「アフリカの風土」アフリカはなぜ、アジアよりも発展が遅れているのか?「仮説その3」 | 52歳で実践アーリーリタイア

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52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

これまで(サハラ砂漠以南の)アフリカはなぜ、アジアよりも発展が遅れているのか」について、

 

第一の仮説:建国がアジアよりもおおよそ15年ほど遅かったから

第二の仮説:アフリカには、もともと国家的政治体制の伝統がなかった、あったとしても脆弱だったから

 

ということでしたが、最後の仮説=第三の仮説について、以下書籍を参照しつつ、アフリカはなぜアジアより発展が遅れているのか、考えてみました。

 

 

著者の武内進一によれば、南アフリカ・ナミビア&小国家除くサハラ以南のアフリカ諸国(以下アフリカ諸国)には特異な特徴がある、と言います。

 

その特異な特徴を持った国家を「ポストコロニアル家産制国家」と称し、1990年代になぜアフリカで紛争多発したのか、の根拠としているのです。

 

ここでは紛争の要因ではなく「なぜアフリカの発展が遅れたのか」というテーマなので、そのテーマに沿って考えてみます。

 

武内の説を流用すれば、その要因は「第二の仮説」植民地以前の部族的共同体の社会規範の残存(=家産制)に加え、植民地化を経て独立した経緯を持つ(=ポストコロニアル)「ポストコロニアル家産制国家」としての国家の特徴が、アフリカ諸国の発展を阻害した、ということ。

 

(ヤムスクロにある今は亡き、コートジボワール初代大統領ウフェ=ポワニの巨大邸宅。今は家族が住んでいるらしい)

▪️ポストコロニアル家産制国家(Post-Colonial Patrimonital State=PCPS)とは

ポストコロニアル家産制国家とは、著者の表現では、

 

①植民地化によって19世紀後半に近代国家の祖型が形成され、

②それらが20世紀半ば以降、続々と独立して主権国家となり

③政治権力がパトロン・クライアントネットワーク(親分・子分関係)に立脚しつつ

④主権国家体系の一翼を担うことで国際的な正統性を保持し、国際関係から取得した資源を国内統治に活用する

 

という国家。

 

ちょっと複雑ですが、言い換えると、

 

第一に、植民地以前から保有していた部族的共同体の慣習の一つである、支配者の個人的な恣意に基づく人間関係としてのパトロン・クライアントネットワークが、植民地化によって他の部族共同体に対して、より暴力的・抑圧的な支配関係を生んだということ。

 

なぜなら支配者としての西欧列強が効率的な統治をするために現地支配者としての立場を強化したかったから。

 

第二に、以上のような強い上下関係を保持したまま、独立したアフリカ諸国が、国際社会に認知されることで(支配者グループの私的所有物的な国家にも関わらず)、政権の正当性が与えられるとともに先進国等から正当な援助もしてもらえる、

 

という国家。

 

したがって、見かけ上は国家統治におけるフォーマルな形としての法・制度があったとしても、まったく機能しておらず、その実態は支配者とその子分たちの個人的忠誠に基づくパトロン・クライアントネットワークに立脚して国家が運営されている国家。

 

このような国家では公私の区別はなくすべて支配者層の私的所有物として国家が存在するという状況。

 

【独裁者を頂点とする私的ネットワークが国家の利益を独占する国家体制】

▪️PCPSがもたらした経済への影響

植民地化の影響を大きく受けて成立した1960年代建国以降のアフリカ諸国は、支配者の私的所有物の性格を持ち、機能的にも半人前な国家にも関わらず、国際的な正当性を得られ、これによって冷戦時代の東西両陣営から多額の経済援助を受けます。

 

権力者のパトロン・クライアントネットワークは、枝分かれになっていて、経済援助をそのまま国家の発展に使うべくもなく「大親分は子親分に、子親分は孫親分に」というように、自分の子分たちにその分前を与えてその利益の配分はネットワーク内に限られ、国家のためにその資源を使われることはありませんでした。

 

そもそもPCPSでは「国家は私的所有物」ですから、国民や国内資源は、自分達の利益を生み出す道具や手段でしかありません。

 

普通の国家であれば、国の発展のために国民を教育し、資源やを加工して付加価値を高め、より経済力を高めて国家を発展させよう、となるのですが、その動機づけがないのです。したがって経済発展する動機づけもないので、国際的支援は私的に蓄財されて、全く経済成長に寄与しない。

 

そんな国家なので、アジアのように経済成長するはずがありません。

 

(アフリカネーションズカップでコートジボワールが決勝を決めて大騒ぎの様子)

▪️PCPSの解体がもたらした紛争の悲劇

そんなPCPSですが、1980年代に入ると資源価格のの暴落(と一部乱高下)と、先進国等に対する累積債務の危機によって経済は疲弊するとともに、冷戦構造の解体による東西両陣営からの援助の大幅減によって危機を迎えます。

 

この危機から脱却するためにアフリカ諸国は西側陣営の要望、つまり政治的・経済的自由の拡大を要求されます。援助なしにはやっていけないアフリカ諸国は、従うしかありません。

 

この結果、国家の介入が困難になって政治的な利権の範囲は狭まれてしまう。更に民主化圧力によってアフリカ諸国は多党制を取らざるを得ず、支配者が自由気ままに私利私欲を貪る対象として国家を運営することができなくなってしまいました。

 

この結果、パトロン・クライアントネットワークとしての支配層の権力は弱体化し、反権力の組織が雨後の筍のように増幅します。

 

実は雨後の筍たちも、新しいパトロン・クライアントネットワークで、この私的人間関係同士の戦い、つまり国内紛争が多発するのです。

 

この結果、経済発展はさらに遅れ、1980年代から2000年にかけては「アフリカの死」とも呼ばれる時代になってしまったのです。

 

(アフリカネーションズカップでの準決勝戦に向かうコートジボワールのサポーター)

 

以上、以前私が紹介した「アフリカの宿痾」=支配者が私利私欲を貪る体質は、実は

 

植民地以前の部族共同体の問題だけではなく、植民地化によって強化された上下関係と抑圧性・暴力性が加味された独裁的な支配者=パトロン・クライアントネットワークに、その要因がある

 

ということなのでしょう。