この渾身の記事をリブログせずに、いったい何をリブログしろと言うのか。

 

という訳で、人生第2弾リブログ。許可もなにも有無を言わさずw(あ、後でコメント入れとこう)

沖縄の人々の心から決して振り払われることの無い強烈な「不信感」の源泉について、実に「簡潔に」まとめてくれている、キクチ先生ブログの記事。

 

わざわざ「簡潔に」などと表現したのは、日本国のアタマの悪さのせいで沖縄が被ることになった災難の数々など、あげつらえばキリが無いと判っているからだ。

 

補足など到底無理なので、沖縄に何があったかを知りたければキクチ先生ブログに目を通すべし。とりあえず全体像だけは教えてもらえるだろう。それだけでも如何に「目線が違うか」を理解出来るようになるはずだ。

 

沖縄を何度も捨て、今でも踏みつけ続けている日本の本流、

自民党も元気に存在しています

 

それでも、過去の歴史や戦中の記憶、

そして復帰前の現実を知っている人の心情からすると

米軍、日本軍、いずれも忌まわしい記憶であり

「守る」という言葉ほど、危険で白々しく聞こえる言葉はないのです

 

もしも、自分の祖父母や両親、

あるいは家族が誰かに殺されたと想像してみてください

 

犯人の子供、孫たちは反省し、同情してくれたとしましょう

ただし、その中の一部かが

「いつまでも昔のことをガタガタ言ってんじゃねえ」

と言ってきた場合、過去のこととして、素直に水に流すことができますか?

 
俺はこれまで、真実とは言えハッキリ文字にするのが心苦しくて言わなかったのだが、沖縄の人々には当たり前にその「自覚」があるし、上記引用の文脈からも明らかなので思い切って言う。
 
沖縄という存在は、日本国にとっての「捨て石」でしかないのだ。
 
「捨て石だった」ではない。昔も今も、同じように捨て石なのだよ。その思惑がありありと窺えるから、米軍だろうと自衛隊だろうと、当然のごとく不信感の対象になっているというだけの話だ。
 
恐らくその不信感の最大の要因であろうが、そもそもが、沖縄戦はまともな「戦い」ではなかったというのがある。
 
マリアナ戦線におけるサイパン拠点の陥落を皮切りに、フィリピン戦線でのレイテ島、ルソン島と後退する一方となった日本軍が、いよいよ「本土決戦」を覚悟した際に、「本土の態勢を強化するまで、いかに防波堤として持ち堪えるか?」を唯一の目的として編み出した持久戦というアイデアこそが、沖縄戦の本質だからだ。
 
ゆえに沖縄戦において、本土から応援部隊が送り込まれることは決して無かった。守るべきは「本土」であり、最初から沖縄はそのための盾でしかなかったのだ。もちろん、すでに沖縄に配備された部隊だけでは全く戦力が足りて無かったから、その結果、多くの住民が戦力として駆り出されることとなった。
 
まずは防衛召集という名目で適齢男性が集められたが、その半数以上は戦死したという。そして、不足を補うために行われたのが学徒召集だ。男子学生だけでなく女子学生も、「ひめゆり」「白梅」といった呼称で従軍させられた話は十分すぎるほどに有名だろう。
 
が、なかでも俺が呼称として最も悪名ととらえているのは「鉄血勤皇隊」だ。少年兵部隊なのだが、こともあろうに「勤皇」の名を付けられている。
 
14、15、16の子供たちだぞ?この子らに命をかけさせておいて「勤皇」だと言うのだから恐れ入る。誰のためかと言えば、天皇のためなのだよ。「国民のための戦争」なんかそこには一つもなかったということだ。キクチ先生が書いているとおり、日本軍は住民を守るどころか子供までをも戦争の道具として扱い、最後にいよいよダメだとなると敗走しながら見捨てるなり道連れにするなりで、守ろうなどという考えなど微塵もなかった。
 
本土には天皇がいる。天皇を守るための最重要は本土防衛である。そのために沖縄を「捨て石」にした。それが沖縄戦の持つ意味だ。戦後、昭和天皇が終ぞ沖縄を訪問出来なかった経緯がそれを如実に物語る。沖縄の人々の心の中には、決して言葉にならないほどのわだかまりが渦巻いているはずだ。
 

