マラドーナが60歳で亡くなりました。
ナポリではマリア様とともに、サッカーの神様として祀られているマラドーナ。
かつてサッカー(という文化)は、米国のフェアなスポーツと違い、運や狡賢さ、誤審といった清濁併せ持つ魅力で、全世界に支持されたスポーツ。サッカージャーナリストの後藤健生さんは、これを「リアリズムのサッカー」と呼びました。
しかし残念ながら(といっていいのかどうか迷うところですが)、現代サッカーはVARなども採用されて、米国式のフェアなスポーツにすっかり変わってしまいました。。
しかし、マラドーナは彼自身が清濁併せ持つリアリズムのサッカーの象徴。
見事な技術とピッチ全体を俯瞰する空間把握能力を併せ持った類稀なる選手といわれ、ピュアなサッカー選手として、間違いなく歴史上最高の選手の一人。
一方で、ドーピングはするは、ハンドは意図的にするは、しかもそれは「当然のプレーであって、審判が気づかなければ何をやってもいい」ということを公然と口にする悪徳極まりない選手。
しかしマラドーナはマラドーナ。
マラドーナの死は、清濁併せ持つリアリズムのサッカーが完全に過去のものになってしまったことの象徴なのかもしれません。
*マラドーナの凄さは、動画でプレーを観てもらうしかないのですが、私のリアルタイムのマラドーナ体験は異常なテンションでバティストゥータやカニージャとともに中央突破したアメリカW杯のみ。彼の生き様や唯一無比のプレーは、後藤健生さんの名著「ワールドカップの世紀」で知りました。
動画では味わえない書籍ならではのサッカーの魅力を体現した名著です。