ボブ・マーリーとジャマイカの映画 | 歴史ニュース総合案内

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 レゲエを世界音楽にしたボブ・マーリー(1945~81)の生涯を描く映画「ボブ・マーリー One Love」が5月17日から公開されている。マーリーは祖国ジャマイカを離れて代表曲「エクソダス」を出した。

 妻のリタ・アンダーソンやジャマイカ文化庁が後援してレイナルド・マーカス・グリーンが制作。レゲエ(Reggae)の神と称されるマーリーが代表曲「エクソダス」を英国で制作し、祖国凱旋する過程をハイライトとする。ジャマイカの英語クレオールのパトワ語を混ぜながら、ボブとリタとの愛情も描く。

 ジャマイカの黒人主義思想ラスタファリアニズムを源流とするレゲエは、トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズの1968年のシングル曲に由来する。ボブ・マーリーはバニー・ウェイラー等と共にこのジャンルを発展させた。

 

 本名ロバート・ネスタ・マーリーは英国海軍大尉の父の名を借りてボブ・マーリーとなった。ジャマイカが英国を引き継ぐ西インド連邦から独立した1962年にレコード・デビューし、リタと結婚して1974年に「I Shot the Sheriff」で全米チャート1位に輝いた。この頃はパーカッション役のウェイラーが主役だったが、氏の脱退によりシンガーソングライター役のマーリーはバンド名をボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズとした。

 しかし、政治環境が悪化しており、エチオピアではラスタファリアニズムの源泉だったハイレ・セラシエ1世がメンギスツの社会主義革命の中で1975年に崩御した。ジャマイカではPNPの社会主義者マイケル・マンリー首相とジャマイカ労働党(保守系)のエドワード・シーガとの争いが激化し、マーリーは1976年12月3日に自宅で銃撃された。それでもマーリーは2日後に政府が首都キングストンのナショナル・ヒーローズ・パークで伝説のコンサート「スマイル・ジャマイカ」を開き「タフ・ゴング」の愛称を体現するが、治安を懸念して翌日出国した。

 マーリーらは政情を懸念しながらロンドンで1977年6月にアルバム「エクソダス」を書きあげる。聖書での出エジプトに由来するこの題名通りに、祖国を出て作曲したこのアルバム(One Loveもナンバーに収録)は旧宗主国英国で1年間チャートインし、マーリーの代表曲となった。そして1978年には帰国して政治和解へ「ワン・ラヴ・ピース・コンサート」を開き、国連から平和勲章を授与された。

 

 映画では政争からの脱出に焦点を当てるが、より劇的に仕立てるために史実から誇張しているのだろう。マンリー首相は銃撃後の12月15日の総選挙で勝利した。マーリーの名声を味方につけようとコンサートを画策して成功したとあれば、確かに思惑通りである。銃撃で腕に弾丸が入った状態でコンサートに出たマーリーの思惑はどうだったのか。元仲間のピーター・トッシュはワン・ラヴのコンサートで墓場行きの平和よりも平等と正義を説いた。