北但大震災の震源を変更 | 歴史ニュース総合案内

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 兵庫県北部を1925年に襲った北但大震災の震源が5月23日、兵庫県豊岡市による当初の想定から南に約10km移された。円山川の河口部から豊岡市街北東の金剛寺地区の山中に移された。

 豊岡市や旧城崎町は神戸測候所の当時の被害データをもとに円山川河口沖合いが震源と考えてきた。当時の港村田結に同地区を震源と規定する慰霊碑がある。しかし、歴史上の地震の震源を更新された技術で調べなおした気象庁は2002年、新たな震源を北緯35度33.80分、東経134.50.09分に指定し、本震の発生時刻も田結の慰霊碑の記す11時11分でなく5月23日11時9分47秒とした。

 豊岡市はそれでも震源情報を改めてこなかったが、気象庁の2023年12月の地震月報と場所が違うとの指摘があり、発生日に合わせて新たな震源を円山川右岸下流と変更した。つまり、城崎温泉の北から玄武洞よりも南に変更した訳だが、危機管理部だけの話し合いで変更されたと役所内で反発が起き、関連ホームページが一時閉鎖されたりした。

 

 正式には北但馬地震と呼ばれる北但震災はマグニチュード6.8で、420名が死亡した。2年後に京丹後を襲って峰山などで2925人の死者を出した北丹後地震と並び称される震災である。震災後に城崎では西村佐兵衛町長の指揮下で支流の大谿川に玄武岩の護岸工事がなされ、豊岡の大開通りでは鉄筋コンクリートの復興建築が建てられた。