愛って、なんですか?
残念ながら、僕は未だによく分かりません。

個人的なことはさておき、言葉としての“愛”に限ってみると、世の中には愛が溢れています。
音楽でも、映画でも、テレビでも、小説でも…。
特にこれからの季節、日本にはクリスマスという一大イベントが控えていますので、ますますAll Over The Japan的に愛が溢れていくことでしょう。

しかし! 
僕は、これまでの人生において、愛という言葉をほとんど使ったことがありません。
まわりの人たちからも、愛という言葉を聞くことは滅多にありません。
これは一体、どういうことなのでしょう?
僕という人間のどうしようもないパーソナリティ、また類は友を呼ぶという先人の経験則を差し引いても、言葉としての“愛”は、実生活ではそんなに溢れてはいないのです。

思うに、日本人は概念としての“愛”は当然理解しているにせよ、具体的には愛を認識していないのではないのでしょうか? 
愛を普段意識していないから、会話の中でも話さない。
話さないから、言葉としての“愛”が定着しない。
借り物の言葉である“愛”は、結果として非常に使いにくい話し言葉となってしまうのです。
実際に僕も、お酒を飲むたびに周りの女性に「好きだ!」と言いますが、「愛している!」とは言ったことがありません。

では、実際の愛は、世の中に溢れているのでしょうか?
最初に書いた通り、僕には愛が、よく分かりません。
よく分かりませんが、愛しく想う気持ち、大切にしたい気持ち、抱きしめたい衝動というのは、経験したことがあります。
例えば、愛しい女性を抱きしめたときに伝わってくる、相手の温もり。
例えば、あまりに圧倒的な大自然を目の当たりにしたときの高揚。
例えば、小さな子犬がじゃれついてきてくれたときの歓び。

あれ、こうして考えてみると、意外と世の中には愛が溢れているんですね。

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今日の本:愛を引っ掛けるための釘 中島らも
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