姫路城「開かずの門」の橋台 | 歴史ニュース総合案内

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 兵庫県の姫路市埋蔵文化財センターは5月29日、姫路城の堀にかかっていた橋の橋台の遺構を初めて確認したと発表した。姫路城南東にある播磨国総社の開けずの門「鳥居先門」の前の「鳥居先門外御橋」だ。

 堀を埋め立てて造られた市道の整備工事に先立つ1~3月の発掘作業で、三重の堀の「中堀」を調べた。現在の国道2号線のために埋め立てられた中堀の跡から約90年振りに見つかった橋台(東西6.8m、南北5.1m)は2段の凝灰岩の石垣造りで、堀側へコの字型に石垣が張り出していた。部材を差し込むほぞ穴(幅16cm、高さ19cm、奥行き10cm)も確認され、石垣の底にはまだ石垣が埋まっているが、埋め戻された。

 

 総社(射楯兵主神社)表門の鳥居先門は姫路城南の大手前公園の先の大門「総社御門」ではなく、現境内から離れた総社石造鳥居(1650年製)の辺りにあった。中堀の前後に外門と内門があり、祭礼の時だけ開く「不明門」(不開門)だった。総社が豊臣秀吉の命で現在地に移転した後に築かれたが、近くの橋に機能を譲ってやがて祭礼専用の門となった。池田輝政が建てた石造の鳥居先橋があったが、鳥居先門の橋は木製だった。

 市埋蔵文化財センターでは6月4日から9月1日まで成果をパネル展示している。