近所の人日記
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ラブサイケデリコ

久しぶりに聴いた。

やっぱり、シェリルに、似ている。

そこがいい。

安心する、居心地のよかった

昔の場所に帰ってきたような。

そんな感じ。


つうか、みんな、日記、どうやって

書いているのだろう。

誰かに見せるためなのだろうか。

思いつきで、書いている俺みたい

なやつもいるとは思う。

本当に書きたいこと、

それは何だ。



野ブタをプロデュース

を読んだ。なんだか、思っていたより

切ない話だった。

主人公の気持ち、昔の自分なら

もっと理解できたと思ってしまう。

これが歳をとった証拠なのか。

それとも、成長の、証なのだろうか。


置き去りにしてきた、あの頃の僕と

正面から、自分を見なかった彼が

重なる。


痛い


痛い気持ちを、以前より受け止められる。


それが


何かは、まだ、わからないけれど。

一リットルの涙の曲を聴きながら

知らない間に、時が過ぎていたのを感じた。

自分の、自分たちの時代はもう、とうに過去の

ものになったのだな、と感じた。


ラジオから流れる曲、HMVなどに行っても、

日本人の曲も、歌手も、ほとんどわからない

自分に驚いた。

大学を卒業してから、まともに音楽を聴く時間も

なく、焦燥感だけを強く感じて流れていた自分。


視聴コーナーのヘッドホンを耳にあてても、曲が、

歌詞が、心に響かない。

きっと、「若者」にはそれらは届いているのだろう。

作っているのは同世代なのに。


「流れた」時間は取り戻せないし、寂寥感もあるけれど、

それを、そんな気持ちを抱えながら、生きていこう。

同じ歳は、「谷間」の世代かと思っていたけれど、

そうでもない人もいる。

私も、進みたい。痛みに心が引き剥がされながらでも。



バスの中で

近所の同級生のおばさまにあった。

世間話をしながら、おばさまの娘の話になり、

同級生は国に勤めていて、そこのお金で、

学校に通っているらしい。羨ましいような、

でも、きっと大変なんだろうな、とも思う。

プレッシャーとか、義務感とか。


命削って働いて、みんな、何を求めているんだろう。

生きることを、自分たち自身の手で、

苦しめている気がしてならない。

そんなことをしても、誰も楽にはならないのに。


未来のヒカリを鈍らせて、僕らはどこに行くのだろう。

コドモの世界を破滅させ、僕らは何を得るのだろう。

僕には、分からない。分からないと言って、逃げて

いるだけなのだろうけれど。





一リットルの涙

を見て、毎回涙が浮かぶ。

題名の通り、

泣かされるドラマだと分かっていても、

それでも、主人公たちの痛みと優しさに

心を打たれる。いい歳したオトコなのに(笑)

と思いつつ。


不治の病の友人の笑顔がフラッシュバックする。

そして

自分の心の弱さを、狡さを、見る度に恥じ入る。


いつからだろう。自分に、全てに、諦めてしまったのは。


それでも


このドラマを見て

「まだ、頑張れるだろ?」

と言われている気がする。


結婚ラッシュ

最近よく結婚式や二次会に呼ばれる。

23歳くらいのときも立て続けだったけど、

そういう年齢になったんやなぁ、と感じる日々。

みんな、当たり前のように結婚していくけれど、

どこで決めるんだろ?年齢?子どもが出来たから?

経済的理由?

よく、タイミングだって言われるけれど、どんなタイミング

なん?って思ってしまう。

この国、これからもっと精神的に荒廃した人が増え、

ちゃんとしたオトナになってない人でも親になり、子ども

を産む。そんなサイクルを描く中で、結婚した友人たちが

そういう風な人たちになるべく関らないで生きていって欲しい。

そんな俺も、まだオトナになりきれていないけれど・・・・・・