今回は、『ベクトルの掛け算』を
代数的な観点から調べます。

ベクトルの掛け算には、すでに内積がありますが、内積は、

  ベクトル・ベクトル=数

というタイプの掛け算であり、不完全です。不満です。
完全な掛け算とは、

ベクトル×ベクトル=ベクトル

となるような掛け算のことで、
この記事では、このようなタイプの掛け算を見出すことを目指します。

このようなタイプの掛け算として、外積というものがありますが、
外積は3次元にしか現れず、やはり不満です。
現代高校数学界では、2次元においても適用できる乗法の発見が
待たれているのです。

そして、当たり前ですが、その新しい乗法は、
従来の、ベクトルの加法、スカラー倍、内積と
両立するものでなくてはなりません。



まず、
加法(足し算)と乗法(掛け算)の関係を、
ベクトルでない、ふつーの数を使って見てみましょう。

0と1に着目すると、

 p+0=p,0+p=p
 p×1=p,1×p=p

というきれいな性質が、まず目につきます。
加法において、0は「変化させないもの」です。
それに対応するように、
乗法では、1が「変化させないもの」になっています。

0は、乗法においても、面白い役割を持っています。

 p×0=0,0×p=0

という性質です。しかし、

 p+1,1+p

からは、今ほしいような性質は出てきません。

以上が、加法と乗法の関係です。
あ、あと、分配法則も大事です。


次に、
ベクトルに、この関係を引きこみましょう。

0は、すでにありますから、
1に当たるベクトルがなんなのか考えましょう。

しかし、1は加法に対してはあまり関与しないので、
乗法がなく加法しかないベクトルの世界で1を見つけるのは難しい。

 p×0=0,0×p=0

をヒントに、まず、掛け算を決めてしまいましょう。

掛け算を関数で表して、

と書いておきます。
0を掛けると0だから、

  f(a,b,0,0)=0,g(a,b,0,0)=0
  f(0,0,c,d)=0,g(0,0,c,d)=0

分配法則より、

  f(a+p,b+q,c,d)=f(a,b,c,d)+f(p,q,c,d)
  f(a,b,c+p,d+q)=f(a,b,c,d)+f(a,b,p,q)
  g(a+p,b+q,c,d)=g(a,b,c,d)+g(p,q,c,d)
  g(a,b,c+p,d+q)=g(a,b,c,d)+g(a,b,p,q)

f、gはきっと多項式でしょう。そうすると、fは(gも同様)

  f(a,b,c,d)=αac±βbd
  f(a,b,c,d)=αad±βbc (α、βは実数)

という形に絞られます。(a,b,c,dそれぞれに関して一次式で、
どの項にも、「aまたはb」があり、かつ「cまたはd」がある。)


“f(a,b,c,d)=αac±βbd”をAタイプ、
“f(a,b,c,d)=αad±βbc”をBタイプとします。

1に相当するベクトルを求めます。

とおきます。


<Aタイプの場合>
1を掛けても変わらないことから、

 f(a,b,s,t)=αas±βbt=s

これがa,bの恒等式となるはずなので、s=0
gの方でも同様なので、
1に相当するベクトルは0ということになってしまいます。
これはBタイプでも同じことなので、
残念ながら、1に相当するベクトルは存在しないことになります。



まあ、しかし、
1がないというのは、実はよくあることです。
全く高校数学じゃないですが、興味のある方は、
作用素環とか、ノルム環とか、作用素代数とか言ったような
本を図書館か本屋でさがせば、載ってると思います。
(でも、いい感じに1のことだけわかるように書いてる本はないかも)
関数をベクトルだと思って、ある種の積分(たたみこみ)で掛け算を定めると、
1に相当する関数はありません。
あえていうと、δ関数という“関数もどき”が1になります。



1はあきらめて、掛け算を考えましょう。

fもgもAタイプで、簡単に

  f(a,b,c,d)=ac+bd,g(a,b,c,d)=ac+bd

としてみましょう。これは実は、

ってことなんです。

内積を成分に持ってきてるわけです。

±のところを-にすると内積でななくなります。

また、Bタイプの場合、±で-を採ると、デターミナント(行列式)になります。
+を採ると、デターミナントではありません。


どれを採用するのがいいのかは、もうちょっと考えないといけませんが、
とりあえず、掛け算のあるべき姿が見えてきました。
以下のいずれでも、(2次元)ベクトルの掛け算です。




