FC(エフシー)と聞いても、ほとんどの人は、『?』となるでしょう。
ファンクラブの略?
フランチャイズのこと?
もしかしてファッキンクレイジーっていう意味のスラング?
どれも正しいのですが、僕が言うFCとは正しくはFC3S、2代目RX-7のことを指します。

RX-7はマツダ製のクルマで、1978年のデビュー以来、2002年に惜しまれつつ製造終了となるまで、2回のフルモデルチェンジを経て販売されました。
初期型SA22C、2代目FC3S、3代目(最終型)FD3S。
SA、FC、FDの愛称で呼ばれ、それぞれに熱狂的なファンが日本のみならず世界中に存在します。
RX-7は日本自動車史に燦然と輝く名車であると言われ、僕自身もFCに乗っていた事を誇りに思っています。
RX-7がこれほどまでに世の好き者から愛される理由、それは、やはりロータリーエンジン搭載の一言に尽きると思います。

ロータリーエンジンとは、通常のエンジンがピストンを用いるのに対し、ローターを用いてその回転運動によって動力を生み出すエンジンのことです(詳しくはググってください)。
ちなみに、ロータリーエンジンを採用している自動車メーカーは、世界中を見渡してもマツダ1社のみです。
ロータリーエンジンは、他のクルマが採用している4ストロークマルチシリンダーエンジンに比べ、軽量コンパクトで、しかも部品点数が少なく構造がシンプルという特徴があります。
これらの特徴が、RX-7を唯一孤高のスポーツカーへと昇華させたのです。

いろいろ小難しいことを書きましたが、要は、スムーズな回転力を持つコンパクトなエンジンを、パカ目でカッコ良い車体に搭載した、飛び切りイカしたスポーツカー、それが僕にとってのRX-7であり、FCなのです。
コンパクトなエンジンを出来るだけ車体中央に、出来るだけ低い位置に搭載したRX-7は、FRとして理想的な重量配分を達成しました。
その結果獲得した切れ味鋭いハンドリング、いわゆる『ハナの軽い』ハンドリングは、はっきり言って最高でした。
吸排気をスットントンにするだけでバカみたいに上がるブースト圧のおかげで、RX-7は危うい魅力に満ちあふれた豪快な加速を見せました。
コーナーの立ち上がりで、オーバーステアをステアリングの修正だけで押さえ込みながらフル加速していくとき、僕はえも言われぬエクスタシーを感じていました。

スタイリングはSA、走行性能はFD、そう自分のなかで位置づけていました。
SAの現役当時は知りませんが、いま見てもあの美しさは全く色褪せていません。
キチンとチューニングされたFDに乗ったときなど、『これ以上のクルマなんてあるのか!?』と本気で思いました。
しかし、僕は2台もFCを乗り継ぎました。
なぜか?
単純に、乗ってみてFCが一番シックリきたからです。
コンパクトな車体はサーキットはもちろん峠でも活きますし、絶妙にプアな足回りは安全な範囲で手に汗握るスポーツドライビングを楽しむことができました。
何より、安物のフルバケットシートに潜り込み、小径のステアリングを握りしめ、ペタペタのチャチいアクセルペダルを踏みつけるとき、SAやFDにはない高揚感を得ることができました。

FCに乗っているとき、ライバルはいませんでした。
シビックやインテグラは相手ではないと考えていましたし、シルビアには負けるはずがないと信じていました。
スープラやソアラは黙殺していましたし、スカイラインGT-Rは別ジャンルのクルマと位置づけていました。
ランエボやインプレッサは、そっち系の人たちが乗るクルマだと決めつけていました。
ポルシェやBMWは、違う世界の人の乗り物です。
FCやFDは、もちろん仲間です。
RX-7に乗っていた数年間、僕は心底からFCを最高のクルマだと考えていました。

RX-7に乗ったことがないクルマ好きの皆さん、特にFC3Sはおすすめですよ。
ただし、ちょっとクセがありますけどね。
ただし、けっこうボロいですけどね。
ただし、かなり金がかかりますけどね。

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今日の映画:キャノンボール ハル・ニーダム監督
       何度見ても、大笑いします。
忘れもしません。
それは、高校2年生の運動会での出来事でした。
そのとき、僕は生まれて初めて、自分が女性にモテないという現実を眼前に突きつけられました。

高校2年生のとき、飛び抜けてハンサムな友人(男前とかイケメンというより、文字通りハンサムなのです)ができました。
名前を仮に、ハセガワ君とします。
ハセガワ君は、ハンサムである上に性格も良く、しかも信頼できる男でした。
いま思えば、はじめから気付き、覚悟すべきだったのです。
『こいつはモテる。おれはモテない』と…。
しかし、残念ながら人より精神年齢の発育が遅かった僕は、『こいつハンサム野郎だな』くらいにしか考えなかったのです。

