テクノ封建制の世界 | 歴史ニュース総合案内

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 テクノ企業が情報流通に君臨する現代世界を「テクノ封建制」と呼ぶ議論が、マルクス主義的な響きに関わらず世界の経営層に広まっている。中世社会の封建制とアナロジーさせると、どう似通ってくるのだろうか。

 ギリシアのヤニス・バルファキス元財務相がグーグル、アマゾン、フェイスブック(改めメタ)、アップルのGAFAの「四騎士」(マイクロソフトを加えてGAFAM  byスコット・ギャロウェイ)が君臨するネット空間で民衆の趣味嗜好がアルゴリズムで決められていく社会をテクノ封建制(テクノフューダリズム)と定義した。テック企業の経営者は荘園領主で、消費者やアマゾンに出店するような事業者は彼らの農奴に過ぎないとの主張だ。

 バルファキスは左翼のツィプラス政権下で財務相だった訳だが、著作はマルクス的に革命を訴えてくる訳ではない。そのため、当のGAFAMの経営者たちがその理論を拝聴しているという。保守系の雑誌Voice4月号の特集「デジタル帝国が変えた世界」は、テクノ封建制の議論に触発されて組まれた。

 

 *中世の封建制と異なり、テクノ封建制の領主たるGAFAMなどは人民を直截の暴力で抑圧したりはしない。だが、規則に違反した時に管理サイドが見せる問答無用の冷たさは、搾取する領主に通じるものがある。企業の対応マニュアルは役所のそれと同じく無味乾燥なものだが、役所言葉ほど揶揄されないものだ。アップルやグーグル傘下での言葉での揉め事は、言論の自由を巡る近代国家の論争史とは無縁に、利用規範を逸脱したとして問答無用で処理される。民心が「世間の掟」を犯した者をネット上で全否定する言葉を巻き散らして晒し首にする総検索社会の「新しい全体主義」(元歴史家の與那覇潤がVoiceの特集で)もまた、警察の外側で私刑を加えてまわるネット上の病巣だ。

 *封建制の中の王権は一般に想像されるよりずっと弱く、権力はずっと相対的だった(Voiceの國分功一郎の議論から)。だが、これを封建制に当てはめると、GAFAMはしょせん民間企業に過ぎないという楽観を戒めることになる。社会を支える情報空間を支配するのは立派な権力である。

 *封建社会には身分制があった。反してネット空間は一見自由で身分制がないようにみえる。だが、趣味嗜好に基づく階級区分はネット上に実在しており、検索エンジンは利用者の社会属性を反映してお勧めを提示する。リアルな農村的閉塞性に対してネットが都市の自由を与えるといっても、少し立ち入ると新たな身分が現れる。

 

 *ネットで言論を展開するクリエーターは現代の農奴なのだろうか。このアメーバブログは領主のサイバーエージェント社に命じられて書かれている訳ではないので、狭義の「クラウド農奴」とはいいがたい。しかし、それでもサイバーエージェントの情報網(封土)を無償で豊かにしていることになる。

 更に、ここから収益を得ようとすると、すぐさま各種規範がのしかかってくる。これよりもう少し長くても誉め言葉ばかりでつまらない記事を「キュレーション」サイト用につくって数十円程度の対価を得ている場合はどうか。たとえその記事が自分の意志で書いたものだとしても、つくるのに要する時間を考えると搾取が成立しており、作成者はクラウド農奴化している。荘園領主たる依頼主は記事が検索されやすくなっているかに興味はあっても、内容そのものには何の興味もなく、外部からクレームを受けたら吟味せずに削除するものだ。プロのユーチューバーは漏れなくそのような空間にいる「隷属資本家」で、彼らは自分たちの活動に無関心な運営元の規約変更に戦々恐々としている。

 

 *ここから延長すると、東インド会社という企業が独自の軍隊を持つ半国家だったことを思い起こしたりするが、GAFAMはそこまで至っていない。しかし、企業が国家から徴税などの機能を委託される事例が既に存在している。