<概要>
ペット・家畜・野生動物にとって、仲間(飼い主や異種の動物含む)の死に伴う動物の行動変化は「死を悼む」という感情によるものではないか、という仮説を提唱した著作。
<コメント>
自然人類学者バーバラ・J・キングによる著作。著書を読む前から動物、特に社会的動物に関しては、仲間を失うことによって動物の喜怒哀楽に何らかの影響がある、と想定していましたが「意外にそうでない場合もある」ことのほうに逆に驚きを感じました。
特に遺伝的に人間に一番近いというチンパンジーは、個体によってその行動は多様で、母親を亡くしたことによる深い絶望が原因による免疫システム不全によって亡くなるような事例がある一方、集団行動の上で子供の死を明らかにできないという理由で母が死んだ子を長期間抱いたままであったり、雄が仲間の死に思いやりを寄せるような事例がなかったりするらしい。
チンパンジーなどの類人猿以外のサルに関しても
では、ここであらためて問い直そう。サルは仲間の死に心を痛めているのだろうか。この問いに対するわたしの答えは「めったにない」。少なくとも、人間の目に悲しんでいると映るような姿では、サルは悲しみを表すことはほとんどない(第6章より)。
また、ドイツのコクチョウは白鳥ボートに恋してしまったり、コウノトリは連れ合い以外よりも巣のほうに愛着があるので、巣に別の異性がいたとしても普通に交尾してしまうなど、知能の高いカラス含む鳥類に関しては、あまり当てはまらないようだ。
とはいえ、ペット・家畜含む大概の社会的生活を営む哺乳類は、死を悼む行動が見受けられるというのは、想定通りでした。
動物も人間も同じ社会的動物である以上、程度や方法の違いはあれ、仲間を失う=生存率が下がる、ということになるので、生物学的には死を悼む行動=仲間を尊ぶ行動は合理的。
徒党を組むことによってその生存率が上がっている動物であれば、仲間の死を悼む感情があっても何ら不思議ではありません。
*一方で著者は、この後「私たちが食べる動物の命と心」という著作を著し、ベジタリアンまたはビーガン的な方向を助長するような方向性を示していますが、我々ホモ・サピエンスが「雑食」として生き残ってきた以上、動物にまで「権利革命(スティーブン・ピンカー)」を拡大するのは行き過ぎではないかと思っています。