悲劇の予兆は、ありました。
放課後、クラス内で運動会の準備をしていたときです。
ある女子が言いました。
『ハセガワ君って、本当にカッコ良いよね』
それを皮切りに、他の女子2人も口を揃えて言い出しました。
『ほんとほんと。もう近くにいるだけでも嬉しくなっちゃうよね』
『話しかけてくれたりしたら、サイコーに嬉しいもの』
そのとき、彼女らの近くには、僕しかいませんでした。
黙々と作業をしながら、僕は思いました。
『ヘー。ハセガワってやっぱりモテるんだな』
当時のバカな僕は、やっぱりなんにも気がつきませんでした。

そして、悪夢の運動会当日がやってきました。
僕とハセガワ君は、“すぐに終わるから”という非常に消極的な理由で、50m走へのエントリーを希望しました。
運動場のど真ん中で行われる花形の400mリレーなどと違い、応援席の裏側でひっそりと行われる50m走は基本的に不人気で、太陽が似合う男・ハセガワ君と僕は、あっさりとその出場権を獲得しました。
いざ50m走の本番となり、僕たちは入場門からスタートラインへと駆け足で走っていったのですが、どうもゴール地点の様子がおかしいのです。
予想以上に、というか異常にゴール地点に女子の数が多いのです。
僕やハセガワ君と同じクラスの女子は、ほとんどがゴール地点に集結しています。
『なんか変だな』
愚かすぎる僕は、それでも事態の意味に全く気がつきませんでした。
ともかく、予選が始まりました。
僕とハセガワ君は、同じ組で走る事になりました。
『マジで走るわけないよな』などと言い合っていたにもかかわらず、スタートラインに並ぶと同時に男の本能が騒ぎ、スタートの合図が鳴ったとき、僕たちは本気で走り出しました。
10m、20m、30m…。
ナイスガイのハセガワ君は実はそんなに脚が速くなく、逆に日陰者の僕はそこそこ脚が速く、気がつけば僕は2位でゴールしていました。
ゴール直前、僕は、確かにクラスの女子たちの熱狂的な声援を耳にしました。
『ハセガワ君がんばってー!』
気が動転しているうちに50m走の予選は終わり、時間を空けて行われる決勝の前に、僕たちは一旦退場することになりました。
退場門の向こう側には、沢山の女子たちが待ち構えていました。
彼女らは、口々に叫びました。
『ハセガワ君カッコ良かった!』
『ハセガワ君サイコーだったよ!』
なかには、こんなことを叫ぶ女子までいました。
『ハセガワ君、速かったよ!』
いやいや、待て待て。お前ら落ち着け。
ハセガワがカッコ良いのはわかる。オレも知っている。
でも、“速かった”は違うんじゃないのか?
ハセガワ君は、8人中の6位でした。もちろん、予選落ちです。
対して、僕にねぎらいの言葉をかける女子は、1人もいませんでした。
ハセガワ君に群がる女子どもの瞳には、決勝への出場キップを手にした僕の姿は石ころくらいにしか映っていなかったのです。
そのときです。
茫然自失の僕に気がついたのか、ある女子が1人だけ、ようやく声をかけてくれました。
普段から仲良くしていた、Kさんでした。
Kさんは、僕にこう言いました。
『でも、Milltz君も、そこそこ速かったよ』
僕は気を失い、その場に倒れてしまいました。
ちなみに、その後行われた50m決勝のゴールに、クラスの女子たちの姿はありませんでした。

いまは疎遠となってしまったハセガワ君へ。
相変わらずモテませんが、僕はいま、なんとか頑張っています。

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今日の映画:タクシードライバー マーティン・スコセッシ監督
      ロバート・デ・ニーロの狂気は必見です。
犬が好きです。
大きい犬、小さい犬。子どもの犬、大人の犬。血統書付きの犬、雑種の犬。賢い犬、間抜けな犬。
およそ犬と分類される動物は、だいたい好きです。
子犬がじゃれついてきてくれたときなど、山のフドウのように腰砕けになってしまいますし、老犬に接するときは、それ相応の敬意を持って話しかけます。
今では、道ばたで散歩中の犬を見るだけで、飼い主に気付かれないようにこっそりと口笛を吹く僕ですが、かつて、思春期から青年期にかけて、犬が嫌いな時期がありました。
正確には、犬が恐い期間があったのです。

子どもの頃は、普通に犬が好きでした。
僕がまだ幼稚園児だったある日、家に帰ると、丸っこいタヌキみたいな子犬が、小さい体で廊下をチョコチョコと歩いていました。
我が家の最初で最後の愛犬、サディです。
その日から、サディは僕の弟になりました。
3人兄弟の末っ子だった僕には、サディの存在はいろいろな意味がありました。
幼かった僕は、当たり前のようにサディに話しかけていました。
楽しかったことを報告したり、悩み事を相談したり…。
その度にサディは、しっぽを振ったりクゥンと鳴いたりして、答えてくれました。

