天下をうかがう枚方の百済王氏 | 歴史ニュース総合案内

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 大阪府枚方市で平安京の建設時期と同時期に築かれた碁盤目の道路遺構がこのほど出土した。平安京遷都を扱った4月の「英雄たちの選択」の桓武天皇回で百済王氏(くだらのこにきし)が長岡京や平安京への遷都に影響を与えた例として大きく特筆された。

 遺構は付近の再開発に合わせて2023年9~10月に行われた発掘調査で、禁野本町遺跡から新たに出土したもので、同年11月29日に公表された。この遺跡では先に百済寺遺跡との関連でも道路などの遺構が出土していたが、南北方面に伸びる「朱雀大路」の遺構が新たに見つかった。見つかったのは西側の溝(最大幅3m)と路面約2mだが、百済寺から北へ伸びていた大路を復元すると幅が12mに伸び、平安京の小路に匹敵する。先行してより北から出土した道路遺構と合わせると、百済寺が淀川南岸の町の中心軸になっていたのを証明する遺構という。

 桓武天皇が1世紀ほど前に滅びた百済の血を引く和氏(やまとし)の高野新笠を母としていたことはよく紹介される。宮内卿と河内守に任官され、交野に750年頃移転してきた百済王氏の敬福は、現在の百済王神社の東側に氏寺の百済寺を建てた。2塔と1金堂を有した寺の境内は140m四方で、碁盤目の道路は南北900m、東西450mあったと推定されている。

 

 番組では平城京から長岡京への遷都を中心に取り上げ、長岡京から平安京に遷都するか否かが「選択」のハイライトとなった。この時に渡来系の勢力の力を借りて、仏門や既存貴族の支配する社会を変革しようという話が、大陸からの影響と絡めて論じられた。長岡京から近い枚方や交野の地でよく狩猟した桓武天皇だが、百済王氏と和氏は渡来系でも別の氏族のようだ。しかし、広報でタモリごっこをする枚方の伏見隆市長らは番組に取り上げられて満足らしい。