沖縄戦の前年、1944年10月のレイテ沖海戦の敗北により、

フィリピンの失陥と同海域の制海権喪失は確実となりました

 

結果、南方資源地帯から石油を運ぶシーレーンが遮断され

日本には石油が1滴も入ってこない状況となりました

 

石油がなければ近代戦は戦えません

戦車も軍艦も飛行機も、石油がなければ動かないのですから

 

つまり、その時点で日本の敗北は決定しており

それ以降の戦いは、ただ「軍のメンツを守るため」だけの

戦いということになります

 

満州の悲劇、広島・長崎の原爆被害、そして沖縄戦

それらはただ、軍がメンツを保っていたいがため、

ただの「悪あがき」の結果として惹起された

「無駄な犠牲」といえるでしょう

 
無駄な犠牲、まさにそのとおりだ。合理的な判断のもとに「国家の存立を希求して」行われた行為であればまだ納得も行くだろうが、実際のところはまったくそうでなく、ただの「悪あがき」だったという事実。そのうえでの(本当に言葉に出すことすら心苦しいが)「犬死に」だったのだよ。それを天皇の名のもとに強制された。沖縄の人々を筆頭に、満州も、広島・長崎も、そして最悪の作戦と言われたインパールに従事した人々も、みな同じように、天皇のために犬死にさせられたのだ。
 
さらに俺は、なかでも沖縄はある種特別な位置付けにあると思っている。あれほどに「まるっと」捨て石にしてしまおうと判断された根拠は一体何なのか?言いにくい話だが、ここまで書いたので書いてしまおう。
 
その答えは、きっと差別だろうと思う。この国には「純粋な」という意味不明の感覚がある。アイヌと同様に「他民族」のレッテルで差別したがる「保守」な輩が、歴史的にわんさか居るような国だ。
権力に従属することだけが生きがいの美しい国民の間には、昔も今も徹底した差別感情が宿っている。「自分と同じか、それ以外か」だけで、どこかを「まるっと捨て石」に出来る程度に発達した差別感情ぐらい、伝統的に身につけていると考えて間違いないはずだ。でなければ、あれほど沖縄に米軍基地が密集し、上空をオスプレイが頻繁に飛び交う現状を、何の疑問も抱かず平然と見ていられるワケが無いだろう?
 
そんな国だから、現在の沖縄に何が有るのかと言えば、それこそまさに「境遇」と呼ぶべきものに決まっている。歴史として紡がれたその境遇にさらされている彼らが、この期に及んで「大東亜」「天皇の軍隊」「近衛」といった呼称で悦に入るような「なんちゃって軍隊の足音」を、何事もなく平常心で耳にして居られるとしたら、いったい何の奇跡だろうか?
境遇を知ろうとしないことは、不協和を手に入れるために最適な手段だ。理解できないのは不勉強だからであり、そしてそんな状況を招いている根本理由は、たった一つしかない。
 
この国があの戦争の総括をしていないことにあると思います 
 
これがすべてである。
 
昭和天皇はGHQの憲法策定により、象徴の名のもと処刑を免れた。結果として平成以降、天皇は贖罪のための生贄となった。沖縄は戦利品よろしく米国にささげられ、その後返還を果たしてもなお地位協定によって捨て石扱いとなった。この一連のプロセスにより、「天皇のための戦争」は一切総括されることなく、棚上げされてしまったわけだ。
 
差別主義者たちが恥ずかしげもなく沖縄に「米軍を押し付け」っぱなしで居るのも、いまだに天皇には勝手に後光が差しているかのように勘違いする者が絶えないのも、すべてはこの総括をせずに退けてしまったためである。GHQ憲法は改正しなきゃならぬと息巻く輩が多いが、だったらまずあの戦争の総括をするべきだろう?それをせずに、どうやって「自らの憲法」を生み出せると言うんだ?
 
それに、もしも米国依存からの卒業を目的として憲法改正すると言うのなら、その前に日米地位協定を改正できなければおかしいじゃないか。
 
このように、沖縄を取り巻くこの国の矛盾は、古今東西尽きることがない。あの戦争の総括という「消失点=バニシングポイント」にたどり着くには、我々が何も知らぬままでは無理だ。とにかく勉強すること、教育すること。その一番大事なポイントをおろそかにしているこの国が、いまのところ我々が愛国心なんてものを向けるべき対象になり得てないのは自明である。