New Year's Resolution・明日は無いと思って | ちょこっと幸せニューヨーク

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*NY在住シンガーソングライターCHOCO。ビジネス、音楽活動、アーティストサポートのお仕事、3児の子育て、大好きなことで溢れるニューヨーク生活。毎日もがきながらも感じている幸せのおすそ分け*

2018年1月も半ば、今年はどんな一年になるでしょう。

 

あるいは、どんな一年にしたいと思いますか。

 

それぞれが様々な予想や期待を思い巡らせますが、

 

「去年ほど幸せでなくても良いや。」って言う人はいないでしょう。

 

去年が幸せ過ぎたとか、逆に不幸だったの類いは、今後の幸せの追求を放棄する理由にはならないですよね。

 

 

 

 

なぜなら、私たちは、命という時間と引き換えに、幸せや夢や快楽を手に入れようとしているから。

 

 

 

 

誰だって、時間を費やしてまで不幸になっても良いとは、思わないはず。

 

 

 

今日よりも明日、今年よりも来年、将来におけるhigher groundを目指すことで、より良い生き方ができると信じるから。

 

 

 

 

ただ、それが実際に叶うかは、別の話。

 

 

 

 

 

 

今年のお正月は、年明け早々にツリー片付け、友人家族とお祝いしたり、

 

 

 

 

 

年が明けて急に静まり返った街に出かけ、

 

 

 

 

 

大学時代からの付き合いの、家族で世界を駆け巡るスーパーミュージシャンの友人とカフェで延〜々と「愛」キラキラについて語ったり、

 

 

 

 

 

 

 

最低気温−15℃の極寒の中、友達のショウを観に行ったり、

 

 

 

 

 

 

Loop Troupe's Taking It Too Far ツボにはまりまくりのダークコメディビックリマーク

 

 

 

 

先日ニューヨークは、市からwarningが出るほどの寒波雪となり、

 

 

 

この豆腐の角のようなシェイプとか、

 

 

 

 

 

砂丘を思い起こさせる波紋とか(その波に、このまま漂流していきそうな車のアングルとか)、

 

 

 

 

景観があまりに美しく、凍えながらも癒されていましたが、

 

 

 

 

この数日間の極寒のせいか、

 

 

 

 

ページのトップにも出ているうちのハムスターのポポ太がお空に逝ってしまいました。。

 

 

 

 

新しくピアノを配置したことで、

 ベッドルームに小屋を置き変え、

 

 

 

 

ヒーターの隣にしたけど窓にも近く、

風が入りにくいようタオルをかけたり、

 

 

 

 

それでも今年は異常なほどの寒さで、部屋の中でも着込むほどで。。。雪の結晶

 

 

 

 

ようやく気温が少し上がりかけた、雨まじりの雪が降った朝、

小屋の奥で、動かなくなっていたポポ太に気付きました 。

 

 

 

 

ちょうどその前日は、朝からピアノの修理の方が査定に来たり、

午後はクラスがあったり、

夕方は七草粥で無病息災を願う準備で買い物に走ったり普段よりバタバタしていて、

 

 

 

 

 

夜、洗い物をしているとき、9年前母が渡米した時に買ってくれた、とても華奢なワイングラスを割ってしまった。

 

 

 

 

派手に落としたわけでなく、他の食器に少しぶつかっただけで、薄い氷みたいにパリンと。

 

 

 

 

9年間とても大事にして来たお気に入りのやつ、こんな一瞬で?って。

 

 

 

 

驚いて、数秒間ボーゼン...チーン

 

 

 

 

その時にヒヤッとしたあの感じが、

 

 

 

 

サインだったのかも。

 

 

 

 

ハムスターは寒すぎると疑似冬眠をはじめ、

放っておくとそのまま凍死に繋がるらしく、

気付いたら起こさなければいけないそうで、

 

 

 

 

ピアノに浮かれてたから?とか、

あのままリビングに置いてあげていたら早く異常に気付いたのかも、とか、

少しびっこ引いてた様だったから獣医さんに診ておうかとか、

小屋を換えようかとか、

 

 

 

 

色々と考えてたところだった。

 

 

 

 

もっとなにかできることがあったのかも知れない、と考えると、

 

 

 

 

本当に苦しい、、、

 

 

 

 

3年前の2月にうちにやって来たポポ太は、モコモコしていてタンポポの綿毛のようなしっぽから命名。

 

 

 

 

でも最近では綿毛がしぼんだような、一回り小さくなって見えました。

 

 

 

 

もうすぐ3歳、老齢なので何があっても不思議ではなかったけど、

 

 

 

 

つい数日前までは超アスリート並に動き回っていたのに、

 

 

 

 

こんな突然?

 

 

 

 

せっかく寒波が終わり、ここから少し温かくなるところだったのに?

 

 

 

 

ペットは人間より遥かに短命で、

遠くない将来こうなることを理解していたつもりでしたが、

 

 

 

 

夜寝るときベッドサイドでゴソゴソ動き回るちっちゃいオッサンの音がもう聴こえないこととか、

 

 

 

 

掃除機かけるとき、起こしたらどうしよう、っていう不安がもういらないとか、

 

 

 

 

思い返すと呆然となり。

 

 

 

 

予期していたのにこれだけショックなら、

 

 

 

 

遠く離れた日本にいる家族とか、友人とか、大切な人がいなくなったら、、、?

 

 

 

 

どうやって受け止められる??

