒例、ニューヨークの極寒期がやって来ました。
(↑昇ったとたんに沈みそうな朝日。)
街中や家々のホリデーデコレーションやライトもすっかり消え、
あちこちで横たわる生木のツリーが少し痛々しいこの頃です
お正月の次は成人式というものがあると聞きましたが、私は経験がないので、
七五三の20歳バージョン+同窓会みたいなもの?っていうイメージ。
お正月気分が過ぎ去ったことを意味するものなのかなぁ、、、と想像しています。
父の30年ほどの単身赴任生活にピリオドを打つべく、
去年の春、母が東京で暮らす父を追いかけて上京し、
セカンドハウス扱いとなった京都の実家は、お正月もとても静まり返って少し寂しげ。
短期帰国したときに、静かやなーて思っていたら、
玄関の戸口の下部のガラスが破損していて、大人の手のひらサイズの穴が。
あれっ?って不思議に思ってたら。
耳がすごく大きいアビシニアンのようなロシアンブルーの猫がそうっと入って来て、
どうやら私たちが不在の間に住み着いていたようで。
手なずけようとしたけど、野性育ちなのか警戒心が強くてすぐ隠れる。
なんだかジャマしたらいけないような気がして、物音たてないように気遣ってたら、
ある朝ふと気がついたらなんと、20〜30匹の赤ちゃんが!!
わらわらとおぼつかない足どりで、実家のあちこちの部屋にみゃーみゃー散らばり、
さすがにこれは何とかしないと!ってなり、
保健所に電話しようか、
でもそうなると処分されちゃうかもしれないから、誰かもらってくれる人をネットで探そうか、
でも、本当に信用できる人がネット上でちゃんと見つかるのか。
それにめっちゃかわいすぎて手放すとか無理かも。。
いや、むしろ自分で全部飼おうか!
と思って近づいたら、母猫が「フゥー!!!」って威嚇して来るし、
でも彼女も結構血だらけでグッタリしてはるし(そらそうやわ、20、30匹生んだらね)
せめて獣医さんに連れていかんと!
って手を出したら、また「シャアァアーー!!」って聞いたこともない声出してめっちゃ引っ掻くし、(いや、ただ助けたいんやけどね?しかも家宅侵入そっちやん)
チビにゃんこ達は空腹に泣きわめき、
お風呂場やキッチンあちこち徘徊して、
玄関に開いた穴から外に転がり出るのを慌てて連れ戻したりして、
ああ、もうどうしたら!?
ってパニックになったとき、
目が覚めた。
そんな感じの初夢でした。
とんだ大騒ぎでしたが、
可愛すぎて・・・しばらくほんわり。
えっと、、、初夢って叶うんでしたっけ?
そうなったら本当どうしよう
野良出身の母親とうまく歩み寄れるのかなとか、(しかも京都出身の野良)
ずーっと変な妄想が止まりません
思い返せば、
去年のちょうど今頃、我が家のハムスターのポポ太がお空にのぼりました。
この時期、本当に極寒のニューヨーク。
その頃も連日マイナス10度以下の真冬で、
ポポ太はじき3歳でもう寿命(人間でいうと90くらいのおじいちゃん)でした。
人間にとっても厳しいこの時期。
家の中でも寒かっただろうな、と思いながらすごく落ち込みました
その時のブログを読み返したら、1年前のヤバメ精神状態の自分(とニューヨークの恐ろしい寒さ)が。(苦笑)
もうあれほど落ち込むことはなくても、ポポ太の写真を見ればウルッと来るし、
今でも毎日毎日、ポポ太を埋めた場所を通るときは子供達と手を合わせ、
お空で見守ってくれていることへの感謝と、自分が生きていることの素晴らしさを思い返しています。
日本にいたときは3匹、ロスとボストンでは1匹飼っていた、幼少期からの大の猫好きのワタシですが、
それぞれの最期は見届けられなくて。
インスタやYouTubeでふとアニマルページ閲覧が止まらない自分がいます。
あー、これはやばい。。
見れば見るほど、
猫が欲しいーー
なんて言っちゃって叶っちゃったら本当どうしよう、、、
困るけどうれしいとか、依然妄想が止まらず
でも、
何が恐いって、
世話が大変だとかでなくて、
お別れの時を想像するとですよね...