(ただし複合同順でなくてもよい)

最後に、三次元だとどうなるか見ておきましょう。
上と同じ議論の結果、
a,b,c,p,q,rそれぞれに関して一次式で、
どの項にも「aまたはbまたはc」があり、かつ「pまたはqまたはr」がある
ようにすればいいので、

  f(a,b,c,p,q,r)=αap+βaq+γar+δbp+εbq+ζbr+ηcp+θcq+ιcr

てな感じでしょうか。
「外積」は、
 fを(α,β,γ,δ,ε,ζ,η,θ,ι)=(0,0,0,0,0,1,0,-1,0)
 gを(α,β,γ,δ,ε,ζ,η,θ,ι)=(0,0,-1,0,0,0,1,0,0)
 hを(α,β,γ,δ,ε,ζ,η,θ,ι)=(0,1,0,-1,0,0,0,0,0)
としたものです。
本屋をぶらついていたら、

対話でたどる円の幾何
山下光雄
オーム社

を見つけました。
「対話」形式が売りのようですが、ちらっと見ただけなので
対話がどれだけ効果を発揮しているかわかりませんが、
少なくとも、対話以外の部分、扱っている問題が面白そうでした。
読んでみたいです。

しかし、読む時間があるのか心配なので
買っていません。

オーム社といえば、
電気の本とかを出してたような気がします。
数学の本もあるんですね。


あと、モノグラフ・シリーズも置いてありました。
全部そろってたと思います。

よく古本屋でモノグラフの『不等式』がないか
探していたのですが、新品が売ってるんですね。
800円くらいです。

しかし、実際手にとってみると、
『不等式』は思ったよりふつうな感じで
ちょっと興味が薄れました。
代わりに、『幾何学』ペンギンはよさそうでした。
筆者の手持ちの参考書より詳しそうです。
「なんやらの定理」みたいな、発見者名つきの定理が載っていて、
知らない名前がいろいろ出てきます。
「必要条件から探る」という章もあって、
なにが書いてあるのか詳細不明ですが、
なかなか凝った内容の本のようです。

 ペンギン
 今調べたら、『幾何学』と『平面幾何』とあるようです。
 これは注意しないと!

ほかに、
『行列』『複素数』が興味をひきました。
モノグラフは、旧課程対応かと思っていましたが、
両方あるとは意外でした。(あとから追加されたんか?)

『行列』は線形代数を知ってたら必要ない?ような雰囲気でしたが、
大学入試問題になると、また勝手が違うかもしれないので、
なんとも言えません。

『複素数』は、一次分数変換も載ってるので、そこだけ読んでみたいです。



それと、
幾何じゃないですが、

天書の証明
アイグナー、ツィーグラー
丸善

がすごそうでした。
素数が無限にあることの証明が何通りも載っていました。
しかし、結構高価です...

数学をやっているとか、数学が好きとか言うと、
「素数が好きなんだろう」と思われることが最近多いですが、
それは、「大工なら、釘とか木材が好きなんだろう」と
言ってるようなもんではないかしら?
ヴァレリー ―知性と感性の相剋 (岩波新書)
清水 徹 著
岩波書店


ポール・ヴァレリーは20世紀初頭のフランスの知性です。
知性があり余る程ある人物なので、もはや“知性ある人”
を通り越して、“知性”です。

ヴァレリーは、学校の教科書では見た覚えがありませんが、
河野与一の『学問の曲がり角』に、彼の詩の訳があったため、
そういう名前の人がいることは、以前から知っていました。
詩は、
「海にワインを蒔いたら、面白い景色が見えた」
といった内容で、特に感動したわけでもないですが、
<酔前子訳><酔後子訳>とか言って、‘気取ったバージョン’と
‘酔っ払いバージョン’の二通りの訳が載っていて、
印象に残りました。
これを読んだ頃は、詩人と言ったら、「繊細な心をもった青年」
というイメージだったので(ハイネとかシラーとかそんな感じしませんか?)
ヴァレリーもそんな人の一人だろうと思いました。

・・・そうして、ずっと忘れていたのですが、
この間、詩の本カエルを読んでいたところ、このワインの詩が載っていて、
「あー、これ知ってる」と思い出したのでした。

カエル『フランス詩の散歩道』(安藤元雄)か『詩への架橋』(大岡信)かの
どっちかだと思うがどっちだったか忘れた。


翻訳ものは原文に当たるべきとか云う事はよく言われますが、
(原文に当たるべきかどうかはともかく、)“訳者によって変わる!”
という事を予期せず実感することができました。
特に気になるのが、最後です。

○Paul Valery
Les figures les plus profondes...

