高さ68mの東大寺東塔 | 歴史ニュース総合案内

歴史ニュース総合案内

発掘も歴史政治も歴史作品も

 奈良文化財研究所は4月25日、東大寺に平安時代まで建っていた東塔が68mの高さを誇っていたと発表した。これは平安京の東寺の五重塔よりも高い。

 東塔は金堂たる大仏殿の脇に西塔と共に建っていた七重塔だが、平重衡の南都焼き討ちで失われ、再建されるも1362年にまた焼失した。西塔は934年に雷で焼けてから再建されなかった。

 東塔の高さを確定させるため、東大寺は奈良文化財研究所に委託して2018年から調査。歴史文献の精読と、実際に建っていられるかどうかの長期荷重調査を経て、奈良時代に建てられた時の東塔の全高は東寺(救王護国寺)の塔より13m高い230.8尺(23丈)だったと結論した。うち3分の1強の26mは最上部に設置された相輪だった。華厳宗の総本山たる東大寺は、大仏だけでなく金色の相輪も通して国家の安泰を願っていた。

 既存の発掘調査も踏まえ、推定で再現された東塔は一辺15mで本瓦葺。記録文献の「東大寺要録」には東塔を「高廿三丈八寸」、露盤(相輪の基底部)の「高」を「八丈八尺二寸」とあるのが高さの根拠で、「朝野群載」に掲載される三十三丈の高さは伴信友の誤った校訂とした。「要録」通りの相輪の高さはありえないと看做されてきたが、韓国慶州の南山の摩崖塔の事例からありうると評価しなおされた。この種の調査で初めてなされた長期荷重解析では、興福寺の五重塔が比較対象になった。

 

 更に重源や栄西らの再建事業で東塔が再建された時、「院家雑々跡文」によれば高さが96mあったという。工法が進歩したためだ。