あんな可愛いにゃんこ達といつかお別れすることになるかも、なんて。
想像するだけでもう精神崩壊しそうです。(あ、まだ現世界では出会えてません)
そして、周りの友人達から聞くには、
お別れは、やはりこの寒い時期が多いみたい・・・
自分たちで服を着たりお風呂に入れない動物にとったら、冬は堪える時期なんやろなぁ。
私たちにとっても、
この時期のニューヨークは行事ごとも一段落して、街も活気をなくし、
温かくなる春までの間、色んな時間がゆっくりと流れる季節。
急に静かになるので、にぎやかな時期とのギャップで少し寂しい気もします。。。
でも、ドタバタするサイクルが巡ってくるまでの、今しかできない休息もあるのかも。
実は年明け早々、ある大きいプロジェクトに関わる予定だったのですが、
取引先の大本との最終判断がまとまらずに、スケジュールがぽっかり空いてしまいました。
でも、なんだかこういうのも全て必然であり、ご縁なんだろうなぁ、という気がしています。
きっと、この埋まるはずだった2、3ヶ月の間に、また別の出会いや機会があるのかも知れないし。
そして、ゆっくり休まないといけないという必然的なサインなのかも。
以前読んだ本で、「現代人は何もしないことに向き合えない」と書いてあったのを思い出しました。
月曜日は仕事の後ジムに行って、
火曜日はサークルの集まり、
水曜日は習いごと、
木曜日は...
というように、スケジュールを埋め尽くし、
そしてその合間に、
将来いつどこで役に立つのか本人も全く見当ついていない資格の勉強をして試験を受けまわり、
◯◯検定◯級、◯◯認定インストラクター、◯◯ソムリエ、◯◯免許保持者、というのを数個保持し、
自分がどういう人間なのか、SNSの自己紹介欄などで、客観的にわかる肩書きを持っていないと不安で仕方ない、と。
だから、そういう資格検定をウリにしてるスクールや業者は儲かるそう。(まさに現代人の心理に基づいたビジネス)
そして、一人の時間が耐えられず、
常に人がいる場所に出向いたり、実際に会うより楽なSNSに集まる。
もちろんそれらの習いごとや、
なんとかの集まりが心から好きで楽しめたり、
自分の好きなことを極めたいから資格取得を目標としてるなら、
本当に素敵
でももし、
とにかく何か予定が詰まっていないと不安で、
誰かと一緒にいないと寂しくて、
SNSで他の人がどう過ごしているかトラックダウンしないと気が済まなくて、
それらの行動の後、
満足感や安心感、達成感よりも、
疲労感や孤独感、虚無感が勝るのであれば、
年始のブログで言っていた、自分の大切な命のろうそくをただ燃やしているのかも知れません。
そういう、人との接触がない不安や、
「こんなことをしている場合じゃない。何かをしなければ」という焦りや衝動が沸き上がり、つきまとう時期は、
きっと誰にでもあるし、自然な感情とは思いますが、
私たち人間は、
真冬に凍え死ぬことが無いように知恵や対策知識があるし、
そのうち必ず春は来て、やる気が戻る時は来るし、イヤでも忙しくなるかもしれない。
自然に逆らわず、しっかり休んで自分に向き合ったり、
他人を介入させない自分だけのための時間を作り、心から楽しめるのって、
けっこうレベル高いのかも。
Worrying does not take away tomorrow's troubles, it takes away today's peace.
心配することで、明日の困難を取り除くことはできない。それは、今日の安らぎを奪うだけ。
春が来るかどうかを、冬の間に悩む必要はない。
余計な情報や不安、衝動、欲を自分の中に入れない。
これもきっと「断捨離」の一つだと思うんです。
冬眠する動物がいるように、私たちだって越冬のためにスイッチオフが必要な時期がある。
そしてその時期は、きっと人によって違うから、
自分以外の誰かは充実しているとか、楽しんでいるとか、
そんな一時的な側面だけを比較した現象に悩まされる必要は、ない。
誰にだって冬の時期はあるけど、
気がつけば、冬は終わる。
どうせなら、ゆっくり休んだり、思いっきりダラダラ過ごしたり、気楽に楽しめる計画立てながら過ごしたいです
結局オンシーズンは楽しいことがドダダダダーーーーッと津波のように押し寄せて来て、
なのに、あっという間に過ぎてしまい、
楽しいけど、余韻に浸る暇とかもなかったから。
今こそちょうどいいミニマム範囲でリラックスできるのかも知れません。
皆さんも、自分らしい越冬の時間を楽しんでいますように。
そのためにはゆっくり自分を労って。
元気があれば何でもできる!