戊辰戦争の錦の御旗の切れ端 | 歴史ニュース総合案内

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 戊辰戦争で官軍が掲げた「錦の御旗」の切れ端と制作経緯を記した書簡の原本が、京都府立京都学・歴彩館でこのほど見つかった。書簡の内容は既知のことだったが、御旗の赤い部分の切れ端もあった。

 郷土史家の原田良子が歴彩館のデジタル目録から「錦御旗 切レ地 品川弥次郎書状等」という書簡を発見し、2023年12月に現物を閲覧し、2月に公表。御旗の切れ端と一緒に歴彩館へ2015年に寄託されていた同書簡は、松下村塾系の品川弥次郎が岩倉具視の秘書だった山本復一(またかず)に宛てて1889年に送った回想で、戊辰戦争を前に大久保利通や品川弥次郎が西陣で購入させた生地を長州の山口へ持ち運び、後ろ河原町の土蔵にあった奇兵隊の詰め所で御旗を機密の中の機密として制作した経緯が記されていた。内容そのものは勝田孫弥が1928年に『甲東逸話』で翻刻されているが、その原本だ。

 

 紅に赤い御旗の切れ端は縦36.5cm、横50.7cm。赤地に金色の太陽か銀色の月を刺繍したものである。錦の御旗は天意を見せつける必殺の旗として用いられ、徳川慶喜の徳川幕府軍を震え上がらせたと伝わるが、山口でつくった旗を太古からの遺品のように装っていたのなら虚構となる。