NHKの朝ドラ「虎に翼」の原型 | 歴史ニュース総合案内

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 日本初の女性弁護士や判事となった三淵嘉子(1914~84)を原型に、NHKの朝の連続テレビ小説「虎に翼」が4月1日から放送されている。明治法律学校から始まった明治大学ゆかりの同氏(ドラマで猪爪寅子と明律大学)の生涯を見てみよう。

 台湾銀行に勤めていた武藤貞雄とノブの長女としてシンガポールで生まれた嘉子(三淵乾太郎と結婚して改名したのは1956年)は、帰国して香川県丸亀市や東京の渋谷で育つ。政治や経済のことも理解できる女になれと父親に教えられた武藤嘉子は上流階級から御茶ノ水の東京女子師範学校附属高等女学校を出た後、法律の勉強を志し、1932年に明治大学専門部女子部法科に入学した。翌年、弁護士法の改正により女性に弁護士の資格が認められると、更に向学して明治大学法学部に編入し、1938年3月に卒業した。この年の11月に同窓の中田正子(旧姓田中正子)と久米愛と共に高等文官試験司法科に女性として初めて合格し、報道されるほどの話題を集めた。

 修習を経て1940年に弁護士登録された。しかし、太平洋戦争の本格化で弁護士活動が殆ど出来なくなり、明大女子部の教員となる。明大卒の和田芳夫とも結婚し一子を儲けたが、夫は敗戦後の引揚げ時に病死した。

 これを受け、嘉子は裁判官になろうとしたが、司法省の民事部で研修するよう求められ、1949年に判事補となった。そしてアメリカ研修などを経て3年後、名古屋地裁で初の女性判事となった(女性初の裁判官は明大卒の石渡満子)。職務の傍ら明大短期大学でも講義し、新潟で1972年に女性初の家庭裁判所所長になった。

 エリート意識を持つことを許されなかった三淵嘉子は後進に向けて、エリート意識を持たないよう勧めていた。