呼び覚まされる敦賀国際鉄道の記憶 | 歴史ニュース総合案内

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 北陸新幹線が3月16日に金沢から福井県の敦賀へ延伸されるのを前に、敦賀駅がシベリア鉄道への航路の玄関口だった歴史が呼び覚まされている。その記憶は敦賀鉄道資料館に集まっている。

 ロシアへの進出も念頭に、敦賀には日本海側で初めて1882年に琵琶湖側から鉄道線が敷かれた(滋賀県の木ノ本駅から敦賀までは1957年まで現北陸本線でなく柳ヶ瀬経由)。その後は1912年から東海道本線経由の欧亜連絡国際列車が敦賀港の金ヶ崎駅から運行されるようになり、ウラジオストクからシベリア鉄道経由で欧州まで向かう国際路線の港となった。最も著名な乗客は東欧からドイツやソ連を恐れて日本を通過しにやってきた杉原「命のビザ」のユダヤ難民たちで、敦賀にはその資料館「敦賀ムゼウム」がある。

 敦賀鉄道資料館の建物は1999年のみなと博のために金ヶ崎港駅を復元したもの。敦賀港駅は貨物駅としての機能も廃されたが、それを見下ろす場所に聳えているのが、朝倉攻めからの織田信長らの退き口で著名な金ヶ崎城跡である。また、北陸本線が福井方面へ入っていく北陸トンネルは1962年に木ノ芽峠を越える既存線を置き換えて開通した。

 

 開業を前に展開されている福井県推しの報道では、鯖江市のめがねミュージアムがよく紹介されているが、これは関西や名古屋からみると新幹線で遠ざかる施設だ。鯖江駅が最寄だが、そこは特急の停車駅から第三セクター「ハピラインふくい」の一駅に降格する。紫式部ゆかりの大河ドラマ館「しきぶんぶんミュージアム」を近くに設けている越前市の武生駅もまた、新幹線に無視された一停車駅に降格する。そのような変化を無視して、あたかも行きやすくなるかのように報じるのは在京メディアの傲慢である。