○酔前子訳
 いと深き 貌、貌そ。

○酔後子訳
 深ェも深ェ…… 面ばかり。 (以上、河野与一『学問の曲がり角』より)

○鈴木信太郎訳ペンギン
 この上もなく深々とした形象の踊り上がるのを……
                 (鈴木信太郎『ヴァレリー詩集』より)

ペンギン安藤元雄も大岡信も図書館に返しちゃったので、手元にある鈴木信太郎で代用します。
信太郎は買っちゃったんですよ。。


これを見ると、河野が顔(面は「つら」、貌は「おもわ」とルビがあります)と
しているところを、鈴木は形象と訳しているのが大きく違っています。
また、河野訳にはない「踊り上がる」が鈴木訳にはあります。

筆者は、フランス語選択でないので、フランス語はわかりませんが、
どうやら、lesは冠詞で、figuresは英語で云うfigure、
plusはさっき電子辞書で調べたら「さらに」、profondesはイタリア語で云う
profond(深い)(そういう映画のがあるんだよ!)のようです。

そうすると、
「顔」と「形象」の違いは、figuresの訳し方から来ているようです。
英語のfigureで考えると、どちらもありそうですが、
大学入試問題でfigureが出たときを想定して見ると、
「顔」は中々こなれた訳、「形象」は本間に意味分かってんのかっていう訳
という感じがします。(皆さんはどう思われますか?)
高校生の筆者なら「形」とか「像」とか訳してたかな。

安藤だったか、大岡だったかは、「形象」と訳していたはずです。
河野の「面(つら)」が印象に残っていたので、「なんか違う!」と思ったのです。

最初、河野訳で「顔」と言われたときは、「船員の顔? 海の顔?」
と思いましたが、「形象」なら、「え何? どこのこと?」となります。
二つ合わせると、「海の表情のことか」とわかります(筆者はそう思います)。

長くなってしまいましたが、
何通りか訳があると、意味がつかみやすくなることを実感したのでした。


で、
そんなことがあって、
ヴァレリーに興味を持ったやさきに、
最初に挙げた新書の『ヴァレリー』を図書館で見かけたのです。

さっそく借りてきて、読みました。
珍しく全部読めました。

ヴァレリーは「心の繊細な青年」に留まらない人物でした。
十代の頃はそんな感じもしますが、結構長生きで、
なんといっても“知性”でした。
“詩人”というよりも“知性”としての側面に重きを置きたくなりました。
この本では、ヴァレリーの人となりが、「知性vs感性」という観点から、
時間の流れに沿って紹介されます。
恋愛の話題を中心にしてあり、ヴァレリーに親しみを持てました。
たとえば、彼がカイエ(日記みたいなもの)に
今までに自分が好きだった女のことをメモっているのが、
引用でのっているのですが、本名は書かずに、女の人をみんな記号で表しています。
好きな人を記号化した経験は、誰しもあるのではないでしょうか。
引用だけでなく、もちろん本文も、
ヴァレリーが悩んでいるが伝わってきたり、
逆に、ヴァレリーを客観的な視点から捉えていたりと、好感の持てる文章でした。


この本を読んだことも手伝って、
本格的に、ヴァレリーに興味をもったので、しばらく(あきるまで)
ヴァレリーの本を読んでいくことにしました。

とりあえず、

レオナルド・ダ・ヴィンチ論 全三篇
ポール・ヴァレリー 著
恒川邦夫・今井勉 訳
平凡社
2013年

を読んでいます。
全三篇のうち、最初の一篇『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』は
読み終わりました。自然がどうのこうのということが書いてあるので、
近くの山に登って、静かところで読むと、内容がよくわかります。
海でもいいと思います。
理解できたのかよくわかりませんが、

言葉を使って考えない

ということが一番心に残りました。
考えるには、言葉を使わないとしょうがないですが、
言葉を使わなくても、感じてはいます。
言葉に頼り過ぎず、言葉にならないイメージを大切にする
というようなことではないかと思います。
頭の使い方の反省になりました。

ほかに、
さっき引用に使った『ヴァレリー詩集』と『ヴァレリー・セレクション』
を読んでいます。
が、詩はいいとして、文章の方は、行き詰まった感があるので、
これからどうしようかと思案中です。