世界夜店「歴史学は世界を変えられるか」 | 歴史ニュース総合案内

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 岩波書店の雑誌「世界」が1月号からリニューアルされ、リベラリズムの誓いを新たにした。目玉となる新コーナー「夜店」(丸山真男の言葉から)では、慶応大学の松沢裕作准教授が「歴史学は世界を変えることができるか」を寄稿している。

 『生きづらい明治社会』を刊行している松沢の論文は、一見穏当なもので、国家の革命を呼びかけるものではない。安丸良夫が定式化した勤勉と節約の通俗道徳論を下敷きにして、その是非を問うていく。

 その事例として大倉喜八郎が刊行した『致富の鍵』を紹介。自分がいかに常人よりも苦労して巨万の富を築いたかを、あたかも不正に富を蓄財したかのように思う青年に向けて説教する内容だ。

 大倉はその中で武器商人として出世した自分のエピソードを紹介。小銃を依頼主の藩に届けるために、休業中と渋る運上所(税関)の長にピストルを突き付けたことを誇らしく語っている。これに対して、松沢は冷静にみれば恐喝であり、大倉はこの時に道徳的でなかったと実は認識していたと説く。新発田藩の大名主の息子の大倉は、大倉屋銃砲店を創業し、戊辰戦争で官軍御用になって巨富を得たのであり、本当の意味の裸一貫から起業したのではない。

 

 億万長者こそ誰よりも勤勉や節約に努めているという神話が日々流布されている。しかし、アダム・スミスは『国富論』で新興ジェントルマンの行動様式を称賛する裏で、貴族のような既成勢力の大金持ち(ジェントルマンより富豪)の振る舞いを富の無駄遣いとこき落ろした。道徳経済合一論を唱えた渋沢栄一は利殖に当たり、最初から金儲けを目的に据えてはならないと説いたが、この箇所は令和のビジネスマンが最も聞きたくないものだ。

 成功者の苦労と勤勉と節約の物語は、割り引いて捉えるべきである。自分が如何に通俗道徳に適うような努力をしてきたかを説くこれらの本こそ、学術書よりも批判的に読まなければならない。自分の勤勉さや禁欲ぶりを誇るために、日本人の当たり前を実践している自分の価値観に染まらない者をある程度描写してから攻撃に移り、欲望を煽ってその禁欲を崩壊させ、怠慢と無気力と消費主義的欲望への隷従に導くのが、勤勉と節約を説く働き者エンタメの実際の作法である。