徳川秀忠を育てた今川氏真の妹 | 歴史ニュース総合案内

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 蹴鞠大名と揶揄される今川氏真の妹が江戸幕府2代将軍の徳川秀忠の教育係になっていたことが注目されている。大名家の地位を喪った氏真が妹の地位を背景にして、子孫が旗本となって生き延びた要因となるだろう。

 駿河台大学のの黒田基樹教授が「今川家瀬名家記七」の「瀬名氏系図」で、妹の貞春尼が「秀忠公御介錯上臈」だったことを初めて確認。活動期は秀忠の生まれた1579年から2代将軍になった1611年にまで及び、育ての親に近いことが『徳川家康と今川氏真』(朝日選書)で論じられた。徳川家が今川家に取って代わって遠江や駿河を治めるようになっても、切腹させた信康に代わる新たな嫡男の世話役に旧主君の妹を充てていたことになる。NHK教育の「知恵泉」の今川氏真回(8月に上下編)でも紹介された。

 

 没落後の氏真は1569年以後、妻の早川殿を頼って北条家に逃れていたが、武田家との対立を避けて逃れ、かつては人質だった家康に仕えるようになった。織田信長の前で蹴鞠を披露して後世の講談のネタになったが、一家臣として徳川家に従軍し、牧野城の城主にもなった。そんな中で貞春尼が家康の後継者(母は西郷局)の教育係になったとあれば、城主の座を解かれたとしても、一族の地位は安泰である。