そんなサディも、僕が中学に上がる頃、病気で死にました。

高校生の頃くらいからでしょうか? 
僕は犬に吠えられるようになりました。
きっかけは何だったか、覚えていません。
多分、犬になにかいたずらをして吠えられたとか、そんな些細なことだったのではないかと思います。
なんにしても、犬に小さな、本当に小さな恐怖心を抱きました。
思春期はその恐怖心を認めることを許さず、幼少の頃に犬を弟分としていた僕は、犬に対して高圧的に接することで対抗策としました。
今思えば本当にバカですが、当時はまぁまぁ本気で実行していました。
吠えてくる犬に対して、「オレはお前より強いんだぞ」と…。

決定打は、18歳の夏でした。
河原でバーベキューをしていたのですが、先輩がシベリアンハスキーを連れてきていました。
最初はみんなでかわいがり、その後、同級生の女の子が散歩に連れて行きました。
基本的には犬が好きな僕です。
女の子が散歩から帰ってくると、次に自分がハスキーを散歩に連れて行くと主張しました。
女の子から、ハスキーのリードを受け取った瞬間です。
ハスキーは、唸り声とともに僕の手首に噛み付きました。
「うわああああ!」と情けない声を上げていたと思います。
その瞬間から、犬に対する恐怖心は決定的になりました。

それ以来です。
散歩中の犬に吠えられる。
犬小屋の前を通るだけで吠えられる。
友達数人で歩いていても、僕だけが吠えられる。
インド旅行中に野犬数頭に吠え回されたときは、生きた心地がしませんでした。
恐怖心が増える分だけ、バカな僕は犬を威嚇していたのでしょう。
犬は威嚇に反応するとともに、野生の勘で、その裏に隠した恐怖心に気付いていたのでしょう。
ともかく、20代半ばまで、僕は犬に吠え続けられました。

そんな僕も、20代も後半に差し掛かると、再び犬に懐かれるようになりました。
当時は野菜の宅配を仕事としていたのですが、野菜をお客さんに手渡しするので、在宅の際は玄関先に上がり込みます。
なかには犬を飼っている人も当然いるわけで、そのなかには人懐っこい犬もかなりの数がいます。
こっちは仕事で伺っているので、「オレはお前より強いぜ」などと凄むわけにいかず、最初はおっかなびっくりだった僕も、最終的にはこっそりとおやつをポケットに忍ばすまでになりました。

そうです。
僕は犬を、敵としてライバルとしてでなく、愛すべき存在として、再び可愛がるようになったのです。

道ばたで散歩中の犬に口笛を吹くとき。
僕は自分に大人を感じます。

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今日の映画:ベイブ クリス・ヌーナン監督
         犬が主役ではないですが、身悶えするほどすてきな映画です。
愛って、なんですか?
残念ながら、僕は未だによく分かりません。

個人的なことはさておき、言葉としての“愛”に限ってみると、世の中には愛が溢れています。
音楽でも、映画でも、テレビでも、小説でも…。
特にこれからの季節、日本にはクリスマスという一大イベントが控えていますので、ますますAll Over The Japan的に愛が溢れていくことでしょう。

しかし! 
僕は、これまでの人生において、愛という言葉をほとんど使ったことがありません。
まわりの人たちからも、愛という言葉を聞くことは滅多にありません。
これは一体、どういうことなのでしょう?
僕という人間のどうしようもないパーソナリティ、また類は友を呼ぶという先人の経験則を差し引いても、言葉としての“愛”は、実生活ではそんなに溢れてはいないのです。

思うに、日本人は概念としての“愛”は当然理解しているにせよ、具体的には愛を認識していないのではないのでしょうか? 
愛を普段意識していないから、会話の中でも話さない。
話さないから、言葉としての“愛”が定着しない。
借り物の言葉である“愛”は、結果として非常に使いにくい話し言葉となってしまうのです。
実際に僕も、お酒を飲むたびに周りの女性に「好きだ!」と言いますが、「愛している!」とは言ったことがありません。

では、実際の愛は、世の中に溢れているのでしょうか?
最初に書いた通り、僕には愛が、よく分かりません。
よく分かりませんが、愛しく想う気持ち、大切にしたい気持ち、抱きしめたい衝動というのは、経験したことがあります。
例えば、愛しい女性を抱きしめたときに伝わってくる、相手の温もり。
例えば、あまりに圧倒的な大自然を目の当たりにしたときの高揚。
例えば、小さな子犬がじゃれついてきてくれたときの歓び。

あれ、こうして考えてみると、意外と世の中には愛が溢れているんですね。

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今日の本:愛を引っ掛けるための釘 中島らも
                     好きな女性ができる度に、プレゼントしています。