 

 

 

 

死は誰にでもいつか必ず訪れるし、それを免れることは不可能で、

 

 

 

 

それは、数年後かも知れないし、明日かも知れない、って解ってても、「仕方ない」って思えるもの?

 

 

 

 

時間が過ぎて、

年も変わり、

自分も歳をとり、

子供たちは大きくなって、

家族や旧友は年老う、、

 

 

 

その間、必ず何度か直面する、誰かの死。

 

 

 

 

特に海外に居たら、家族の死に目には駆け付けられない確率の方が高い。

 

 

 

 

物理的に毎秒毎分すべてが少しずつ変わり、

 

 

 

 

留まるものって、実はなにひとつない、って頭では解っているつもりでも、

 

 

 

 

こんなにショック受けてる自分に驚き、、、えーん

 

 

 

 

なにが辛いって。

 

 

 

 

他に何か出来たんじゃないか、結果を変えられたんじゃないか、と思うとき。

 

 

 

 

もうとにかく何もする気が起きなくて、

ぼんやりとペットロスに関する記事を見てたとき、

 

 

 

 

こういう時は、「ペットくらいで」なんていう声には耳を貸さず、辛いのにフタをせずに、ちゃんと悲しむ方が引きずらないとあり、

 

 

 

夜寝る前に思い出して泣いて、

朝目を醒ましてベッドの中で泣いて、

空っぽの小屋を見て泣いて、

人に伝えてまた泣いて、

心の中で手を合わせて、

 

 

 

ようやく、受け止められて来ました。

 

 

 

 

その記事には、ペットが我々人間よりも短命という事実は、

 

 

 

 

私たちが、生死について深く考える機会を与えてくれている、といったことが書かれていて。

 

 

 

 

例えば、もし私たちが寿命三年しかなくても、人生を全うできるのか、とか考えさせられます。

 

 

 

 

それにしても、人生を全うとは?

なにをすれば人生を全うしたことになる??

 

 

 

 

そういえば、大晦日タイムズスクエアでのカウントダウン直後、

 

 

 

 

New Year’s resolution(新年の抱負)についてテレビのリポーター達が来年はああしたい、こうしたい、と未来の希望を述べていて、

 

 

 

 

最後のおっちゃんが、「毎日過ぎる時間を大切に実感しながら生きたい。明日は無いと思って。」と言っていました。

 

 

 

 

毎年この時期私たちは、 今年は(も)良い年になりますように、と願い、希望を胸に新年を迎えますが、

 

 

 

 

実際には、

 

 

 

 

10年前より、

一昨年より、

去年より、

今年がいちばん幸せになる、

 

 

 

 

なんてのは、超非現実的。

 

 

 

 

反して、あいにくも事実なのは、人生を終える日にまた少し近づいた、ということ。

 

 

 

 

たとえ自分が生きていられても、

家族とか、

友人とか、

大事な人が、

 

 

 

居なくなっているかもしれない。

 

 

 

 

そうなると、やっぱり幸せに生きるには、、、、

 

 

 

 

自分が心から幸せと思うことを、

今日も、

明日も、

明後日も、やること。

 

 

 

 

ではないかな、と思うんです。

 

 

 

 

それが難しい現状であれば、

 

 

 

 

そこに辿り着くはずのルートを、

今日も、

明日も、

明後日も辿っていること、

 

 

 

 

それだけで幸せを疑似体験できる。

 

 

 

 

そこに辿り着くまでに血の滲む我慢と努力をした人もいるでしょうけれど、

それも、きっと、希望があるからこそ耐えていられたはず。

 

 

 

 

旅行の前は、計画を立てている時点で幸せを感じるというのに近い。

 

 

 

 

あなたなら、どうしますか。

 

 

 

 

仮に、ハムスターの様に10日に1歳年をとるとすればゲッソリ(←実際こんな感じの計算らしい)。

 

 

 

 

もしくは、あと2、3年しか自分には時間がないとしたら?

 

 

 

 

自分じゃなくても、自分の大切な人の時間がそうだったら??

 

 

 

 

人生80年とするならば、気がつけば私もその半分に差し掛かろうとしているけど、滝汗ハッ

 

 

 

 

80年というのは、ある程度人生を全うした方の目安年齢であって、

 

 

 

 

そこまで生きていられる保証は、どこにも無い。チーン

 

 

 

 

つい日常に流されて忘れてしまう”それ”を、もっと感じながら過ごすことができれば、

 

 

 

 

一日をもっと大事にできるのかもしれません。

 

 

 

 

だから、やっぱり、大切と思える人達と過ごし、自分が一番好きなことをめいっぱいやろうよ。

 

 

 

 

気まぐれな他人の評価や、

現実から掛け離れた理想像や、

平均値からはじきだした常識で、

自分で自分をがんじがらめにするのは、

 

 

 

結局、自分を支えるものにはならない。

 

 

 

 

来年のための今年じゃなくて、明日は無いと思って、

 

 

 

 

今日、ちゃんと笑えるように。

 

 

 

 

「正しいと言われていること」よりも、

 

 

 

 

「心に響くこと」を優先する。

 

 

 

 

自分の心の嗅覚を磨く。

 

 

 

 

これが、私の『2018 New Year’s Resolution』です。

 

 

 

 

 

 

(ポポ太、今までありがとう。どうか安らかに。RIP Jan.7.2018 )

 

 

 

みなさんの『今日』が素晴らしいものとなりますように。

 

 

お願いキラキラ